◆258



悪臭───と一言で言っても様々な種類がある。

今わたしの鼻を突き刺す悪臭は今まで嗅いだ事のないタイプ.....腐っている途中と言うべきか、常に溶け続ける皮膚と思われる部分から蒸気にも似た煙をあげ、眼の奥まで響く刺激臭が漂う。


「くっせーな......アイツ空間で何飼ってるんだよ」


顔をしかめ鼻をおさえるようにし、わたしは溶け続けるそれを見た。

赤紫色のドロリとした皮膚───だった部分を落とし、大きな身体を震えさせるそれは四足立ちのモンスター。

アンデッドタイプの何かと思われるモンスターをわたしは黙り観察し続ける。

この空間ではフォンが使えず、モンスター図鑑機能もフリーズ状態。四足で身体を支えるあのモンスターが何種なのかさえわからない状況で下手に動くのは危険すぎる。


発光するように濃い.....紫ともピンクとも言えぬ色の瞳がわたしを捉えた。


「よ、よぉ。出口聞きたかったけど取り込み中みたいだな。どうぞごゆっくり」


眼を合わせただけでビリビリと伝わる雰囲気は雑魚モンスターではない。わたしは逃げるように言い、とりあえずこの場から離れようとするも、モンスターはそれを引き留めるように声を出した。

擦り切れ声の悲鳴は何故かわたしの耳に留まり、足は無意識に止まる。

わたしを見て戦闘体勢に入るワケでもなく、ただ溶ける身体を低くし、頭を床ギリギリまで下げるモンスター。


「......なんだお前?」


正直、戸惑った。

モンスターと遭遇した場合は超高確率ですぐに戦闘が始まる。どんな場所でもだ。しかし今は戦闘の雰囲気もなく、モンスターはわたしを見て身体を下げた。その行動はまるで、フェンリル状態のクゥがワタポに頭や身体を撫でてもらう時に見せる甘え行動。

見た目はヘヴィだが.....コイツはわたしに甘えたいのか?


「お前は何だ? わたしは正直、お前に触れたくないし関わりたくもないし、構ってる暇ないんだ」


そう告げ、手をヒラヒラ揺らしたわたしは再びその場を離れようとすると痛々しい擦り切れ声で───、


「ピジャ」


と、鳴いた。


「───ウソだろ......お前、ドラゴン?」





驚くように疑うように、大きく開かれたエメラルド色の瞳と、一度聞いた事のある台詞。皮膚が溶け堕ちるモンスター.....ドラゴンはエミリオの表情と台詞に、初めて出会った時の事を思い出し微かに笑った。

特種な霧が立ち込める危険指定エリア、プリュイ山の頂上で出会った時も同じ反応、同じ言葉を最初に見せた。

この記憶が昨日の事のように思い出されたかと思えば、遠い昔の記憶のように揺れる。


ダプネの空間でエミリオが遭遇したモンスターは、ダプネが空間へ落とし入れ【サクラ】を無理矢理飲み込ませた小竜───ピョンジャ ピョツジャだった。


サクラから発生する瘴気がピョンジャピョツジャの命を蝕み、瘴気の竜が完成した時、ダプネはフローへ報告し瘴気の竜をフローに任せるつもりだった。人間───ルービッドにサクラを使わせ、瘴気を散らさせるよりもモンスターを使った方が圧倒的に効率が良く、圧倒的に被害規模も広がる。ピョンジャピョツジャはたまたま教会前に居たため、ダプネに囚われサクラの餌食となった。


空間内でひとり蝕まれる命の終わりに抗うため、元々の姿へ戻りサクラの瘴気を中和出来ないものかと足掻いていたドラゴンの前に、エミリオが現れピョンジャピョツジャは安心した。


「おい......おい、お前、あのチビドラ......ピョンジャンジャンなのか?」


驚きの表情で名を間違えるエミリオにピョンジャピョツジャは再び笑い、闇属性魔術を詠唱、発動させた。

使った闇属性魔術は攻撃型ではなく、バフ、デバフ型。相手の脳内を覗いたり、相手の脳内で囁く事が出きる闇魔術の初心とも言える魔術。脳内で悪魔が囁いた~などと話す犯罪者は眠っている時にこの魔術でゆっくりと洗脳された結果と言える。使い方によっては相手を洗脳する事も可能な初級闇魔術だが、他の魔術に比べ、闇属性はとてつもなく難しく使用者が闇特性を持つか持たないかが大きく関係する。SSレートドラゴン───ピョンジャピョツジャでさえ初級のものしか使えない。


エミリオはすぐに初級闇魔術だと判断出来たのか、対抗する様子も見せずその場に座る。


「......どうした? それ使ったなら話せるだろ?」


刺激臭を散らすドラゴン、醜く溶けるドラゴンを真っ直ぐ見つめた魔女はドラゴンの言葉を待った。


───どうしてエミリオがここに居るのかわからないが、助かった。


脳内に響いた声に一瞬驚くも、すぐに魔女は返事をした。


「わたしもお前が何でここにいんのか、わかんねーけど.....わたしじゃお前を助けられないぜ?」


───あぁ、竜の血や魔力、マナを持ってもサクラの瘴気は中和出来なかった。このまま瘴気に蝕まれ、いずれ死ぬだろう。


「........そんなにでっかかったんだな、ピョンジャンジャン」


───ピョンジャピョツジャだ。これが本来ドラゴンである者の姿と言っていいだろう.....驚いたか?


「あぁ、驚いたぜ。強そうでカッコイイな」


───瘴気で荒れ溶けていない姿も見せてやりたかったな。


「見たかった。お前なら綺麗なドラゴンだったんだろうな」



ピョンジャピョツジャは【霧棘竜】または【白薔薇竜】と呼ばれるドラゴン。由来は霧濃い地域に生息している事と、白薔薇のように美しく綺麗な鱗と棘を持つ事からそう呼ばれていた。エミリオの予想通り、ドラゴンの中では美しい姿を持つピョンジャピョツジャだが、今は酷く醜い姿になってしまっていた。


お互い言葉を交わす事なく数十秒が流れた頃、ドラゴンは魔女が持つ鞘へ反応した。


───その鞘.....ローユのモノか?


「ん? これか? そうだぜ。お前ローユと友達なの?」


───......そうか、エミリオがローユを変えた魔女か。


ピョンジャピョツジャは闇魔術ではなく自身の胸で呟き、エミリオの姿をもう一度見た。数百年前の友を変えた、価値観や考え方を塗り替えた小さき魔女が自分の何かも変えてくれるとは。



───エミリオ。


「なんだ? もう死にそうか?」


───あぁ、もう持たない。サクラというのは猛毒だな。


「.........ダプネが、黒緑色の髪を持つ赤眼の魔女がやったのか?」



魔女の表情は沈む中で鋭く尖った。



───エミリオ、オレはエミリオについていって後悔していないぞ。こんな終わりでもだ。


「ん? オレって、お前オスだったのか」


───言っていなかったか? オスの竜だ.......エミリオ、オレを殺せ。


「........」


───このまま放置していてもオレは死ぬ。ただその後に瘴気を纏い散らすモンスターとなり、外へ放たれるだろう。そうなる前に頼む。


「............わかった。いいんだな?」



ピョンジャピョツジャは溶けただれる瞼を閉じ、胸中で呟いた。


この魔女についていってよかった。本当に短い時間、まばたきをするくらいの時間しか一緒にいなかったが、本当によかった。


ピョンジャピョツジャは瞼を閉じたままエミリオへ言う。



───頼む。






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