第32話 天界の泉

 アイラ、サルマ、アン、ラビの一行は、アンの大絨毯に乗って空へと向かっている。


 アンの絨毯はラビのものとは違い、結構なスピードを出して上昇しているため、強い風が四人の体に当たる。

 アイラは絨毯から落ちないよう気をつけながらも、恐る恐る身を乗り出して下をのぞき込み、眼下に広がる景色に息をのむ。


「すごいなぁ。さっきまでわたしたちがいたディールとう……もうあんなに小さくなってるよ!」

「お宝のニオイも強くなってきた気がするし、もうじき着くんじゃねぇか? おい、アイラ。コンパスから目を離すなよ。針が回らなくなったら進路がずれてるってことになるからな。この広い空ん中で迷子になるだなんて、洒落になんねぇぞ」

「うん、わかった」

 アイラはサルマの言葉に頷き、コンパスに目線を戻す。


「闇の大穴も見えるな。あんなに大きくなっているのか。普段は穴は閉じてるはずだが……」

 アンがちらりと下を見て呟く。それを聞いて、サルマも闇の大穴を見る。

「本当だな。しかし闇の大穴を上から見ることになるだなんて、思いもしなかったぜ。中心部分は真っ黒で……見てると何やら嫌な気を感じるな。闇の大穴の伝説なんか胡散臭いと思っていたが、あれを上からのぞき込んでると、本当にあそこは闇の世界に繋がってるって気もしてくるぜ……」


「あ、あそこにある小さな雲がだんだん近づいてきたよ。アンが言ってたのはあの雲のこと?」

 真上を見ていたラビが声をあげる。それを聞いて、皆も空を見上げる。

「大きさといい、形といい……おそらくあの雲だと、思う。もっと近づいてみよう」

 アンはそう言って絨毯をあやつり、その雲に近づく。

 近くにある他の雲は近づくほどに色が薄くなって次第に見えなくなるのに対し、その雲は不思議なことに、近づいても色が薄くならず、白い色のままの状態でそこにあった。


 その雲のところに到着すると、アンは雲に触れてみて、首をかしげる。

「おかしいな、触れられぬぞ。この雲ではなかったのか?」

 それを聞いてサルマも触ってみる。雲は触れても全く感触がなく、触れた手は雲の中を貫通している。サルマは眉間にしわをよせる。

「本当だな。この上にはとてもじゃねぇが乗れそうにもないぜ。だが、周りの雲は流れてるし薄い色をしている。天界があるとしたら、この雲だと思うんだがな……」

「あ……あれ?」

 アイラの声を聞いて、皆がアイラを見る。アイラも雲を触っていたが――――その手は貫通せず、雲をぽんぽんと叩いていた。

「わたし……さわれるよ!」

 それを聞いて皆は驚きの表情でアイラを見る。サルマはアイラの方に身を乗り出す。

「ほ、本当かよ⁉ じゃ、試しに上に乗ってみろ!」

「え、大丈夫かな……」

 アイラは不安げに下を見る。アンはその様子を見て言う。

「大丈夫だ。もし乗れずに落ちたとしても、絨毯でアイラのこと、拾ってやる」

「……うん。じゃあ、乗ってみるね」


 アイラは恐る恐る雲の上に右足をかける。右足が雲に貫通しないのを確認すると、左足も雲の上に乗せる。そうしてアイラが雲の上に立った瞬間、アイラの姿がふっと消えてなくなる。


「「「‼」」」

 三人は驚きのあまり目を大きく見開いて、アイラが先程までいたはずの場所を見つめる。サルマとラビは慌てて辺りを見渡す。

「ア、アイラ⁉ どこ行きやがったんだ⁉」

「お、落ちたわけではないよね……? 声も聞こえないし……」

 サルマはアイラのいた場所に手を伸ばす。しかしその手には何の感触も残らない。

「……ここにはいねぇぞ。姿が見えなくなっただけじゃねぇ。一体どうなっちまったんだ……」

 アンはアイラがいた場所をじっと見つめ、ぽつりと呟く。

「神が、許していないのかもしれない。アイラ以外の者が、天界に足を踏み入れることを……」



「‼」


 一方のアイラはというと――――雲の上に乗った瞬間、先程まで見えていた周りの景色が一切見えなくなり、代わりに真っ白いふわふわした世界の中に一人立っていることに気がつく。

「サルマさん、アン、ラビ……みんなどこにいるの⁉」

 アイラは必死で皆の名前を呼び、辺りを見渡す。しかし誰の姿も見えず、声も聞こえない。

「……どうしよう」

 アイラは急に一人ぼっちになり、泣きだしそうな顔でうつむく。それからハッとした様子でコンパスの針を見る。

 針がまだくるくると回っているのを確認したアイラは、顔を上げてもう一度辺りを見渡す。

(……針はまだ回ってる。ってことは、ここで何かをしないと駄目なんだ。ここが本当に天界……神様のいる場所なら、どこかに神様がいるかもしれない。探してみよう)

 アイラはそう思いなおし、白くてふわふわとした感触の雲のようなものを踏みしめて歩いていく。


(……なんでだろ。この感触……なんだか懐かしい感じがする)

 アイラは不思議に思いながら歩いてゆき、ふと何かに気がついた様子で足を止める。


 アイラの目線の先には、水たまりのようなものがあった。アイラは小走りでそこに近づいて、それをよく見てみる。

 そこからは水が湧き出していて、どうやら泉のようであったが――――その水は普通の水ではなく、オーロラのような不思議な輝きを放っている。


(なんだろう、これ。綺麗な水……) 

 アイラは恐る恐るその水に触れてみる。水は少しとろりとした感じの触り心地をしている。


「……剣を……泉に……浸しなさい…………。そして…………を…………に…………」


 突然頭の中に声が聞こえてきて、アイラははっとして辺りを見渡す。


 その声は透き通るような綺麗な声をしていたが、とても遠いところから呼びかけられているような感じで、ところどころ聞こえづらい部分があった。アイラは目をこらして周りを見るが、誰かがいる様子はない。


 とりあえず今すべきことを理解したアイラは、背中の荷物からオルクにもらった剣を取り出す。

(誰の声だかわからないけど……とりあえず、この剣をひたせばいいんだね)


 アイラは剣をさやごと泉に浸す。すると――――泉全体がぱあっと金色の光に包まれる。アイラは眩しくて思わず目を細める。



 やがて眩しい光が消え、アイラはゆっくりと目を開ける。先程まであった泉は跡形も無くなり、そこには――――白金に輝く剣が一本、横たわっていた。


「……‼」

 アイラは剣を手に取る。剣の持ち手にもさやにも美しい細かな装飾が施されているのが見える。

 そして恐る恐る剣をさやから抜き取ると、シャッといういい音と共に、剣の刃の部分があらわれる。銀色の刃は鋭くとがり、眩しいくらいに輝いている。

(これ、さっき泉につけた……剣なんだよね? あんなに錆びてて、さやからも抜けなかったのに……。本来はこんな姿だったんだ……!)

 アイラは剣の刃に映った呆気にとられている自分の顔を見ると、怪我をしないようにと慎重に剣をさやにしまう。


 そして立ち上がって辺りを見渡し、目を丸くする。周りの景色は――――いつの間にか、元の世界のものに戻っていた。


「アイラ! どこにいるんだよ! 返事しろ!」

 サルマの呼ぶ声が聞こえる。アイラはそれを聞いて元の世界に戻ってこられたことを実感し、涙ぐみそうになる。そして大声で返事をする。

「サルマさーーん! ここ! ここにいるよ‼」


 それを聞きつけて、三人を乗せたアンの絨毯がこちらに向かってくる。サルマがアイラを見つけて大声で言う。

「オマエ、どこ行ってたんだよ‼」

「わかんない。なんか……真っ白でふわふわした世界にいたみたいなんだけど」

 アイラの言葉をきいて、アンは身を乗り出す。

「やはり、天界に行ってたんだな⁉」

「うーん、そうなのかな。……あっ、そうだ! サルマさん、これ見てよ!」

 アイラは剣をサルマに差し出す。白金に輝くその剣を見て、サルマは目を見張り、身を乗り出して一言叫ぶ。

「ニオう‼」

「え」

 アイラは思っていたのと違う言葉が返ってきたので目をぱちくりしている。サルマは興奮した様子で続ける。

「その剣、とてつもなくニオうぞ! でかした、アイラ! ついにお宝を見つけやがったんだな! どうだ、俺様の言ったとおりだったろ。やっぱりオマエのコンパスの示す先には、お宝があったんだ‼」

「ちょ、ちょっと。確かにお宝かもしれないけど……これはオルクさんに貰った剣だよ! 天界にあった泉に浸したら、こんな綺麗になったんだよ!」

 アイラは必死で興奮するサルマを抑えて言う。サルマは目を丸くして、剣をじっと観察する。

「これが? あのボロっちい剣だっていうのか…………?」

 サルマはハッとした様子でアイラの方に身を乗り出す。

「じゃあ、その泉は⁉ 泉の水に、何か秘密があるに違いねぇ!」

「なくなっちゃったよ、その剣を浸したとたん……。わたしがさっきまでいた天界みたいな場所も、消えてなくなっちゃったし。気づいたらここにいて……元の世界に戻ってたの」

「……どういうことなんだ」

 サルマは混乱した様子で頭を抱えている。アンがサルマの前に進み出て言う。

「アイラ。行き先を示すコンパスがあるなら、闇の賊を倒す方法がわかるかもしれない……と言っていたな。そしてその剣が……何か鍵を握っているんだな?」

「うん。これある人に貰ったんだけど、神様の落し物の剣みたいで……闇の賊を倒せる力を持ってるんだって。でもここに来るまでは、ボロボロで使い物にならなかったの。わたしが旅することで、この剣を使える方法がわかるかもしれないと思って、これを持っていくように言われてたんだ」

「では……今剣が使えるようになった、ということか?」

「うん、たぶんそうなんだよ! それを言いたかったの!」

 アイラはそう言ってサルマを見る。サルマは少し考える素振りを見せたあと、納得した様子で頷き、剣を見る。

「なるほどな。確かに、ボロくて錆びついてた頃のその剣からも、かすかにお宝のニオイがしていた。てことは、その剣はオルクの爺さんの言うとおり、神の落し物の剣ってことなんだな」

「うん! これさえあれば、闇の賊を倒せるはずだよ!」

 アイラは興奮した様子で剣を見ている。サルマはそんなアイラの様子を見て少し不安を感じ、慌てて言う。

「まぁ待て。それを手に入れたからといって、闇の賊がいるところにのこのこ出て行くのも危険だろ。とりあえずコンパスを見ようぜ。針に何か変わりはあったか?」

「あ、まだ見てないや。ちょっと待って」


 アイラは剣を荷物の中にしまい、コンパスを取り出して見る。

 針は――先ほどのようにくるくると回ってはおらず、西を真っ直ぐに示している。


「西……か」

 サルマは自分のコンパスで方角を確認して呟き、アンの方を見る。

「なあ、ディールとうの西って、どんな島があるんだ?」

 サルマは自分のコンパスで方角を確認すると、アンの方を見る。

「西? 特に何もないぞ。岩場はあるかもしれないが、しばらく西に行ってもたいした島はないはずだ」

 アンは首をかしげてそう答える。サルマはそれを聞いてあごに手を当てて言う。

「そういや、俺の持ってる地図でもディール島は地図の北西の端にあったな。もし西に何かあれば、そこは一般には知られてない島か、未踏の地ってとこか……?」

「西に島がないのなら、もしかして……また目的地が空にあったりしないかな」

 ラビがコンパスをのぞき込んで言う。アンはそれを聞いて少し考えた後、一度頷いてアイラを見る。

「そうかもしれない。どうする、アイラ。このまま絨毯に乗って西へ行ってみるか?」

 その言葉に、ラビが即座に反対する。

「え、それは危険だよ! アン、ずっと空飛びっぱなしじゃないか! それにもうじき日も暮れてくるし、あんまり長い間宮殿を留守にしておくわけにもいかないだろ?」

 サルマもラビの意見に賛同する。

「そうだな、夜の旅は何かと危険だ。それに、俺たちも待たせてるヤツらがいるからな」

「あ、そっか、アルゴさんたち……」

 アイラはサルマの言葉を聞いてハッとした様子で言う。

「? おまえたち、二人で旅してたんじゃないのか?」

 不思議そうな顔をするアンに対し、サルマが説明する。

「大穴が広くなってからは、アルゴっていう知り合いの海賊の船に乗せてもらって旅をしてたんだ。海賊がディールに入るわけにもいかねぇからって、ディールの近海の南の岩場で待機してもらってたんだよ」

「なるほど。それは賢明だな」

 アンは頷き、アイラを見る。

「ならば、今日のところは一旦帰ろう。アイラ、絨毯に乗れ」

 アンは絨毯の空いているところをぽんぽんと叩いて言う。

「うん」

 アイラは雲の上から絨毯に移る。


(次の行き先は西……かぁ。西には一体何があるんだろう。オルクさんに貰った剣……いつか使う時が来るのかな)


 アイラはそんなことを思いながら、西の空を眺める。


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