◎毒の甘さはこの体が憶えている。

 露店の並ぶ通りを歩いている時のことだった。


「お兄さんたちー、チョコはいかが?」


 二十代前半ぐらいの女性がレイとサンに話しかけてきた。

 彼女はお盆を持っていて、その上には一口サイズのチョコレートが何個か並んでいる。


「お、うまそうだな。ひとつ貰ってもいいのか?」

「どうぞどうぞ。試食して行ってください」


 サンは遠慮することなくチョコをひとつ口に入れる。


「美味しいぞ。レイも食べるか?」


 もうひとつ手に掴んだチョコとを、サンがレイの口に近づけてくる。

 嫌そうな顔をすると、サンはカラカラと笑った。

 レイはお盆の上のチョコをひとつ取り、口に入れた。


(……甘い)


 固くカリッとした歯ごたえのあるチョコだった。口のなかにじんわり広がるその甘さはミルクチョコレートだろうか。甘党のサンなら喜ぶだろうが、レイには甘すぎた。


「おまえは見かけのわりに、大人舌だもんな」

「いや、大人舌ってなに? 味覚に大人も子供もないと思うけどね」

「そうかそうか」


 サンははちょっと楽しそうにカラカラと笑う。

 しばらく行くと、今度は十代中ごろの少女に声を掛けられた。


「ねえねえ、お兄さんたち! チョコの味見をお願い!」

「お、いいぞー」


 甘いもの好きのサンがいの一番にチョコレートに手を伸ばし、口に入れる。


「甘くておいしいな!」

「君も食べてよ!」


 レイの見た目は少女と同じ年ぐらいだ。期待のこもった眼差しをしている。

 お盆の上にあるのは形の歪な白いチョコレートだった。

 ひとつ手に取り、口に入れる。


(……あっま)


 ホワイトチョコレートは、ミルクチョコレートよりも甘かった。


「どう? 美味しい? 男の子でも食べられるかな?」

「……うん、いいんじゃない?」

「ありがとう!」


 嬉しそうな笑顔で、少女は去って行く。


「にしてもさっきからなんだろうなぁー。甘いお菓子をくれるの嬉しいけどよ、なんでみんなしてチョコ?」


 頭に巻いている白いタオルの位置をいじりながら、サンが呟く。

 周囲を見渡していたレイは、ふとひとつの張り紙に気がついた。


「あれじゃないかな」

「どれだー?」


 レイの指さした先には、複数の張り紙があった。


『大切な人にチョコレートを』

『思いを伝えるならいま! チョコレートがおすすめ』

『手作りチョコのススメ。一番の愛を伝えるならやっぱり手作りよね!』

『手作りチョコレートコンテストは○月×日、○×広場で行います! 参加は自由!  特別なチョコレートで世界を目指そう!』


「チョコレートコンテスト? へえ、明日か。だからみんな気合入れてチョコを作ってるんだなぁ。明日暇だよな? 寄って行かないか?」

「いいけど、審査員にはなれないんじゃない?」

「いやいやよく見てみろって、審査員も参加自由って書いてあるだろ?」

「ほんとだ」


 自由すぎるでしょ、というツッコミはやめておいた。大人とは思えないほどキラキラと目を輝かせているサンの様子を見て、水を差しては悪いと思ったからだ。

 それからも宿へと戻る間、レイとサンはさまざまな女性からチョコレートの試食を頼まれていた。

 甘いもの。苦いもの。

 とろけるもの。硬くて嚙めないもの。

 綺麗な形のもの。歪な形のもの。

 すこしお酒の入ったものや、ロシアンルーレットのように辛いものがまじったもの。


「どれが一番おいしかったんだ?」

「……さっき貰った苦いものかな」


 サンの問いに、レイは答える。手作りチョコレートのほとんどが甘くって、ついさっき大人の女性からもらったビターチョコレートが唯一の救いだった。


「オレには苦すぎたけどな。お口直しに甘いの食べたいぜ」

「……よく食べるね。僕はもうお腹いっぱいだよ」


 宿に戻ったら夕飯もあるというのに、チョコレートの甘さと相まってレイは少しの気持ち悪いさを感じていた。


(一度死んだら、この気持ち悪いさも消えるんだけどね)


「おーい。ねえねえ、お兄さんたち」


 またかという思いでレイが、待ってましたとばかりにロンが、それぞれの面持ちで振り返ると、そこにはフードを被ったレイと同じぐらいの背丈の少女がいた。少女と断定するにはフードを深く被っているので定かではないが、少女らしい高さのある声だから多分少女だろう。


 黒いフードの下で、紅い髪が揺れている。

 血よりも紅い髪色だな、とレイは思った。


「これを食べてくれないかな?」


 お盆の上には丸い形のチョコレートがあった。


「トリュフっていうチョコだよ。大切な人にあげたいんだけど、初めて作るから味にあまり自身がないんだよね。だから、ほら」


 ずいっと少女はお盆をレイの目前に押し付けくる。


「あなたに食べてもらいたいんだ」


 レイは訝しみながらも、断ろうにも断れずに、さっきまでと同様、ひとつつまみ口に入れる。

 ココアパウダーでコーティングされているチョコを歯で噛むと、中のトロっとしたチョコレートが舌先に当たった。


(甘い。甘いけど、これは……!)


 この味をレイは知っていた。


「じゃあオレも……」


 甘いもの好きのサンがチョコをひとつ取ろうとした瞬間、レイの手が伸びてお盆をひっくり返す。


「まあ」


 目を大きく見開いた少女が、口元を手で覆う。


「おいおい、なにやってんだよ、レイ。食べ物を粗末にしちゃいけないんだぞ。……て、あれ、おいっ、レイ? どうしたんだ!?」


 レイを注意しようとしたサンが振り返った時にはもう、レイは地面に倒れていた。

 

(ああ、しまったな)


 レイはこの味を知っていた。とても良く知っている味だった。

 全身を冷たくする、普通の人間なら緩やかに死を迎えることのできるこの味を。

 チョコよりも甘い――の味を。

 

 視線の先には紅い髪の少女がいる。

 フードを被っているから表情まではわからないが、その口が三日月形に開くのを、薄れる意識の中でレイは確かに見たのだった。


(猛毒だったらすぐ死ねたのに)

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