◎マザー・パニック。(二)


「うそっ」


 短く悲鳴を漏らし、マザーが目を見開く。寝間着姿の彼女の瞳に映っているのはレイではなく、その先――真っ赤に燃える平屋建ての孤児院だった。

 木造の建物は、よく燃えている。火が回るのがもうすこし早かったら、みんな火だるまになっていたかもしれない。


 レイは、そっと辺りを見渡した。

 ぐっすりと寝ていたはずの、真夜中。外に逃げ出してきた子供たちは、なかにはまだ眠たい眼をこすって状況を理解できていない子供もいるけれど、ほとんどの子供たちが燃え盛る炎を見ていた。

 その人数を数えて、レイははっとした。

 マザーも気づいたのだろう。あまりもの衝撃に、彼女はへたり込んで地面に手を付けていた。呆然とした顔が、レイを見る。


 この孤児院で預かっている子供は、十二人。

 外に逃れた子供は、十一人。

 一人足りない。

 誰がいないのかは明白だった。

 いつもうるさいイタズラ小僧の、モトの姿だけが見えないのだから。


 火は、どんどん強くなっていく。

 孤児院を飲み込んだ炎は、火の粉をまき散らし、隣の教会に燃え移る勢いだ。

 遠くで警鐘が聞える。火に気づいた周辺住民が、消防に知らせたのだろう。

 だけどもう遅い。消防は間に合わない。孤児院はもう燃えているのだから。もしこの中に、モトがいるのであれば、間に合わない可能性が高い。


 レイはため息をついた。

 そして歩きだす。


「レイお兄ちゃん?」

「ミド、マザーの傍にいてあげて」


 子供たちの中で一番元気そうなミドにレイはそう伝えると、炎に向かって歩きだす。

 ――僕は、不老不死だからね。何度死んでも、モトは見つけるよ、マザー。



 モトは、なんとか一命をとりとめた。だけど、火種の一番近くにいたため、火傷は免れず、煙も大量に吸っていたものだから、いつ目を覚ますかわからない状態だと、先生が言っていた。

 子供たちは安堵の顔をしていたけれど、マザーはというとしばらく放心したままだった。


 それもそうだろう。今回の火事で孤児院はやけ崩れ、教会も半焼。子供たちの大半は体調を崩し入院。そしてモトは重症でいつ目を覚ますかわからない状態。運よく煙を吸い込まなかったマザーだけが、一番健康体なのだ。

 レイだけではなく、子供たちも心配して、医者が言葉を濁すほど、いまのマザーはあまりにもやつれて酷い顔をしている。


 ぼんやりとした思考で、レイは考えていた。

 あの夜、もしレイがきちんとマザーが好きなものを伝えていたら、火事なんて起こらなかったのではないだろうか。

 マザーが好きなのは、キラキラしたきみたちの笑顔だと、きちんとモトに伝えていれば、モトは意識不明の重体にならなかったのではないだろうか。


 火元を見たレイは知っている。

 モトは、昨日町に花火を探しに行ったのだ。彼はお金を持っていなかったため、花火はどこかから盗んできたのだろう。

 彼は、マザーが好きなものが「キラキラしたもの」だと聞いたとき、空に浮かぶ月や星と同じぐらい近くで輝くことができる、打ち上げ花火を思いついた。

 それがあれば、マザーが笑ってくれるかもしれないと。

 マザーはいつも怒ってばかりいるけれど、とても優しいのだと子供たちは知っている。

 大好きなマザーにいつも笑ってほしいから。モトは、自分の知恵を振り絞って、マザーの大好きなキラキラとした花火を見つけた。


 それが思わぬ結果になってしまった。

 花火は夜のほうが綺麗に見えるからと、花火を夜に打ち上げようとしたのだ。

 モトはまだ十歳にも満たない子供だ。そんな彼が、花火の使い方をちゃんとわかっているとは思えない。孤児院の貧しい暮らしで、子供たちはあまりそういう遊戯に触れてこなかったのだから。


 火種は建物に引火した。木造の建物だ。火の手はすぐに広がり、火元の一番近くにいたモトは、自力で逃げようとしたのだろう。彼は、炎がぼうぼうと燃えている近くで見つかった。幸い、外に逃れようとしていたのが幸いしてか、火傷はしていたものの酷いものではなかったが、煙は大量に吸い込み意識を失っていた。

 もし発見が遅れていたら。火元の一番近くにいたモトは、爆発に巻き込まれてそれこそ帰らぬ人となってしまっただろう。


 運が良かった。

 だけど、それでもやっぱりレイは。

 浅く深呼吸をする。

 考えにとらわれ過ぎると、こちらの精神がやられてしまう。

 レイは、感情を割り切るためにもう一度、今度は深く深呼吸をした。


 よし。と、レイは、傍にいるマザーに視線を向けた。

 ここはモトのいる病室だ。重症なモトだけ少し特別な部屋にあてがわれている。この病院も大きいところではないので、他の子供たちは近くにテントを張ってそこで寝起きしている。


「マザー」


 レイは小さく彼女を呼ぶ。

 顔を上げたマザーは、やつれた顔になんの感情も浮かべていなかった。

 もう怒る気力も、それこそ笑う気力もないのだろう。けれど、同時に彼女はあの火事から泣き顔すら見せてくれなくなった。

 とても悔しくて、苦しくて、つらいはずなのに。

 まるでぽっかり空いた穴を抱えているようで、レイは口元にうっすらと笑みを浮かべながら、彼女に言った。


「泣いていいんだよ?」

「……」


 口をきつく引き結び、マザーは首を横に振った。

 そんな彼女に、レイは少しきつめに言う。


「家が全焼して、モトがこんなになってまで、やっぱりマザーは感情を押し殺す方が正しいと思うの?」

「……そうしないと、子供たちを護れないから」

「いつも怒ってるくせに」

「……あれは、どうしようもなくて」

「そうだね」


 静かに響く声に、マザーはやっとレイの瞳を見つめた。

 レイは、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


(本当は、これ以上干渉するつもりなかったんだけどなぁ)


 半年以上前、レイはたまたま孤児院の前を通りかかった。その時のレイは、旅をしていた、とは言ったものの行く宛もなくただ歩いていただけだった。この死なない体は歳をとらず、老けることを知らない。ただ悪戯に生を持続するだけだ。ご飯を食べなければお腹がすくし、眠らなければ頭がぼうっとする。それでも、レイは半ば生きることを諦めて、ご飯を食べず、睡眠もとらずに、ただ歩いていた。途中、栄養失調や体の不調から何度か死んだけれど、それでも体は元通り何事もなく治った。それが恐ろしいと、数十年ぶりにレイは実感していた。


 そこで出会ったのが、あのマザーだ。孤児院の前をふらふら歩いていたレイを見つけると「ちょっと、あなたご飯食べてないの? 隈も酷い。寝てないのね。いいから来なさい」と、抵抗する前に彼女はレイの腕を引っ張って、なけなしの食事と温かい毛布を与えてくれた。


 そのあと何度か孤児院を抜け出そうとしたけれど、その度にマザーに見つかり。抜け出すのを諦めたレイは、半年だけここにいようと思った。年をとらないレイは、長い間同じところで暮らしているとどうしても目立ってしまうのだけれど、半年や一年ぐらいなら平気だろうと。


 マザーには恩がある。その恩はいま返すべきだろう。

 泣かないのなら、ちょっと怒らせてみよう。レイはそう思った。

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