第40話 山頂の深穴

「着いたぞ。ここが山頂だ」


 ロシールの声を聞いて、ずっとうつむきながら歩いていたアイラはようやく顔を上げる。

 見えた光景にアイラはぎょっとした様子で目を見開き――――しだいにその顔が青ざめてゆく。


 そこに広がっていたのは底が見えないほどの、深い深い大きな穴であった。ちらりと見ただけで穴の中に吸いこまれそうな引力と、闇の大穴を見た時のような禍々まがまがしい気を感じたアイラは、思わず目を逸らして再び地面を見つめた。

「そうだ。あの穴が、闇の世界へと繋がる……山頂の深穴だ」

 ロシールはアイラの青ざめた顔を見、にやりと笑う。

「おい、もう少し……穴の近くまで連れて行け」

 ロシールがそう言うと、闇の賊たちはアイラの腕をぐいと引いて穴の近くまで誘導する。

(嫌だ……行きたくない)

 アイラは必死で抵抗しようとするも、闇の賊たちの力にはかなわず、しだいに穴の方へと引っ張られてゆく。


 穴を背にして穴のふちに立たされたアイラは、穴の底から発せられる、むおっとした禍々まがまがしい気を背中に受け、自分のこれからの運命を悟って思わずぽろぽろと涙をこぼす。

 それを見たロシールはにやりと笑って言う。

「この神器をお前ごと闇の世界に落とし、地上から消し去れば、こちら側の……神の世界は終わる。私を選ばなかった神の世は私の力によって消え、これからは、こちら側も魔王が支配する世界となるのだ」


 ロシールはアイラの前までゆっくりと歩いてゆき、アイラの顔をちらりと見てふっと笑う。

「では……さらばだ、神の使いとやら」


 ロシールがトン、とアイラの肩を押すと、その衝撃でアイラの体がぐらりと後ろに――――穴のある方に大きく傾いた。



「一体なんなんだ? ここは……」

 サルマは空に開いた黒い穴に吸い寄せられた後、謎の真っ暗な空間の中をふよふよと浮遊していた。

(一体全体この真っ暗い空間はなんなんだ! これも闇の力なのか……? にしては闇の大穴のような禍々まがまがしい気は感じねぇが……)


 サルマは安定しない無重力のような空間の中なんとか体制を立て直し、どこかに出口がないかと辺りを見渡す。

 すると、突然サルマのはるか下――――足元の方にパッと丸い光が現われる。

「ん? なんだ、あの光……」

 しかしそこでそれ以上何か思う間もなく、今まで無重力空間の中浮遊していた体が、パッと重力が突然なくなったかのように、今度はその光の方へと向かって急降下する。

「なんなんだよいったいいいいぃぃぃぃ⁉」

 サルマは小さな丸い光の方へとひたすら落下してゆく。



 アイラはロシールに押されて傾いた体を立て直そうとするが、両足は地面を離れ、穴に吸い込まれるように――――背中からゆっくりと落ちてゆくのを感じた。


(駄目だ……落ちるっ!)


 アイラがそう思いながら空を見た瞬間、空にぽっかりと黒い穴が開く。そこから船が――――警備戦士のあかい船、そして見慣れたアルゴ海賊団の船が穴の中から出てきたのを目撃し、アイラは目をぱちくりとさせる。

 そして、船以外にも人の姿がいくらか現れる。


「サルマさんっっ‼」


 アイラは空の穴から落ちてくる多くの物や人の中からサルマを見つけ出し、ありったけの大声で叫ぶ。


「アイラ……⁉」

 サルマは長い長い闇の中から光に出たところで、眩し気に目を細めるも、すぐさまアイラを見つけ出す。

 アイラは闇の世界に通じる山頂の穴の上にいて――――傍らにいたロシールに、今まさに落とされているところであった。


「‼ こんの……ジジイっ!」

 サルマの目が怒りのあまり蛇の瞳のようにギラリと光る。ロシールは空に開けられた黒い穴を呆気にとられた様子で見ていたが、こちらを目がけて落ちてくるサルマに気が付くと血相を変える。

「アイラに……何しやがるっ‼」

 サルマは落ちる力を利用し、そのままロシールの体めがけて体当たりする。


 ロシールとサルマの体はぐらりと前のめりに――――穴の方向に傾き、地面からロシールの足が離れる。

「! しまっ……」


 ロシールとサルマ、そしてアイラの三人は――――山頂の深穴に吸い込まれるように、下へ下へと落ちてゆく。


「な……なんてことだ……っ! 私はまだ地上でやらねばならないことが……っ!」

 ロシールが何やらわめきながら落ちている横で、サルマはなんとかすぐそばにいるアイラに追いつこうと落ちながらもがく。

 アイラもサルマの手を取ろうと手を伸ばす。


「アイラっ‼」

「サルマさんっ‼」


 サルマはなんとかアイラの手を掴む。しかし――――下へ下へと落ちてゆく体はどうすることもできない。

(このまま、闇の世界へ行ってしまうのかな……。もう……戻れないのかな……)

 アイラは涙が目から溢れてくるのを感じる。


「……心配するな」

 アイラはサルマの声にはっとしてサルマの顔を見上げる。サルマはアイラの方は見ず、落ちてゆく先の暗闇を見つめながら――――アイラの両腕をぐっと掴んで自分の近くに寄せ、ぽつりと呟く。

「どこに行ったとしても、俺が……お前のこと守ってやる」

(……サルマさん…………)


 アイラはサルマの顔を見つめる。すると、サルマの後ろから、何かがアイラたちを追ってくるのが見えた。

 それは――――絨毯に乗った、二人の子供の姿のように見えた。


「アン⁉ ラビ⁉」

 アイラが叫ぶと、サルマは目を丸くして後ろを見る。


 すると、ディールの王族に代々伝わる大絨毯に乗ったアンとラビが、今までに見たことのない全速力で絨毯をあやつり、こちらを目がけて飛んで来るのが見えた。

「アイラ! もう少し……もう少しで追いつくから!」

 ラビがそう叫ぶと、アンは目をカッと見開き、アイラたちのいる方向に全体重をかけ、絨毯から手を出して叫ぶ。

「アイラ、掴まれえええええ‼」


 ぐんとスピードアップした絨毯は、ついにアイラたちに並ぶ。アイラはアンの手をとり、アンはラビと協力して絨毯の上にアイラを何とか引っ張りあげる。次に、アイラの手を取っていたサルマを三人がかりで引っ張り上げる。


「おのれ、おのれえええっ‼」

 ロシールはアイラたちがアンたちに助けられるのを見て叫びながら、そのままただ一人――――真っ逆さまに闇の底へと落ちてゆく。


 絨毯を水平にして浮かせたまま、その様子をのぞき込んでいるアンとラビに、サルマは言う。

「アイツのことは……ほっとけ。アイラを穴に突き落としたやつ……闇の賊側の人間だ」

「わかった。どっちにしろ、もうスピード出す余力なかったからな。なんとか上まで戻るぞ、ラビ」

「うん」

 アンとラビは力を合わせて、絨毯の高度を徐々に上げてゆく。


「そうだ、アイラ。手、出せ」

「うん? なあに?」

 アイラは首をかしげながらも、右手をアンの方に差し出す。


 アンはその手に何かを握らせる。その懐かしい感触に――――アイラは目を大きく見開き、手の中にあるものをのぞき見る。


「これ……コンパス! わたしの……コンパスだぁっ‼」

 アイラの目からみるみる涙が溢れる。

「天界から帰ってきた時に、宮殿の庭木に引っかかってるの、ラビが見つけた」

 アンが泣きじゃくるアイラの肩をさすりながら言う。

「もう、二度とわたしのところには戻らないかもって思ってたから……っ。ありがとう、二人とも……っ‼」

「で、針はどうなってんだ? まさか、壊れてねぇよな?」

 サルマがそう言いながらアイラの手の中をのぞき込む。アイラはコンパスを握りしめていた手を恐る恐る開き、コンパスの針を見る。


 コンパスは――――その針は、アイラの手の中でゆっくりと動き出したと思うと、いつものように、くるくると勢いよく回り始めた。


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