夜に惑う

 放課後の瑞貴の宣言が尾を引いていて、どうしようもなく気分がブルーだ。

 ボクを推したい気持ちは汲んであげたいけれど、できるかどうかが分からない……。失敗したときのことを考えると、本当に怖い。


「はあ……」


 あの話を聞いてから、帰り道も溜息しか出ない。

 期待には応えたい、けど、怖い。

 夕食も失敗した。桜華は美味しいと言ってくれたけど、それがお世辞なのはよく分かってる。

 リビングのテレビ番組もただ流れているだけど、情報の一切が耳に入ってこない。

 スマホのメッセージも返したいけれど、もう瑞貴の言ったことを考えるだけで胸が一杯になってしまう。何も手につかない。やりたくない。


 分かってる。このままじゃダメなこと。変わらないといけない正念場で、瑞貴だってやりたくなかった事をやろうとしている。ボクが唆したんだ。

 でも……あまりにも怖いことだ。


「燈佳?」


 いやだ、やりたくない。でも変わりたいと思う気持ちがあるならやった方がいい。

 だけど失敗して、みんなに嫌われたくない。ただでさえ、やっと受け入れて貰えた感じなのに。

 わからない。

 ボクが思っている事は、やりたくない理由であって、やらない理由ではないのだ。

 我儘だ。ただの我儘で自縄自縛の状態になっている。


「燈佳ちゃん」


 どうして、ボクなんだろう。

 どうして、瑞貴はボクを選んだのだろう。

 どうして、どうして……


「燈佳くん」


 このまま逃げちゃおうかな……。

 でもどこに? 実家? この状態で? 無理じゃん。認知して貰えないじゃん。

 じゃあ、緋翠の家? 結局ダメじゃん。同じ学校だし。

 どこか遠く? 色々と買い揃えてるから、仕送り分のお金は毎月ギリギリだ。どこかに行けるほどの貯金があるわけじゃない。


「燈佳」

「ひゃわっ!?」


 ふっと耳に息が掛かった。艶っぽい声がすぐ側で聞こえてとても驚いてソファーから飛び上がる。

 え、なに、生暖かいのが気持ち悪かった!! 慌てて耳を押さえたよ!?


「やっと気付いた」

「え、なに、どうしたの?」

「さっきからお喋りしようと思ってずっと呼んでたんだけど」

「あ、ごめん、考えごとしてた」

「だと思った、劇の配役の事?」


 全く持ってその通りだから、ボクは小さく頷いた。


「そっか。やっぱり、人前に立って何かしたりはイヤ?」

「考えただけどちょっと体が竦む」

「そう。仕方ないよね、こればっかりは」

「うん……」


 よくはなってきたとは言っても早々に傷は治らない。

 いまでこそ、なんとか活動圏内は一人で行動できるようになったけれど、やっぱり不特定多数に見られると言うこと、酷く怖いことだ。


「じゃあ、気を取り直してお風呂、一緒にはいろ?」

「何が、じゃあなのか分からないけど……。甘えていい?」

「勿論。私、燈佳に甘えて貰えるの凄く嬉しいから。背中も流すよっ」


 ボクと桜華がくっつくことはないのに、どうして桜華はそんなにめげないんだろう。

 そして、ボクは本当に嫌な奴だ。桜華が断らないのを良い事に、ずっと甘えてる……。

 こんなことじゃダメだって、分かってるのぐずぐずと依存してるや……。


「ん、ありがと……」


 お礼を言って、一緒にお風呂に入った。

 桜華の手付きがやらしいのを除けば、至って普通だった。

 気を使ってくれてるのが痛いほど分かる。それに強制的に興奮状態にして気持ちを切り替えさせようと色々画策してくれてるのは痛いほど分かった。


 だけど、はじめて、胸を触る手付きが、脇腹を鼠径部を撫でる指が、背中に当たる桜華の胸の感触が、太股から足の指の間まで執拗に攻める行為が、不快だった……。

 何も感じない。

 それ以上に、瑞貴のあの無理矢理な配役が胸につっかえて……。


 はじめてだ、誰かを疎ましいと思ったのは。


「今日の燈佳はダメダメだね」

「ダメダメって……ボクはいつもダメダメだよ」


 考えれば考える程ドツボに嵌る。

 どんどん自分で自分を責めて、際限なく底なしの泥沼へ落ちて行ってしまう。

 引っ張り上げる人がいない……。

 それをするのは自分自身なのだから。


「ごめん、今日はもう無理だ。しんどい……」

「ん、そう言う日もあるよ」


 流石に懲りてくれたのか、湯船に浸かる桜華はボクをただ柔らかく抱きしめるだけに留めてくれた。

 それがありがたい。


「今日は早く寝て、また明日どうしようか考えよ」

「うん……」


 ボクはそう答えるだけで精一杯だった。

 瑞貴には手伝うからなんて言っておいて、いざ舞台に引き上げられたらこんな気持ちになるなんて。

 ああ、もう……どうしよう……瑞貴になんて言おう……。

 掛けられた期待には応えたいけど、好きな人に失望されたくない。


 その気持ちがボクを押しつぶしてくる……。

 とても、とっても重たいモノだ……。

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