荒れ野に咲く白い花(自由の刑に処された魂)
自由という言葉を容易く使いたくはなかった。自分は罰せられているのだから、自由というのは少しおかしいと常々思っていた。――日差しが熱い。ひどく暑い。だけどどこにでも行けた。それはある意味代償として。どこまでも続く荒れ野が、荒れ野だけが、自分に、自分だけに与えられた大地。
だからどこに行けたとしても何も変わりはしないのだ。この場所に留まるも先へ進むも、後に戻るも、自分の意志に委ねられていた。ある意味まあ使いたくはないが、掛け値無しの自由であった。
腹は減らず、喉も渇かない。眠りすら訪れない。自分は死ねない。この世界では。その様な数値は設定されていなかった。荒れ野はただの荒れ野だ。どこか不完全で不自然。そのくせ日差しだけは一張羅に熱かった。
自分は知っている。この世界は幻だと。ヴァーチャルリアリティの紡ぎ出すデータでしかないと言うことを。けれど戻るべき世界に自分の肉体などもう無い。自分は死んだ。若くしてだ。自分は殺された。若くしてだ。自分は罰せられた。……。
そして意識、いや意識のコピーだけがこの世界に放逐された。この荒れ野がどこまでも続く世界に。途中で投げ出された不完全なゲームのあやふやで乾いた仮想現実の世界に。
ここには何もない。荒れ野しかない。日差しを防ぐよすがもない。
自分はまがい物だ。本当の自分はとうに死に果てているのに、自分の意識と呼ばれる部分――それもだいぶ怪しいが――だけがここでずっと罰を受けている。
罰。
これが罰ならば当然のことながら罪もあった。過去の自分が自分で招いた罪だ。数限りないサイトの改竄。RMT。ハッキングによるとあるVRMMO内での不正な行為。とくに最後の行為がまずかった。自分がただ楽しむためだけだったがそれが原因で、ただそれだけのことで何百人の仮想現実で普通に楽しむ人びとは現実に死んでいった。それは自分にとっても驚きだった。
誰が彼等を殺したのか。そのゲームを運営している会社か。それとも自分か。争いが起こり、大企業と化したゲーム会社は弁護士とイメージ戦略の合わせ技でするりと罪から抜け出し、かわりに自分を糾弾した。自分一人を。ただの一人だけを。
戦え。
そう言うものもいた。不完全なゲームシステムを作った会社にこそ責務があり、自分はこんな不条理とは断固として戦うべきだと。だが積み重なれた何百人の死を前にして自分に出来ることは多くはなかった。自分は打ちのめされたのだ。何百の死という現実を前に。結果、自分は罪を受け入れた。それもまた死だ。自分は自分の死刑を受け入れた。だがそれでは気が済まない人がいたようだった。そんなのは生ぬるいという人が沢山いた。
ああ。だからここでこうしている。この永遠とも言える地獄の世界で。
もはや自分というものがわからない。本当の自分はとうに死んでしまったのに、偽りの自分はこうして今も罰せられている。もう何百年になるだろうか。それとも一瞬のことだろうか。そんなことさえわからないでいる。太陽は同じ場所から一歩も動かない。時間すら止まった世界。
「……」
この罰を考えついたものたちは神にでもなった気分か? そんな冷笑すら浮かぶ。死後もこうして人を弄ぶなど、そんな驕り無しにはとうてい行えまい。
いったいいつまで罪を償えばいいのか。それすらもわからない。何もわからないまま、自分はこの世界に放逐された。
それにしても日差し。日差しだ。ひりひりと痛い。なんでこんなところだけ忠実に再現するのだろう。自分は心の中でため息をついた。それもまた飽き飽きしている。この地獄を作った人達への冷笑もまた同様。
なにもかもが飽き飽きしていて、何もかもがぐるぐると巡り、そうして緩慢な痛みだけが、自己に残されていた。それでも歩を進める。何も有りはしないのに。黙々と歩き続ける。きっと同じ所をぐるぐると巡っているのだ。それを知りながら、歩き続ける。東へ西へ。あるいは北、それとも南へ。自在に。まるで自分がまだ自由であることを示すかのように。だけど、やはり自由という言葉は使いたくなかった。
そうして年月が過ぎていった。
どれだけさまよっていただろうか。発見は唐突だった。自分は荒れ野に咲く白い花を見つけたのだ。花はただ一輪。とてもちっぽけできっと自分はその周辺を何度も歩いていたが見落としていたのだろう。たぶん。確信は持てないが。確信を持たせるようなものはこの世界にはやはり何もなかった。
見つけたときは嬉しかった。走り寄って可能な限りそばまで寄ってその花を見つめ続けた。その美しさはこの荒野でまばゆく輝く物だった。風にかすかに揺れ荒れ野に一輪咲くその姿は、不自然だと人は言うかもしれないけれども自分にとってはそれが現実だった。
花は枯れることなく咲き続けた。時間の止まった世界にはそれはふさわしい姿だった。
「もしかして、おまえも罰せられているのか?」
声が届くのかさえ知らずに自分は口にした。当然、花は答えない。
自分は花のそばにとどまり続けた。離れたくなかった。見落としたくなかった。きっと離れればこの荒れ野ばかりの世界、きっとこの花を見失うだろう。けれど花はまだ別の場所に咲いているかもしれない。なぜならここに咲いているのだから。
花を摘んで旅の友にしようという気にはなれなかった。それは荒野に咲く花にとって侮辱のように思えたし、それに摘もうとしてもそんな機能はこの世界に搭載されていなかっただろう。この世界はそこまで自分に優しくはないことは自分が何より承知していた。自分は考える。これからの自分の有り様を。
「……」
それは長い思考だった。たぶんかなり長い思考だったと思う。やがて自分は静かに立ち上がった。決めた。行こう。探そう。別の花を。自分は花に別れを告げ歩き出す。
それからずっと探しているが別の花には出くわしていない。それどころかあの花にすら出会えていない。けれど心の中にはどこか晴れやかな気持ちがあった。
だってこの世界には花が咲いていて、それは自分だけが知っている。
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