志摩冷華

 志摩冷華は、いままで書いていた原稿用紙とは別に、新しい原稿用紙を手に取った。僕が、さっき彼女が投げてきた万年筆を手渡すと、彼女はその万年筆で原稿用紙に文章を書いて、僕にみせた。

『わたしを置いて先に帰ったら許さない。呪ってやる』

 その書かれた一言をみて、僕はまた、背中に冷たい何かが走ったような感覚を覚えた。いや、それが冷たいのか熱いのかさえもわからない。僕の額からは汗がにじみでていた。心臓の鼓動のリズムが徐々に激しくなってきた。彼女と目を合わせるたびに、僕の心の中をのぞかれているような気がしてならない。何もかもお見通しだといわんばかりに、彼女の唇はすこし笑った。そしてまた原稿用紙に文章を書いた。

『冗談よ。そんなに緊張しなくていいよ。私はしまれいか。志摩冷華って書くの。君は安藤快くんでしょう?』

 彼女は僕の名前を知っていた。誰かから聞いたのだろうか。僕は、席に置かれている原稿用紙と万年筆を手に取り、『どうして僕の名前を知ってるんですか?』と質問した。

『黒沢アカネさんの話によく出てくるから。あのコと、いつもここでよくこうやって筆談してるの。今日は来てないけどね』

『そうだったんですか。仲いいんですね』

『ええ。あのコはわたしとどこか似てるところがあるの。そのせいか話が合うし、あのコと話したあと、筆の進みがいいの』

 彼女と少し筆談すると、さっきまでの緊張が、少しだけ緩んだ気がした。万年筆を投げてくるくらいだから、凄く乱暴で近寄りがたい女性なのだろうと最初に思ったが、少し違うらしい。言われてみれば、なんとなくだがアカネと志摩冷華は、どこか雰囲気が似ている気がする。特に目つきが。アカネは眼鏡をかけていたが、それをはずして髪型をおかっぱにすれば、かなり似てくるだろう。

『アカネさん、いつも君のことばかり話してたよ。よっぽど君に気があるのね。最近、君が別な女の子と一緒にいるせいか、なんか不機嫌そうだけど』

 胸の奥が、少し熱くなった気がした。以前、同じような感覚を、喜与味と話してるときも味わった。自分が、誰かから関心を持たれていると気付いたときにえる感覚。

『そうなんですね』とありきたりな返事を、彼女にした。どう返していいか悩んだ末の結果だ。そこでしばらく沈黙が続いた。いや、元々店内は静かだが、彼女とのやりとりは止まった。

 しばらくして、再び彼女は筆を動かした。

『ところで君は、幽霊って信じる?』

 唐突な質問だった。僕は『いいえ』と答えた。幽霊をはじめ、占いなども信じてはいない。しかし、この森に来てからは、非現実的なことが起きていて、少し信じはじめているところもある。

『そう。信じる信じないは個人の自由だからとやかく言わないけど、でも幽霊はいるよ。あなたもいずれ、信じることになると思う。なにせこの<キヅキの森>には、いっぱいいるもの』

 この志摩冷華も、<キヅキの森>という言葉を知っていた。僕のスマートフォンを壊した末永弱音からでも教わったのだろうか。それよりも彼女の今の文章の中に確認したいことがあったので、僕は聞き返した。

『なにがいっぱいいるですって?』

『幽霊が。この森は本来、現実で孤独に耐えかねた人達が集う場所であり、死に場所としてここを選ぶ人が多数いるの。この森のあちこちで自殺する人が絶えず、その人達の霊が成仏しないまま、この森を彷徨っているの』

 さっきから、僕の背中の温度は著しく変化している。寒くなったり熱くなったり忙しい。なぜ僕はここへ来てしまったのだろう。早く家に帰りたくなってきてしまった。

『改めまして、あたしは小説家であり、霊媒師でもある志摩冷華。よろしくね』

 

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