お前が世界の中心だ

和錆

第1話 切り抜かれたラストの話

 俺ののどかな休日のひと時を突如打ち砕くものはふたつある。

 ひとつは、一つ屋根の下で生活をともにしている仲間たちの他愛ない喧嘩。貴族として血筋はいいのに生まれるのが遅かったという理由でこの国立ノウレッジ学園の寄宿舎にぶつこまれることになった連中たちは、年季が短ければ短いほど些細なことで喧嘩をする。先生方もなれたもので、そういった連中の仲裁――という名の鉄拳制裁になることもままあるのだが――を、俺に依頼してくる。ようするに俺はこの寄宿舎での監督役をおおせつかっているのだ。

 もうひとつは、同室である人物の他愛ない勘違い。


「あ、」


 今日は後者のほうらしい。

 ぽつん、と落ちてきた言葉に、夢の世界と現実の間をふらふらと行き来していた意識が現実へと引き戻される。ベットに腕枕をして寝転がっていた俺は寝返りを打ってそちらを見る。なにごとか、と質問する前に、さっきから黙って椅子に姿勢正しく座り、分厚い雑誌を読んでいた同室のサフィールもこっちを見てきた。年の割りに幼く見える整った顔の、青みがかった目を辛そうに悲しそうに細めて。

 その顔の前には雑誌が広げて掲げてあるにも関わらず。

「ん?」

 つまり、こういう事だ。

 俺とサフィールは目が合った。サフィールが雑誌を掲げているのに。――サフィールは分厚い雑誌の一ページだけを俺に見せるようにしていて、そのページの下の右半分がカッターナイフで丁寧に切り抜かれたように四角くなくなっていて、だから目を合わせる事ができた。というわけだ。

 しかし、だからといって何故そんな哀れな声を出す必要がある?

「どうした?」

「……、ラストが」

 ぼそりと呟くようにいうサフィールの言葉を直訳すると、俺に一から十まで打ちひしがれている理由を話す気力がない、と、そういう事らしいので俺のほうから動いてやるしかないようだ。仕方なく、よいこらしょとベットから起き上がる。そうしてサフィールの前までやってきて雑誌を見下ろすと、……なるほど、彼の言いたい事が分かった。

 と同時に、あぁ、と嘆息が心の中で落ちるのも聞いた。どっちも俺の本音だ。

 ラスト、というのは漫画のラストのことだ。サフィールが開いているページに掲載されている漫画のラスト、しかも雰囲気的に結構重要で大事そうな場面のコマが綺麗に切り取られている。まるで、ここで誰が何を喋ったのか想像してください。とでもいわんばかりに。

「――……なあ、サフィール」

 漫画から視線をあげる俺とは正反対に、サフィールは俯いてしまった。

「この間、エヴァンに掃除をかわってくれと言われたのにかわらなかったからか?」

 おいおい。

「それとも、ジョンの部屋の前にゴミ袋が置いてあったのに無視したからか?」

「いや、エヴァンのあれは単にあいつが面倒くさくて押し付けようとしただけだろ。ジョンのも、別にお前に持っていかせようとしたわけじゃなくて、後で持っていくつもりだったんだと思うぞ」

 はじまった。と呆れ混じりに思いながら、口だけは冷静に突っ込む。

 が、サフィールはふるふると首を横に振る。小動物が全身を小さく振るわせるような動作だった。可愛らしいし庇護欲も沸くが、自分がその仕草に踊らされているのもまざまざと感じてしまう。


 サフィールの性格を一言で現すと、「被害妄想癖」「悲観主義者」だ。


 ただ、こいつの被害妄想で一番偉大で同時に一番厄介なのは、その妄想や悲観さが他者へと向かわないことだ。

 たとえば今回の切り抜きにしたって、俺はエヴァンが犯人だともジョンがしでかしたとも思っていないし、仮にそうだとしても掃除をかわらなかったりゴミを出さなかったぐらいでサフィールが仕返しを受けることではない。が、サフィールの思考回路では自分の気が利かなかったから、ですべてが集約されてしまう。エヴァンの面倒くさがりも、ジョンの用意周到さもすっかり忘れて。全部が全部、サフィール自身のせいになってしまうのだ。

 いっそこいつがはた迷惑なほうでの「被害妄想癖」ならよかったんだろうに。と、思わなくもない。

 そうすれば確実に俺は、サフィールに積極的に関わろうとは思わなかっただろうから。

「まあ、今回のは絶対に違うと思うぞ。ほら、裏側を見てみろ」

 俺の指摘にサフィールがページの裏側を見る。

「懸賞の応募の説明が書いてあるだろう? お前、裏側を確認しないで切ったんじゃないのか?」

 たまにある事だ。裏面にも印刷があるのを忘れて切り取ってから、裏面にも大事なことが書いてあったのに気づく。

 きょとんとサフィールが目を瞬かせる。とりあえず証明終了。お前に恨みを持ってお前に嫌がらせをしたくて、こんなことをした奴がいるわけじゃない。ふわりと頭の隅から戻ってきた眠気にあくびをひとつ落として、耳の近くで跳ね返っていた寝癖を指先でくるりと巻いていじりながら、俺はベットに戻る。

 ベットの縁に膝をかけたところで、戸惑いがちな声が背後で聞こえた。

「でも――、懸賞なんて、送ったことないけど」

 ……、む。そうだった。

 月刊で雑誌を買っているこいつは基本、自分が気に入っている漫画しか読まないのだ。確かに同室になってもう三年は立つが今まで一度も懸賞を出しているところなんて見たこともない。証明続行か。またこみ上げてきたあくびを今度は奥歯で噛み殺す。身体をくるりと返して、ベットの縁に腰をかけた。

「じゃあ、お前の手元に来る前にはもうハガキが切り取られていた――……、っていうのはなしだな。うん、忘れてくれ」

 寄宿舎とはいえ、貴族の次男や三男ばかりが集められているこの場所の自由度は意外と高い。申請書を出せば自由に外に出て行けるから、町に行って雑誌を買って来ることも出来る。が、サフィールは確か定期購読派だ。毎月寄宿舎に郵送で送られてくる。

 つまり、その雑誌のページがすでに切り抜かれていたら――。

 椅子の上でサフィールの身体がちいさくなった。

「や、やっぱり俺が――」

「違う。それは断じて違う」

 きっぱりと否定してから俺は、サフィールがもっている雑誌を改めて見て首を傾げた。

「そういえばお前、それって先月号だろう?」

「……あぁ。先月忙しくて読み忘れてて」

 サフィールにしては珍しい事だ。いつも発売当日には読んで、二日ほど暗記するほど熟読してから次の週のゴミだしに出すのが常なのに。

 が、すぐにその理由を俺は思い出した。

 そうだ。先月といえばサフィールの実家でちょっとした厄介事が起こったそうで家に帰っていた時期だ。

 いきなり寄宿舎に電話がかかってきてサフィールを迎えに行く旨が伝えられ、慌しく寄宿舎の玄関から出て行くサフィールの背を見送ったのだった。その数時間後にサフィールから電話がかかってきて、雑誌を食堂に忘れたから回収してほしいと頼まれたのだ。

「あの雑誌か?」

 俺が食堂に行った時には雑誌はぽつんと食堂のテーブルに置かれていたけれど。

 顎を引いて頷いたサフィールはすくりとベットから立ち上がった俺を上目遣いに見上げてくる。

「? どうしたんだ?」

「ちょっとトイレだ」

 なにか、あともうちょっとで思いつきそうだった。

 それに正直、ここで浮かないサフィールの顔を見ながら考えていても妙案が浮かぶとは思えなかったのだ。



 部屋を出て階段を下り、一番遠いトイレで用を足して、ゆっくりと来たときよりものんびりとした足取りで部屋に戻りながら考える。

 もちろん部屋がある階にもトイレは常設されているが、そこにいって戻ってくるまでの短い時間じゃサフィールを納得させられるだけの話を思いつけないと思ったからだった。だったら立ち止まって考えればいい、とはいかないのだ。たまたま気分で別の階のトイレにいった――その階のトイレの窓から綺麗な花壇が見えるとか、適当な言い訳とセットにして遅く部屋に戻るのならサフィールは気にしないだろうが、廊下で立ち止まって物思いに耽っていたとばれれば気に病むだろう。

 妄想のスイッチは案外簡単に入ってしまうのだ。

 厄介極まりないが、それがあのサフィールであり。俺がつい手を貸してやりたくなる奴の本性なのだから仕方ない。

 さて。と、濡れた手を拭っていたハンカチを折りたたんでズボンのポケットにしまいこんでから、俺は頭の中のテーブルに広げていた事を思い返してみる。

 今回の雑誌の切り取り。ハガキが目的なのは、いうまでもない。

 サフィールは雑誌を定期購読している。つまり、寄宿舎で生活している生徒に届いた郵便物を配っている人間なら、サフィールが雑誌を買っているのは誰でも知っている事なのだ。たまたま懸賞の商品がほしいもので、でも雑誌を買ってまで懸賞に出したいとは思わなかったから、サフィールにばれないように雑誌を切り取った。というのはどうだろう? しかも、サフィールの行動を把握していたのなら、廃品回収に出すのなら切り取ってしまってもいいだろうという判断で、別にサフィールへの悪意はない。

(――……、でもなぁ)

 雑誌が食堂に置きっぱなしになっていたとはいえ、廃品回収に出していたものではないのだから、それを勝手に切り抜いたりしたら駄目か。

 そうそうもっともらしい話はでっちあげられない。俺はこめかみを掻きながらため息をつく。

 人はなんだかんだで他人に迷惑をかけながら生きているものだ。それを可能性にいたるまで全部ひっくるめてなかったことにして都合のいい解釈を探すのはいつもの事ながら至難の業だった。きっと俺がこんな風に頭を悩ませているのを知ればそれはそれでサフィールは申し訳なく思うのだろう。目に見える悪循環。またため息をつきたくなる。

 と、ちょうどその時。食堂に差し掛かった時だった。

「おい、これ。借りてたやつ、返すから」

 食堂の中から聞こえてきた声になんとなく目を向ける。

「あぁ、いえ。どういたしまして」と言いながら生徒が受け取っているのは偶然にも今回の問題となってる漫画雑誌、しかも先月号だ。小脇に抱える彼に、上級生らしき生徒が首を傾げていた。

「あの懸賞出さなかったのか?」

 質問にきょとんと丸くなってから、ふらりと泳いでそれる眼差し。

「えっと、その……」

「代わりに俺が出してもいいか? って言いたいけど、締め切りすぎてるんだよな。それ。もったいないことするよな、お前。抽選で十名様だっていうけど、当たるかもしんねェのに」


 そうだ。……いっその事、俺が黙って懸賞に出したって事にしようか。


 食堂の会話を背後に聞き流しながら思いつく。

 が、でもこれは最終手段だ。とすぐに頭の隅っこへとのけた。念入りに想定される会話を検討しておかないと、ボロがでてしまいそうな気がしたので。


「あ、悪い。サフィール。よくよく考えてみたらそのはがきを切り取ったのは俺なんだ。いや、本当に悪かった」

 ――と、言ったとして。

「懸賞、そんなにほしそうなものはなかったけど?」

 と、聞き返されたら頷くしかない。

 切り抜かれたページの上に書いてあった景品は折りたたみ式自転車だった。確かにそんなにまでしてほしくはない。

「いや、運試しだよ。運試し。ちょっと応募してみたかったんだ」

 と、誤魔化すのもあまりよろしくないだろう。

 不審がるだろうし。

 そもそも俺は運試しなんてするような性格じゃない。気まぐれだと言えば言い逃れできるかもしれないが、微妙なところだ。いつもの俺が自然と当たり前にやりそうな事で、聞いているサフィールがちゃんと納得しそうな事があればいいのだが。


 と、廊下の先からゴロ、ゴゴロとぎこちなく途切れがちに低く音を響かせながら郵便配達用のワゴンを押して誰かがやってくるのに、遅ればせに気づいた。ずっと床を見下ろしながら歩いていた俺が顔を上げると、眼が合う。男は――、今日の寄宿舎内の郵便配達をおおせつかったらしい同級生は、手を持ち上げる。

 やあ、どうも。という挨拶にしては、顔が微妙に引き攣っていた。

「あ、よかった。手伝ってくれないか? なんか凄い荷物が来てさ、大変なんだよ」

 言われてみれば、さっきのワゴンの音はいつもとは違っていた。もう少し軽快に動く車輪の軋んだ音がなんとも重たげに響いていた気がする。

 近づいてワゴンの中を見ると、理由は一目瞭然だった。ダンボール、である。それもただの、たとえばゲームソフトの通販のようなお手頃サイズではなく、大の大人が両手で抱えられるかどうかという大きさだ。それに見合うだけの重さもあるだろう。

「どうしたんだ? これ」

 上から観察していると、ダンボールの側面に見慣れたロゴが印刷されているのに気づいた。――本日三度目。自室で、食堂で、同じものを見た。

「懸賞だとよ」

 面倒くささをありありと表面に出して答える同級生に、俺は視線を持ち上げる。

 自覚があった。きっと今の俺は笑っているだろう。

「誰宛なんだ?」


   ◇◆◇◆


「ほら、」

 言ってずいっとサフィールの前に雑誌を差し出す。サフィールが定期購読している雑誌の先月号。

 同じ表紙の雑誌を手持ち無沙汰にただ膝に乗せているサフィールが不思議そうに目を丸くした。

「え?」

「食堂で間違って持って帰ったんだと。お前にすまないって謝ってたぞ」

 これは、嘘。

 でも、サフィールに必要なのは絶対的な過去でも真実でもない。誰もサフィールのことを傷つけようと思っていないことの証明と根拠。だから何が何でも本当の事を語らなければならないわけじゃない。


 事実は、こう。


 とある生徒は雑誌を全部読んだ後で応募ハガキを切り抜いた。

 その後で先輩に雑誌を貸してくれと頼まれたのだが、その先輩が大好きな漫画の裏面にあるはがきを切り抜いてしまったと知っている生徒は自分の雑誌を渡せずに近くにあった同じ雑誌とすり替えて先輩に渡した。――彼曰く、「全部読み終わってると思ってたんだよ。だってあいつ、いつもすぐにゴミに出してるから」だそうだ。

 ――でも、今回はそうじゃなかった。

 実家からの呼び出しを受けたサフィールはまだ、雑誌を読みきっていなかったから。

 サフィールが席を離れて、その席に置き去りにされていた雑誌を俺がとりに行く間に、生徒の勘違いで雑誌は刷りかえられた。サフィールの繰り返される毎日があの時も同じように続いていればきっと分からなかっただろう。すりかえられた雑誌はそのままゴミに出され、灰になっていた。証拠隠滅だ。

 サフィールの眼が差し出されている雑誌と俺の顔を交互に何度も往復する。やがて小さく顎を引いて差し出された雑誌を遠慮がちな手つきで受け取ると、大きく頭をさげた。

「あ、ありがとう……?」

 何に感謝しているのかいまいち分かっていないような言い方に、俺はほがらかに笑う。

「まあ、たまにはこういう事もある。気にするな。謝っていた奴には俺が物凄く怒っておいたから」

「……あぁ、そうする」

 聡い大人の忠告に素直に耳を傾ける子どものあどけなさで応えるサフィールの頭をくしゃりとなでてからベットに戻った。寝転がって、目を閉じる。


 ――、事実はちょっとだけ違う。


 雑誌をすり替えた奴は申し訳なさそうにはしていなかった。

 どうせ捨てるのだし、たった一ページ切り抜かれているぐらい問題はないだろうと言っていた。

 彼が雑誌を貸した先輩と同じようにサフィールもその漫画を楽しみにしていて、ラストが切り抜かれているのにがっかりしていたのを話しても、ちょっと怯んだぐらいで態度はほとんど変わらなかった。

 口には出さなかったけれど、あんな不特定多数が行き交う食堂で雑誌を忘れていくほうが悪い、と言いたげだった。


 サフィールには言わない。


 いえば、サフィールは頷くだろう。あっさりと。腹立たしいほどに潔く。生徒の自己保身の裏返しとして突きつけられているだけの言いがかりを真正面から受け入れて、悪いのは自分だと認めるだろう。――そんな事は、俺が許さない。あの生徒にとって先輩が大事でサフィールがどうでもいいように、俺にとってはサフィールが大事であの生徒も先輩も事実もどうでもいいのだから。



 ぱらり、と乾いたページのめくれる音が聞こえた。



(終)

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