過去は苛む(過去話)

 精も根も尽き果てて、僕はベッドに倒れ込んていたことを僕は時折悪夢のように思い返す。

 

 ――もう疲れた。もう動けない。かといって眠いわけではない。目は冴え冴えとしている。眠くない。いや眠れない。そんな状況がずっと続く。疲れているのに寝られない。小一時間まどろめられればいい方だ。悪いときは一睡もできない。よくわからないけれど、これが不眠症なのだろうか。僕は暗闇でわずかに身じろぎする。眠れないなら小説を読んだりゲームをしたりなにかができればいいのだけれど。何もできない。目が疲れているのだ。体が疲れているのだ。心が疲れているのだ。ベッドに横たわり、疲れた犬のように朝を待つ。朝まで待てばいつもの仕事だ。ふらふらの中、ベッドから起き上がりいつものようには仕事へ出かけていた。仕事が休みの日は、ずっと家から出ずにベッドにうずくまっていた。不眠症に加えてワーカホリックなのかもしれない。仕事でしか、僕は生きがいを感じられないし、社会とのつながりも感じられないので。


 仕事のことを語ろう。僕の仕事は倉庫の在庫管理だ。毎日大量に送られてくる荷物を仕分けする。荷物は大きい。冷蔵庫や洗濯機、家電一般。大きい物から小さい物まで。それを全て正しく仕分けする。力仕事だ。仕事場は物を保つ空間が限られている――というより数量に対して非常に狭いので、頭もそれなりにつかう。いうなればゲームの倉庫番のような作業を僕は毎日頭をひねって行っている。ほんとうに狭いのだ。物を補完しておくスペースが。仕事は毎日深夜まで及び、僕は日々泣きそうになりながら作業をこなしていた。


 友のこと、恋人のことは語ることはできない。僕にはそんな人はいないからだ。僕は孤独に生きていた。仕事さえ無ければ実に空虚な生活だった。


 ある日、そんな生活にも終わりが来た。過重な労働に僕は壊れたのだ。動けなくなった。仕事に行けなくなった。働けない言うことで仕事も首になった。だから僕と社会とのつながりは無くなってしまった。そうして治療という名の服薬と眠れない日々だけが与えられた。そうして今に至るまで、僕はがらんどうの日々を送っている。


 働けなくなったときのことをもう少し詳しく話す。始めは何が起こっているのかわからなかった。ただ今までできていたことができなくなってしまった。朝にベッドから起き上がるという単純な作業が。僕はひどく戸惑ったのを覚えている。そうしてどうすればいいのかわからず混乱した。会社に電話を掛ければいいと気づくまで大分かかった。電話を掛けた後は少し楽になった。会社に行かなくていいからだ。辛い仕事をしなくていいからだ。そんな日々がしばらく続き僕は自分が病気であることをようやく悟った。僕はスマホで心療内科を探し、病院に行って診断書を薬を貰って堂々と仕事を休職し、やがてその報復であるかのように退職させられた。僕と社会の接点は切れ、いまも切れたままだ。


 僕は空っぽになってしまった。全てが僕に触れること無く流れていった。とどまっていたわずかな物も流れていった。貯金を失い、持ち物を失い、住むところさえ――社会福祉制度のおかげでそれだけはなんとか取り上げられずに済んだ――感謝している。やがて最低限の暮らしが僕に与えられた。生きていていいよ、と社会は言ってくれているらしい。こんな自分でも。でもそれはただ生かされているだけだ。けれど不満を言えるはずも無い。最低限の暮らしとはいえ、取り上げられるのは嫌だ。返上することなど思いもつかない、僕はそれに麻薬中毒患者のように依存している。


 壊れてしまって時間が出来た。空白の。だから書く。時折思い出したようにつれづれと。時折これが自分の生きる道とさえ思う。でも本当は違う。こんな道、通りたくない。僕はまっとうな道を歩きたい。書くことで食べていけるなんて幻想だ。それは自分の道では無い。でも書いている。それしかないから。不毛だ。でもこうして書いている。そうして何も完成はしない。


 何かが必要だ。怒りにも似た何か。火花にも似た何か。燻っている俺にはそんな火口が必要だ。切っ先からきらめく光。雷神。雷光。燃えさかる炎。燃料として貧弱な自分の精神。

 そんなありもしないものを求めている自分はひどく惰弱な。惰弱な。惰弱な。


 ……夕暮れの雲は低くたなびいていた。自分はそれをがらんどうの目で追っている。

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