41.赤い自転車の少女
「やだ、ドラマの再放送が始まっちゃう。録画しとけば良かった」
学校の帰り道。私は急いで自転車をこいでいた。
時刻は、うすぐもりの空がオレンジに染まるころ。山の向こうにカラスが高い声を上げて飛んで行った。
不気味だな、と思いながら自転車で走っていると、道が開けて分かれ道に差しかかった。
右に行く道が町の中を通る道。左側には、ひとけのない田んぼや雑木林を通る暗い道が続いてる。
――左の道の方が近道なんだよね。でも、こっちの道は
私の頭の中に、数週間前に聞いたウワサがよみがえってきた。
「ねえ、もしかして今日、夕闇橋を通って学校に来た?」
後ろの席の
「うん、そうだけど」
夕闇橋というのは、中学校へ向かう途中にある細いコンクリートの橋だ。
橋は用水路として使われている小さな川の上にかかっていて、そこは学校への近道なんだけど、細くて暗い道のせいか、通る人はめったにいない。
麻央ちゃんが目を見開く。
「えっ、大丈夫だった? あそこ、妙なウワサがあるでしょ?」
「妙なウワサ?」
「うん。お姉ちゃんから聞いたんだけど、あそこ、出るらしいよ」
麻央ちゃんが声をひそめる。
「出るって、何が?」
「幽霊だよ。赤い自転車に乗った女の子の幽霊が」
「ええっ、まさかぁ」
麻央ちゃんがお姉さんに聞いたところによると、三、四年前までは、あの橋を渡って学校に来る生徒が結構いたのだそうだ。
だけど三年前、一人の少女が橋の近くで交通事故にあい、それをきっかけに事故がたて続けに起きたのだという、
「……それから夕闇橋を通学に利用する人はめったに居なくなったんだって」
しかも話によると、事故にあった人はみんな事故の前に、赤い自転車に乗ってる女の子の幽霊を見たらしい。
「ええっ、やだ、怖い」
麻央ちゃんの話に、私は体を震わせた。
幽霊なんて信じてるわけじゃないけど、そういう話を聞くと何だか不気味で通りたくなくなっちゃう。
そんなわけで、その日から私は、なんとなく夕闇橋を避けるように、遠回りで登下校をするようになった、というわけだ。
いつもは怖いから絶対に通らない道。でも――。
「いいや、どうせあんなのただのウワサだし、近道して帰っちゃおう」
よく考えたら、あのウワサを聞く前までは、何回か夕闇橋を通って学校に来たことがあったけど、何も起きなかったじゃない。
きっと道が暗くて怖いからそんなウワサがあるんだ。きっと、事故が多いのだって、細くて見晴らしが悪いからだろうし。
そう自分に言い聞かせながら、急いで自転車をこぐ。
それにしても暗いなあ。街灯くらいらあってもいいのに。
そういえば、朝は何度かここを通ったことはあったけど、夕方通ったのはこれが初めてかも。
朝の夕焼け橋も気味が悪いけど、夕方はうす暗さが増してさらに不気味だ。
――ガサガサ。
「ひっ」
とつぜん聞こえた物音に声を出すと、茂みからバサバサと鳥が飛び出した。
「な、なんだ。鳥か……」
もう、驚かせないでよ。
風が吹いて、何だか肌寒くなってきた。
暗くなる前に早く帰らないと。
しばらく薄暗い道を自転車で走ると、夕闇橋が見えてきた。
橋の向こうの空は、燃えるように真っ赤な夕焼けに染まっている。
私はゴクリとツバをのみこむと。一気に夕闇橋を渡った。
――ちゃりん。
と、自転車のベルがかすかに聞こえ、何か赤いものが目のはしを横切ったような気がした。
えっ、まさか赤い自転車?
だけど振り返ってみたものの、そこには誰もいない。
そりゃそうだ。人ひとりが通るのがやっとの橋。自転車どうしがすれ違えるわけが無い。
気のせいだな、きっと。
私は嫌な予感を振り払うように、急いで家に帰った。
だけどそれからというもの、私は奇妙な出来事にたて続けに合うこととなる。
***
最初にそれが起こったのは、私が夕闇橋を通ってから三日後のことだった。
私は自転車を押して学校の前の横断歩道を渡ろうとしていた。
プップー。
クラクションの音に顔を上げると、突然、横断歩道に向かって車がつっこんできた。
うわ、危ないなあ。
私が慌てて渡るのをやめようとした。だけど、その瞬間、誰かに後ろからドンと背中を押されたのを感じた。
「えっ」
周りから悲鳴が上がる。
気がついたら、目の前に車が迫ってきていた。
「危ない!」
もうダメかも。そう思ったけど、車は私のすぐ横を通り抜けていき、私はかすり傷で済んだ。
「はあ」
腰が抜けた私はその場にへなへなとへたりこんだ。
「大丈夫?」
麻央ちゃんが私の所に駆け寄ってくる。
「うん、ちょっとかすっただけ。誰かに後ろから背中を押されて」
「誰かに?」
すると私の背中を見た麻央ちゃんの顔色が変わる。
「ちょっと、何これ――」
麻央ちゃんのただならぬ様子に私も慌てる。
「えっ、何。どういうこと?」
「良いから、早く鏡で確かめてきなよ」
麻央ちゃんに急かされるがままに、学校のトイレに向かう。そして鏡に映してみると、確かに何か背中に赤いものがついてる。
個室に入り、制服のブラウスをぬいでよく見てみると、麻央ちゃんの言葉の意味がわかった。
「何これ……」
制服のブラウスには、真っ赤な手形がくっきりと残っていた。
背筋にゾッとしたものが走る。
「全く、何なのよ」
制服が汚れちゃったので、仕方なく体育着に着替える。
だけど不思議な出来事はそれだけでは終わらなかった。
体育の授業の終わり、私が手を洗っていると――。
「ひっ」
思わず声を上げる。
蛇口から出てきたのは、夕焼けのように真っ赤な水だった。
何これ。まさか……血?
「え、ちょっと何これ、水道管がさびてるのかな」
麻央ちゃんも驚いた顔をする。
水道管のさび? そうなのかな。うん、そうだね。きっとそうだ。
自分を無理やり納得させ、他の蛇口から水を出す。すると手に何かヌルッとした物がまとわりついた。
「きゃあああっ」
私の手にまとわりついていたのは、黒くて長い女の子の髪の毛だった。
***
それからというもの、私の周りでは、不思議な出来事がたて続けに起こった。
鏡や窓の前に立っていると、後ろに赤い影が横切ったり、物が勝手にガタガタと動いたり。交通事故にも、一週間に三回もあいかけた。それだけじゃない。
「ねえ、日曜日、女の子と二人で自転車に乗ってたでしょ? あれって妹さん?」
クラスメイトにそんなふうに声をかけられて、首をひねる。
私に妹はいないし、日曜日は一人で自転車に乗って駅前に出かけてたからだ。
だけどそう話すと、クラスメイトは不思議そうな顔をした。
「ええっ、でも確かに見たのよ。あなたの自転車の後ろを、女の子が赤い自転車に乗って走ってたのを」
赤い自転車の女の子――。
私と麻央ちゃんは顔を見合せた。
「ねえ、あなたまさか……」
私は正直に話す事にした。
「うん、夕闇橋、通っちゃった」
「やっぱり。やめときなって言ったのに」
「まさか、ウワサが本当だとは思わなくて」
だけど、これではっきりした。きっとこれは、赤い自転車の女の子の呪いに違いない。
そう結論づけた私と麻央ちゃんは、亡くなった少女について、詳しく調べてみることにした。
「お姉ちゃんに詳しく聞いてみたら、亡くなったっていう女の子はお姉ちゃんの同級生だったんだって。家はここ」
麻央ちゃんのメモを見る。亡くなったという少女の家はここからさほど遠くない。
私たちは放課後、二人で夕闇橋で亡くなったという女の子の家に行ってみることにした。
少女の家は、白い壁の、綺麗な芝生のある家だった。
インターホンをならし、ウソの要件をでっち上げる。
「私たち、小さいころに娘さんによく遊んでもらって」
「亡くなったって知ってビックリしました。せめてお線香だけでもあげさせてください」
少ししてドアが開き、美人だけれど少しやつれた様子のお母さんが出迎えてくれた。
「あらあら、いらっしゃい、よく来たわね。まさかこんなに可愛いお友達がいたなんて。来てくれてあの子も喜びます」
私たちはリビングに案内された。そこには亡くなった少女の写真がいくつも飾られていた。
麻央ちゃんのお姉さんと同級生って話だったけど、イルカのぬいぐるみを抱いた少女は、想像よりずっと子どもっぽく見えた。
「あの子は、私が誕生日に買ってあげた赤い自転車をとても大切にしていたんですよ。それが、あんな事故にあって――」
「そうだったんですか」
私たちは、仏壇の前で手を合わせた。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
「これでよし、と」
仏壇の前で祈った私たちは、安心して家へと帰った。
「良かったね」
「うん。ありがとう、麻央ちゃん」
仏壇に手も合わせたし、これでもう少女の霊も出てこないに違いない。
麻央ちゃんと別れて一人で家に帰る。空はもうすっかり赤く染まっていた。
しばらく歩くと、目の前に夕闇橋が見えてきた。
もう幽霊も出てこないだろうけど、やっぱり気味悪いから通るのはやめようかな。
そう思った瞬間、ブゥン、と車がアクセルを踏むような音が聞こえてきた。
えっ。
顔を上げると、大きなトラックがこちらへ猛スピードで走ってきた。
後ろは川。逃げられない!
と、目のはしに赤い自転車に乗った少女の姿が見えた。少女は何やら下の方を指さしている。
下――川のほう?
私はとっさに、自転車を投げ捨て、川の中に逃げた。
それと同時に、トラックは川を飛び越え、田んぼに突っ込んで止まった。
ホッと息を吐く。
とっさに川の中に身を隠したおかげで助かったみたい。
それにしても、川があんまり深くなくて助かったな。服はびしょびしょになっちゃったけど。
「おーい、大丈夫ですか?」
トラックの運転手に声をかけられる。
「はい、大丈夫です」
私は慌てて川から出ようとした。
――と、夕日で真っ赤に染まった川の中にキラリと光るものを見つけた。
「……ん?」
拾い上げると、それはイルカのキーホルダーが付いた自転車のカギだった。
頭の中に、イルカのぬいぐるみを抱いた少女の写真がよみがえってくる。
事故にあう瞬間にチラリと見えた、女の子が川の方を指さす光景も。
「まさか」
私はカギ握りしめ、急いで少女の家へと戻った。
「すみませんっ」
女の子のお母さんに自転車のカギを見せると、お母さんは驚きの表情を浮かべた。
「このキーホルダー、私が水族館で買ってあげたものです。今まで見つからなくて……どこにあったんですか?」
そっか。そうだったんだ。
あの少女はきっと、事故の時に失くしたこのキーホルダーをずっと探していたに違いない。
キーホルダーが見つからなかったから、それで成仏できずにあの橋をさまよっていたのかもしれない。
私はお母さんに事情を説明すると、仏壇の上に自転車のカギをそなえた。
そのおかげかどうかは分からないけど、私はそれから赤い自転車の少女の霊を見ていない。
だけれど、それから数年経った今でも、夕闇の中を自転車で走る時、体にゾクゾクと震えが走る。
そして思い出す。あの赤い自転車のことを。川の中から見た、不気味なくらいに大きな、真っ赤な夕焼けを。私はあの出来事を、恐らく一生忘れないだろう。
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