弱く呪われし者(死と少年)
もう幾分空を見上げていただろうか。飽きることがなかった。全ては雑音でしかなく、この世界にはまったき空しかないようにぼくはしたくなった。だから目を細めて視界を狭めてみる。世界はぼくの望みどおり空だけになる。それがとても嬉しくてしばらくそのままでいた。そうしていつの間にか目を閉じてしまう。夢の中に落ちてゆく。雑音の向こう。夢の彼方へ。これがぼくの日課だった。
ぼくには帰る家がないわけではなかった。ただ家にいるといつも家にいる父に意味もなく殴られるから学校から帰らずにいつも暗くなるまで外にいるだけだった。家に帰るとカップメンが置いてあるのでぼくはそれにお湯を注いですすった。服も洗わないで、いつも同じものを着ていたので学校のみんなからは避けられていた。ぼくの口に歯がほとんど無かった。意味もなく殴られてへし折られたからだ。折れたときは血が沢山出たけどだれも助けてくれる人はいなかった。意味もなく生きていた。意味もなく殴られた。意味もなく。意味もなく。
空を見上げるときだけぼくは自由だった。様々な青色がぼくを救ってくれた。やがてそれが赤色に染まり、星々がきらめき出すとぼくの時間は終わる。帰らなくっちゃ。帰らないといつもよりこっぴどく殴られるから。いつものようにカップメンをすすり異臭を放つゴミ箱に入れ物を放り込み、僕は部屋の片隅で目を閉じた。眠ったふりをしなくてはならない。酔っ払った父が女の人を連れてきたから、僕は石のようにならなければならない。
ぼくは置物のようにならなくてはいけない。父は女の人とよくセックスをした。酒を飲んでセックスをした。父は女の人にはとても優しくていつもの父とは思えなかった。一度女の人が部屋の隅でじっとしているぼくにのしかかってきて、ぼくの臭いを嗅いで逃げたことがある。そのときもなぜかぼくがひどく殴られた。ばきんばきん。飽きるまでぼくをなぐって女の人の代わりにおちんちんをしゃぶれと言った。しかたなくそうした。臭い、へたくそと文句を言われ、最後には丸裸にされ――された。それからは父はお金が尽きると僕と――することに決めたらしい。
それでも空を見上げ続けた。父に何度も何度も何度も――されてぼくの腸は腐りつつあった。けれども空があった。青空が。曇り空の時も雨の時もあり、嵐の日もある。そんな日もぼくは空を見上げていた。救いの手がさしのべられたのはちょうどそんなときだった。父親が死んだのだ。首つりだった。ぼくをさんざん殴って何度も――しておいてこの世のどこが気に入らなかったのだろうか。答えをくれる人は無く、ぼくも特に答えを求めなかった。
孤児院が新しいぼくの居場所になった。歯のほとんど無いぼくはみんなから奇特な目で見られた。だからぼくはここでも孤独だった。下血も始まっていた。ぼくの腸は腐り落ちようとしていた。ぼくはオムツを常用し、ひどい悪臭が辺りに漂い始めた。だれもがぼくを遠ざけ、ぼくも誰からも遠ざかった。ただ目を細めた先に見える一面の空だけが、ぼくの全てだった。
やがて記憶がぼんやりし始めた。肌が透き通るように白くなった。内出血で全身に回る血が足りないせいだとお医者さんは話してくれた。手術を受けなければ助からないらしい。
こんなぼくに手術する価値があるのだろうか。ぼくがいぶかしむとむりやりにも受けさせると先生はすごんだ。
だからぼくは逃げた。ふらふらの頭で空を求めて。目を細めた先にある空だけは何も言わなかった。ただそこにあった。ぼくはそれを見つめ続ける。うすぼんやりとした頭で長い間逃げ続けていて、連れ戻されたときはもう手遅れだった。ベッドに横たわり、ぼくは死を待った。ベッドの上で死ねるならそれだけでぼくは満足だった。目を細めるともうどこもかしこも空だった。空に浮いていると思った。
そして死は簡潔に来た。
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