第3話 赤い顔

 飛鳥達が宿屋で働き始めてから一週間が過ぎた。


 まずは、下働きとしてトイレ清掃から始まり、廊下やロビーの清掃、宿屋全体の清掃業務に従事していた。今日も、早朝から起き、仕事をこなしておりもうすぐ太陽もてっぺんに昇る頃だ。それなりに重労働ではあるが、住まい部屋付き三食付きとなれば文句どころか感謝の言葉すら出てくる。


「ふう……。疲れたなあ」


 額の汗を腕で拭い、モップを支柱代わりにして寄りかかりながらそう漏らしたのは飛鳥だ。彼は今、和弥と共に三階共同トイレのトイレ清掃をしていた。男子トイレの隣の女子トイレでは今、弥生とセシリアが清掃を行っているはずだ。セシリアは再遺書のうちは弥生のお手伝いということで一緒に清掃を行っている。歳が近いこともあってかそれなりに仲良くやっているようである。


「確かに、そろそろ昼時も過ぎてきたなあ。お昼ご飯まだかなあ」


 和弥も一先ず手を休め、飛鳥と同じように手にかけたモップに寄りかかっている。宿泊客の昼御飯の時間も過ぎたのでこちらもお腹が空いてきた。そろそろ、昼休みにできないかセシリアに相談するため、女子トイレのほうに声を飛ばした。


「セシリアー! そろそろ休憩しねえ?」


 飛鳥がそう尋ねると女子トイレの方から声が返ってきた。


「アスカですか、そうですね……。そろそろ従業員用の弁当も用意されてる頃でしょうし一旦休憩にしましょうか。カズヤもそれでいいですよねー?」


「いいよお」


 和弥も当然了承する。そして、男子トイレと女子トイレの両方からそれぞれ人影が出てくる。


「あんた達ちゃんとまじめにやってたの?」


 出てくるなり、第一声から疑いの声をかけるのは弥生だ。


「やってるっての。お前は俺らの母ちゃんか」


「半分保護者みたいなもんだっての。子供の時からあんたたちの凶行でどれだけ私が苦労させられたか。たかだか一歳お姉さんなだけでさ」


 弥生は嘆息気味にぼやいていたが、セシリアが興味深そうに弥生の顔を覗き込んだ。


「あれ? ヤヨイは同い年じゃなかったんだ?」


「私は十九歳。この手の掛かるガキンチョ達は十八歳なの。お姉さんとしてはもうちょっと楽させてほしいんだけどさ」


「へえ。意外だね」


 移動しながらも感嘆の意を込めながら今度は飛鳥と和弥の方へ顔を向ける。


 和弥はのんびりとペースを崩さず移動するのみだが、飛鳥は少しだけたじろいだ。


「な、なんだよ?」


 セシリアは少しばかり笑みの色が強くなった。


「いやあ別に? 飛鳥や和弥は年上趣味なのかなあって。ちなみに私は二十歳、一番お姉さんね」


「い、いや別にとりわけ年上派というわけではないぞ。それと、飛鳥は悔しそうにするな。変なところで対抗意識出すな」


「俺は年上派だなあ。セシリアも結構好みだなあ」


 そうのんびり答えるの和弥だ。そののんびりとした答えとは裏腹に今度はセシリアが顔を赤くしたじろいだ。


「え? 私が好みって? え? いやそんなあ……照れるなあ」


「なにこれ? いい雰囲気なの? なあ?」


 突然の変な空気に飛鳥は素に戻り、弥生の方に話を振るが、弥生は弥生で我関せず、話を振るなという素振りを見せている。


「私に振らないで。別に誰が誰を好こうがどうでもいいでしょう」


「そりゃそうだが……」


 そうこうしているうちに微妙な空気のまま従業員用の個室の食事スペースまでやってきた。


 そこまで、微妙な空気間のままだった飛鳥のグループはテーブルに置かれた人数分の弁当を見たらいくらか回復した。


「お? 今日も美味そうだな」


「そうだねえ。もう一週間たったからだいぶ慣れたけど最初は怖かったけどねえ」


 そう。弁当の中身はカラフルな漬物や野菜が色鮮やかに敷き詰められており、飛鳥達の世界で言うご飯のような食べ物が弁当箱の半分を詰めている。このカラフルなおかずというのは飛鳥達の世界では見たことないようなものばかりであったため最初は恐る恐る食べていたのだが何度か食べてみると美味しくなってきたのだ。

 そして、全員がテーブルに着くと手を合わせ「いただきます」と一斉に食べ始めた。ちなみにこの「いただきます」の風習は元々この新龍王国にはなかったのだが飛鳥達が宿屋で働き始めた初日に自然にこの動作をしていたのをセシリアが見て気に入ったのか真似したところから宿屋全体まで広がっていった。セシリアの父親であるジャック・ホーネストにも大変好評で「感謝の気持ちを表したいい風習だ」と言って王国全体に少しずつ広めていきたいと考えているようだ。


「ところでさ、和弥はセシリアのどこが好みなの? 胸?」


 食べ始めて少ししてから弥生が和弥に先ほどの話の続きを振った。突然の話題にセシリアは顔をわずかに赤くして自らの豊かな胸を隠すように抑えた。弥生は空気が戻ったからなのか先ほどは嫌な顔をしていた割には今は興味津々である。おそらくいはただの野次馬根性に近いものだろう。だが、当の和弥は何とも思ってないかのように自然に答えた。


「えーとね、別に胸が大きいのも嫌いじゃないけど具体的に理由があるわけじゃないよ、なんとなく? こう見た目とか仕草とか髪の色とかなんとなく良いと思うんだよね」


「えっとその……あんまり友達とかいなかったし人から褒められることも少なかったからその……ありがとう」


 それっきりセシリアは顔を下げてしばらく固まってしまった。


「なんか聞いた私がアホだった。あーやだやだ何またいい感じになってるの?」


「いいだろうさ。別に悪いことじゃないよ。むしろ和弥が誰かに興味を惹かれることがあることのほうが驚き。いつものんびりしてるからな」


 弥生と飛鳥はお互い団扇で自分の顔を仰ぐように自分の手を仰いだ。


「飛鳥は酷いなあ。確かにのんびりとはしているけど、ちゃんと人並みの感性はあるよ」


「知らなかったよ」


「酷いなあ」


 そしてこの後また別の無駄話で盛り上がり、しばらく顔を下げていたセシリアもしばらくして顔を戻し食事に戻ったがどことなく心あらずという感じであった。


 それから30分後


「おい、セシリアいるか?」


 食事スペースのドアがノックと共に開かれると同時に現れたのはジャック・ホーネスト、セシリアの父親だ。


「あ、お父さんどうしたの?」


 さっきまで心あらずの状態から即座に戻り、返事をした。まるで先ほどのことなど全くなかったかのような平常心だ。


「俺はこれからちょっと城に行ってくる。仕事だ。それでセシリアにもついてきてほしいんだ。少しだけ大変そうなんだ」


「え? 今から、別にいいけどそんなに大変な仕事なの?」


 セシリアがそう聞き返すと、ジャックは重く頷いた。


「そうだ、仕事内容はさすがにこの場では話せんが少しばかり大変な仕事になりそうだ。うちの人間も数人連れていく」


「そっか……。でもそんなに連れて行ってその間のこの宿の経営はどうなるの? まだ一週間目なのにこの三人にはきついんじゃない?」


 そう言ってセシリアは飛鳥達三人を見た。


「まあ、最悪はベテラン組に頑張ってもらえれば大丈夫だろう。それでも、君ら三人には頑張ってもらうことにはなるだろうが仕事場にも慣れてきた頃だろうしなんとかなるだろう」


 そう言うと、ちろりと飛鳥達を横目に見た。それを見てセシリアはそっと少しばかり手を挙げた。


「あのさ父さん……」


「なんだ?」


「和弥達を連れていくというのはなし? 少なくとも腕っぷしは頼りになると思うけど」


 そう、セシリアは飛鳥達を連れていくことを提案したのだ。まず最初に和弥の名前を出すのはさすがというべきか。

 提案したセシリアに対しジャックは難色を示している。


「飛鳥達を? 馬鹿を言うな。彼らは一般人だぞ」


「いや、この宿で働くならこういう経験も早めにしておくべきだしやっぱり今連れていくべきだよ。最前線で仕事しなければ大丈夫じゃない? ねえ、お願い!」


「まあ、セシリアの言うことも一理ある。いずれは魔法か錬金術を身に付けさせて実戦経験を積ませるつもりではあったが」


「なら、決まりね!」


「仕方ないな」


 二人の間で話が決まると改めてはっきりと飛鳥達に振り返った。


「今の話聞いてたでしょ? 今日の仕事はこれから野外研修ね!」


「まあ、働かせてもらってる以上文句は言わないし、聞き慣れない単語がいくつか聞こえてきたのも後で聞くとしてちょっと今から出るのは厳しいぞ」


 飛鳥から予想外の拒否の言葉が出てきて思わずセシリアはキョトンとしてしまった、隣の和弥や弥生も同調するように頷いている。


「あれ? なんで?」


 そう問いかけると、飛鳥は切実に深刻そうな顔をしながら――


「まだ弁当を食べきっていない」


 セシリアはぷっと吹き出し口元を手で押さえた。


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