1987年生まれの僕が「ゆとり」について改めて考えてみた。
鶴田昇吾
はじめに
2016年5月。ここ最近よく「ゆとり」という言葉を多くのメディアで耳にするようになり、テレビドラマでもテーマとして大きく取り上げられた。何気なしにそんなことを客観視していたのだが、その中である数字を目にした。
「1987年4月生まれ。」
「俺?」
初めはなぜ自分の生年月日がメディアで取り上げられているのか不思議だったのだが、テレビドラマの中の主人公も1987年生まれという設定。つまりはこの年に生まれた人間はこう呼ばれるのだという。
「ゆとり第一世代」
僕自身これまであんまり気にはしていなかったものの、「ゆとり」「脱ゆとり」という言葉を聞き、更に1987年生まれは今年20代最後の記念すべき年(個人的な意見なのですが。)となる今このゆとり世代について改めて考えてみようとなんとなく思ったのでした。
尚、ここに書かれることは全て僕の持ち合わせる限りの知識と経験、そして「個人的に思ったこと、考えたこと」によるもので、全ての「ゆとり世代」に当てはまるわけでもなく一般的なものとかけ離れている部分も多々あると思います。そもそも「ゆとり世代」自体には明確な定義がないらしく、話題の1987年4月生まれの一人の徒然なる文章だと思って読んで頂けたら幸いです。
同い年で共感できる人がいれば嬉しいし、「自分はぜんっぜん違う!」という意見もあるだろうし、こういう人間もいるんだなと思って頂けたらと思います。
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