太陽をだきしめて

夏鎖芽羽

太陽をだきしめて

 目を開けるとまず感じたのは冬の寒さでした。


「うー……寒い」


 目をこすりながらつぶやき、布団から這い出て、机の上にある時計を確認します。時刻は朝の七時半。今日は学校もないのでこんなに早く起きる必要はなかったのですが、足元から冷えるような寒さに眠気が負け完全に目が覚めてしまったので、仕方ないと思いながら一階のリビングに降りることにしました。


 階段を降りてリビングに向かうと家族はまだ誰も起きていないようでカーテンが閉まっていました。わずかな隙間から陽光が狭い場所をくぐる鼠のようにきらきらと指し込んでいます。


 私はそれを開放するようにカーテンを開け放ちました。まだ、光に慣れ切っていない瞳に映ったのは低木が植えられ霜柱がにょきにょきと生えた庭と、雲ひとつない青空でした。


「うん、いい天気!」


 私は上機嫌でそのまま窓も開け放ちますがすぐに後悔することになりました。


「さ、寒い!」


 あわてて窓を閉めます。今日は俗に言う冬晴れの様ですが、まだ朝だからか気温は決して温かいとは言えずむしろ寒いくらいでした。


「早く温かくしないと……」


 私はテーブルの上に置いてあったエアコンのリモコンを手に取りスイッチを押します。


 すると、主に忠実なエアコンはすぐに稼働を始めます。


 それを見届けた私は、今度は台所に向かい、ポットに水を入れて電源を入れます。それが終わると食器棚から一つマグカップとスプーンを出し、戸棚の中からインスタントのコーンスープを取り出しマグカップの中にそれを入れました。しばらくお湯が沸くのを待ち、ポットがかわいらしい音色で「お湯が沸いたよ!」と告げると、私は待ってましたとばかりにマグカップをお湯の注ぎ口の下にセットしボタンを押しました。目分量でスープの素とちょうどいい塩梅でお湯を注いだ私はそれをスプーンでぐるぐるかき回します。


 そして優しく息を吹きかけて冷ましてから一口飲みます。


「ふー……」


 安心に近いため息をついて、コーンが浮かぶ黄色い液体を私は見つめます。淵に僅かな白い泡が浮かぶそれは私に「あったかいでしょ?」と語りかけているようで不思議な気分になりました。


 体を温めたところでエアコンが稼働するリビングに戻ります。エアコンが頑張ったおかげで僅かな時間しか稼働していないにもかかわらず部屋は台所よりはるかに温かでした。


「今日の気温は何度だろう?」


 ふと疑問に思い、テレビをつけるとちょうど朝の情報番組内の天気予報が始まるところでした。


『今日の東京の最低気温は0度、最高気温は3度です。この冬一番の寒さとなるでしょう』


「えー」


 思わず不満が口からもれます。最低気温は冷凍庫並み、最高気温は冷蔵庫並みなんてにわかには信じられません。


 スープを飲みながらどうして冬がこんなに寒いのか考えてみます。もちろん現実的な答えとしては太陽の周期の問題なのですが、少し夢見がちに――ロマンチックに考えるのなら冬は太陽が疲れて休憩しているのでしょう。そして、おとぎ話的な観点からいえば北風さんが旅人さんの服を脱がそうと一生懸命「ふー、ふー」と息を吹きかけているのでしょう。ぜひ、太陽さんに逆転してもらいたいところですが、冬はまだ始まったばかりなのでその展開はまだまだ先です。


「そういえば、一番温かいものってなんだろう?」


 天気予報からかわいらしい動物の赤ちゃんを紹介する映像に変わったテレビを見つめながら、私の頭にそんな疑問がわいてきました。


 例えばこのエアコンで暖められた部屋は暖かいですし、マグカップの中のコーンスープも温かいです。それに、テレビに映し出されている親子でじゃれあうトラも温かそうです。


 「う~ん……」


 温かいもの、温かいもの……考えれば考えるほどわからなくなります。私の中で温かいものといえば……もふもふで、丸くて、柔らかい……


「ネコだ!」


 頭の中のイメージがネコに直結しました。しかし、温かいものがネコだとわかったところで、ネコは家にはいませんし、確かめることはできません。 「よしっ、キッド君に会いに行こう!」


 キッド君は近所のネコです。どこかの家で飼われているはずなのですが、昼夜問わずこの辺りを自由気ままに歩き回っています。他のネコに比べて一回り大きく真っ黒なため、他のネコ達には恐れられていますが、人間にはよく懐くので近所の人からの評判は上々です。そして何より、もふもふで温かそうです! キッド君に会いに行くと決まればさっそく近所を探索です。テレビを消し、マグカップの中身を飲みほし、エアコンを消して、シンクにマグカップを置いて自分の部屋へ。パジャマから私服に着替え、寒さ対策でこの冬買ってもらった赤色のコートを着て、ニットの帽子、マフラー、毛糸の手袋で素肌を寒さから守ります。家のカギだけを持って、キッド君を探すちょっとした冒険へ出発です。



「うぅー……寒い……」


 防寒対策はきちんとしてきましたが、やはり寒いものは寒いです。


「早くキッド君を見つけてギュッとしないと……」


 家に帰る以外で暖をとるにはそのくらいしか方法がありそうにありません。しかし、こんなに寒いのにキッド君が外を出歩いているのか、私は一抹の不安を覚えます。


 私はよくキッド君に出会う十字路を目指しててくてくと歩きます。途中、朝から半袖半ズボンで元気にランニングする近所のおじいさんに挨拶をしたり、寒さ対策を施しすぎたのかまるでだるまのようになっているおばさんに「歩きずらそう……」なんて感想を抱きながら、ついに私は十字路に辿りつきます。


 案の定というかキッド君は見当たりません。いつもは塀の上で丸くなっていたり、誰かを待つように電柱のそばでお座りしていたりするのですが…… 「キッド君」


 なんとなしに呼んでみますが、キッド君は現われません。その代わりにいつもヤクルトを配達している通称「ヤクルトママさん」がヤクルトをたくさんつんだ自転車に乗って角から現われました。


「あら? どうしたのこんなに朝早くから? 学校もないのに」


「おはようございます。実はキッド君を探しているのですが……」


「キッド君ってあの黒いネコ?」


「はい、そうです」


「それならさっき公園で日向ぼっこしているのを見たわよ」


「公園というと鉄棒公園ですか?」 「えぇ、そうよ」


 鉄棒公園というのはこの辺りにある公園で、なぜか遊具に鉄棒しかないためそう呼ばれている公園です。もちろんアグレッシブな遊びを求める子供達には人気がありませんが、キッド君を始めネコさん達や静かな場所を好むお年寄りの方々には定評があります。 「そうですか。では、探してみます。貴重な情報ありがとうございました」 「いいえ。こんな朝早くからネコ探しなんて飼い主さんも大変ね」


 そう言うとヤクルトママさんは軽やかに自転車をこいで去って行きました。飼い主は私ではないのですが、どうやら朝早くから(と言ってももう八時は過ぎているはずですが)ネコを探す理由は飼い主だからと思ったのでしょう。


 というわけで、ヤクルトママさんからの情報を頼りに私は鉄棒公園を目指します。ここからは歩いて五分ほど。なんでもない距離ですが、その間に私の体はすっかり冷え切ってしまいます。


 冷えた体をさすりながら歩いていると、道路に対して公園内がよく見える鉄棒公園の入口にやってきました。中には内周の一部に沿うように鉄棒が背の順で並び、いくつかのベンチがまるでヒマワリのように太陽を求める角度で設置されています。


 そのベンチの一つにキッド君はいました。


「あっ! キッド君!」


 私がベンチの上に鎮座する黒い塊に気付いて思わず声を上げるとキッド君はちらりとこちらに一瞥をくれました。その瞳は綺麗な黄色をしていて、黒目は細長くネコ目です。私は小走りにキッド君のいるベンチに近づき朝の挨拶をします。


「おはよう、キッド君」


 キッド君は答える代りに大きなあくびを一つして、それまでベンチの中心にいたのを、まるで私に座るスペースをわけてくれるかのように座っていた位置から少し右にずれました。


「ありがとね」


 キッド君のご厚意に甘えて、私は隣に腰掛けて、その労をねぎらうように頭を撫でました。するとキッド君はくすぐったそうに鼻を「フフンッ!」と鳴らし、だらりと横になります。


「今日は寒いね」


 私がキッド君に話しかけるとキッド君は返事の代りにしっぽを二回振りました。


「最高気温はね、なんと三度しかないんだって!」


 キッド君は「俺には気温なんて関係ねーや」とばかりに尻尾を一回振りました。


「それではキッド君……本題の方に入らせていもらってもいいですか?」


 そう言うと、キッド君は体を起して私の方を再び一瞥します。「俺に出来ることなら」と言っているようでなんだか頼もしく思えます。


「もふもふさせてください!」


 私は思わず頭を下げます。すると、キッド君はしばらく思案するように尻尾を振って、ついに「しかたねぇ、嬢ちゃんだ」というように私の膝の上にぴょんと飛び乗りました。


「ありがとっ!」


 私はしばらくキッド君の体を撫でてから思い切ってぎゅと抱きしめました。キッド君は特に嫌がる素振りを見せず「この俺を堪能しやがれ!」と言うように体の力を抜きます。


「う~ん……あったかい……」


 キッド君の体はまるで太陽を抱きしめているようにぽかぽかでした。黒い毛皮が体温を閉じ込めている役割をしているのでしょう。黒い毛の根元の辺りに指を這わせると、ふわっとした柔らかい温かさを感じます。


「にゃー」


 今まで一度も鳴いたことがなかったキッド君が喉を震わせるように鳴きました。どうやら、そろそろ解放してくれとのことです。


「うん、わかった」


 私がキッド君をそっとベンチに戻すと、キッド君は後ろ足で首の辺りをシュババババ! と掻き、再び太陽の光を求めごろりと横になりました。


「ありがとうございました」


 私が丁寧にお礼を言って頭を下げると、キッド君は尻尾を二回振りました。


「おーい」


 ちょうどその時、公園の入り口から声がかけられました。そちらに目を向けると、そこには私の二つ上の兄がいました。


「おにいちゃん!」


 私は小さく手を振ります。


「こんなところにいたのか。もう朝ごはんだよ?」


 兄は言いながら公園の中に入ってきます。


「そういえばまだ朝ご飯食べていなかったな……」


 今更ながらにそんなことに気がつきます。


「あれ? キッドもいたの? こんなに寒いのに?」


 そう言うとキッド君は答える代りに二回尻尾を振ります。


「うん。実はキッド君に会いに来たの」


「こんなに寒いのに?」


「寒いからこそだよ」


 私が笑顔を見せると、兄は不思議そうに首をかしげました。


「まぁ、とにかく帰ろうか。ばいばいキッド。うちの妹をありがとう」


 兄がキッド君の頭を撫でるとキッド君は「どういたしまして」と言うように喉をコロコロと鳴らしました。私もキッド君にばいばいと言います。


「さぁ、帰ろう」


 兄が私に手を差し伸べます。


「うんっ!」


 私は兄の手をとり、一緒に歩き出します。


 その時私はふと気がつきました。一番温かいものは実はこんなに近くにあるのだということに。



〈了〉


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