11.人の死を悼むにはあまりに美しい日《T企画1606》
それは人の死を悼むにはあまりにも美しい、とても晴れた午後。
一人のお婆さんが死んだ。春の日差しが徐々に夏の気配を帯び始める、そんな季節だった。
お婆さんの孫、ヒカルとレイの兄弟は、眩しそうに窓から空を見上げた。
兄弟が物心ついた時から入退院を繰り返していたお婆さん。
消毒液臭い病院や病に侵された祖母は、小さい兄弟にとっては決して気持ちの良いものではない。
次第に病院から足は遠ざかり、喉に癌が転移してからはろくに話も出来なくなっていた。
そんなこともあってか、肉親の死という現実も、この兄弟には、童話の中の出来事の様に現実感の無い出来事でしかなかった。
やがて四十九日が過ぎ、お婆ちゃんの遺品整理が始まっても、それは変わらなかった。二人の小さな世界には、祖母の死という小石が投げ込まれたところで、波風一つ立たなかった。そう、あの本が出てくるまでは。
「ごめんねー、おばあちゃんの遺品整理をしていたら遅くなっちゃった」
家の前に銀色のワゴンが止まる。疲れ果てた顔のお母さんが、窓から見ていた二人の兄弟に向かって手を振った。
「ちゃんとお昼ごはん食べた?」
「うん。ちゃんとチンして食べたよ」
母親は玄関で黒いパンプスを脱ぎ捨て、買い物袋の中の野菜を仕舞おうと、台所へ向かった。
一方、父親は巨大な紙袋を手に、はあ~疲れた、と言ってそのまま玄関に腰掛けた。
「おかえり、お父さん」
そう言って駆け寄ってくるヒカルとレイ。
二人の髪をなでると、お父さんはニヤリと笑った。
「二人にお土産があるぞ。お婆さんが、お前たちにも遺品を残してくれたんだ」
そう言って鞄から取り出したのは、一冊の古ぼけた革表紙の本だった。
「本!」
「僕にも見せて!」
ヒカルとレイは目を輝かせた。この兄弟は、小学生ながら本の虫だ。大の本好きだったお婆さんの血を受け継いだのだろう。
しかし、ヒカルはその本を開いて首をかしげる。その本の中身はどこまでめくっても真っ白で、何も書いていないのだ。
「お父さん、何も書いてないよ?」
「ほんとだ!」
お父さんも、それを見て首をひねる。
「あ、そうそう」
そこへ、エプロンで汚れた手を拭きながら、パタパタとお母さんがやってきた。
「おばあちゃんからの手紙もあるのよ」
ヒカルは上品な白い封筒を受け取ると、レイと一緒に手紙を読んでみた。
【ヒカルとレイへ
遠くはなれていてあまり会えませんが、お母さんからあなたたちが本の虫だと聞きました。それを聞いて、おばあちゃんは私たちは遠くはなれていても本という宇宙でつながっているのだとうれしく思いました。
そこで小さな読書家さんたちに、おばあちゃんがひとつプレゼントをしようと思います。それがこの『名前のない白き本』です。この本のなぞを解き明かした時、あなたたちは、世界で一番の本を手にいれるでしょう】
病気が悪くなる前に書いたのだろう。所々震えていたが、大きくてはっきりとした字だった。
この文を読み、兄弟の目は万華鏡の様に輝いた。
「世界一の本だって!」
レイが飛び跳ねる。
「どんな本だろう?きっと凄くきれいな本なんだろうな!」
「きっと、世界の秘密を解き明かすような本だ」
ヒカルも、この『名もなき白き本』を胸に抱えてバレエダンサーよろしく一回転する。
「歴史的価値の高い本かもしれないな。おばあさんは、昔の作家の初版本なんかも集めていたらしいよ」
お父さんも腕組みをして笑う。
「まあ、どんな本であれ、この本の秘密を解き明かさないとな」
ヒカルは、この本をしばらくパラパラとめくり考えた。
「となると、この本のどこかに、世界一の本のありかが隠されている場所の暗号や地図なんかが書かれているんだな」
ヒカルはわくわくした顔でこの本を見つめた。ヒカルが最近特に熱中して読んでいるのは『シャーロック・ホームズ』や『アルセーヌ・ルパン』といった探偵や怪盗が出てくるお話だ。そこには宝の地図や暗号がよく出てくるのだ。
小さな名探偵たちは、しばらく目をつぶり考えるた。すると、ヒカルが何か思いついたのか、部屋から鉛筆を持ってきた。
「この鉛筆でこすれば、文字が浮き出てこないかな?」
しかし、いくら鉛筆でこすっても、文字は浮き出てこない。
「ちがうみたいだ。じゃあ……」
ヒカルはお父さんに頼み、ライターで本の1ページをあぶってもらった。
しかし、それでも何の文字も浮き出てこない。
「これもちがうみたい」
ミカンの汁で書いた文字だったら、こういったあぶり出しで文字が見えてくると本で読んだのだが……
「そういえば、あの荷物の中に、おばあちゃんの書いた日記だか本だかがあったな。それを読めば、何かわかるかもしれない」
お父さんは、本のぎっしり詰まった紙袋を指さした。
ヒカルとレイは、紙袋を漁り、お婆ちゃんの半生をつづったエッセイを見つけた。それは、昔作家を目指していたお婆ちゃんが自費出版したもので、15冊からなる長編だ。
「うへぇ、長いなあ」
ヒカルは舌を出した。
「半分こしよう。俺は大人になってからの部分を読むから、レイはお婆ちゃんの子供のころの部分を読むんだ」
そうして二人は、難しい漢字をお父さんに聞いたり、辞書で調べたりしながらお婆さんのエッセイを読み始めた。
レイは呟く。
「それにしてもおばあちゃんって、ぼくにそっくりだなあ」
お婆さんの小さいころの体験を読むと、内気であまり友達がおらず、本ばかり読んでいたことが書かれている。それは、今のレイそっくりだった。しかも、そこに書かれているお婆さんのお気に入りの本は、レイが好きなものばかりだった。まさかお婆さんとこんなに好みまで似ているなんて!
レイは、そこに書かれている本の名前の中で、読んだことの無いものをメモした。
かなりの量があるので、全部読み切るにはかなりの時間がかかるだろう。でも、絶対全部読んでやろう。
「もっとおばあちゃんと、本の話をすればよかったな」
レイは、今になって思えばもっとちゃんと話をしておけばよかったと残念に思った。
「おばあちゃんの文、読みやすいなあ」
ヒカルも、感心したように呟く。お婆ちゃんの文は、平易で簡潔。リズムがよく、すらすら読める。中身もちゃんとしていてエッセイとしての完成度も高い。
特に、お爺さんであるアメリカ人の夫との出会いの話なんか実に面白く、ラブストーリーとして映画になってもいいくらいだ。
ヒカルは、お爺さんが外国人だということは知っていたが、自分が生まれる前に死んでしまったし、自分の顔が純和風だということもあり、全くピンときていなかった。
しかし、お婆さんのエッセイを読むと、こういう人なんだ、と胸がわくわくした。アメリカ空軍のパイロットで、星が好きで、宇宙に関する本をたくさん読んでいた。そんなこと、今まで知らなかった。
ヒカルは、空軍のジャケットを着て屋根裏部屋に上り、星空を見上げる若きパイロットの姿に思いをはせた。
「あっ!」
ヒカルが声を上げた。
「レイ! ここ読んでみてよ!」
そこには、『名もなき白き本』をお婆さんがお爺さんから貰ったことが書かれていた。
「この本は、おじいさんから貰ったものだったのか」
しかし、その前後をぱらぱらと見てみるが、本の中身については一切触れられていない。
「こうなったら、今度はおじいさんについて調べてみるしかないか」
しかし、お爺さんの故郷はアメリカである。そこまで調べに行くのは、さすがに小学生のヒカルとレイには無理だ。もっと英語を勉強して、高校生になったらアルバイトでお金をためて、そのうちアメリカに遊びに行ってみようかな。ヒカルはそう思った。
「まあ、無理して今調べなくても、そのうち何かわかるかもしれないよ」
お父さんは笑う。二人が熱中している間に、いつの間にか外の景色は茜色に包まれていた。カレーの匂いが夕方の風に乗って漂ってくる。
毎週日曜の夜に流れるアニメのオープニングソングが、かすかに聞こえてきた。もうそんな時間なのか。ヒカルは顔を上げた。
「ヒカル、レイ、ご飯の時間よ」
お母さんの呼ぶ声がした。
夕ご飯を食べ終わり、家族三人で仲良くお風呂に入る様子を見てほほ笑んだお母さんは、食器を洗い終えた自分の手をエプロンで拭こうとした。すると、ガサリ、と手が何かの紙に触れた。
エプロンのポケットを探ると、ヒカルとレイあての手紙がもう一枚入っていた。
「あらあら、一枚渡し忘れていたのね」
お母さんは、その手紙を読んでみた。
【この『名もなき白き本』には何も書かれていませんが、それはあなたたちが自分で書いて作り上げていく物語だからです。
小さい冒険家たちよ、たくさんの本と出合いなさい。たくさんの人と出会いなさい。たくさんの旅をしなさい。そうして思ったことを、この本に記録していくのです。そうすれば最後には、世界で一番の本ができあがるでしょう】
「まあ!そういうことだったのね!」
お母さんは、読み終えると、少し考えた。そして手紙をエプロンのポケットにしまった。この手紙は、当分二人には見せないつもりだ。
謎は自分で解かなくては面白くない。大丈夫。きっとあの子たちなら自分で正解にたどり着く。
そして気づくだろう。本は、目で読むものじゃない。何も書いていないけれど、そこには立派な物語がある。キラキラ光る初夏の日差しのような眩しい物語が。この真っ白なページから、二人の物語は幕を開けるのだ。
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template企画という交流企画で作成。お題は「読めない本」
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