第百七十二章 偵察
「それじゃあ、カジノの偵察に行くか!」
幼いアイヒが意気揚々とそう言ったので、私は驚いてしまう。
「カジノ? 町長の所じゃないの?」
「この町のカジノが町長ブノスの住処なんだよ」
「ええっ!! 町長がカジノに住んでるんだ!?」
アイヒの言葉に叫ぶと、コルトが苦笑いをする。
「実際、ブノスはカジノ経営がメインの仕事さ。町長とは名ばかりのね」
――あ、そっか。この町って相当荒れてるんだったわね。町長がカジノ経営ってこともありえるのか……。
何となく納得した後、聖哉をちらりと見ると、難しそうな顔で腕組みをしている。聖哉はコルトとアイヒに睨め付けるような視線を送った後、
「事前の偵察は悪くない。だが、お前達は顔バレしているのではないか?」
そう言いながら、手に持った新聞紙を見せる。『へー。新聞なんかもあるんだ、この世界』なんて呑気な私の考えはすぐに消え失せた。新聞の見出しに『ウォルフ殺害。民間人も多数死傷。またもテロリストの仕業』と書かれていたからだ。
私は聖哉の持つ新聞を食い入るようにして見る。記事の最後は『アルテマ級の力を持つ男女の存在も噂されている』で締められていた。
「これじゃあ私達が悪者みたいじゃない! 町の人達を殺したのはウォルフなのに!」
「この新聞社もガルバノ公国の息が掛かってっからな。都合の良い記事しか書かねえんだ。けどま、こんなの慣れっこだって! お前もテロリストとしての自覚と誇りを持てよ! テロリスタ!」
「だからアイヒちゃん、その呼び方止めて!」
「どちらにせよ聖哉君の言う通り、僕達は指名手配されている。なるべく
コルトはそう言いながら、鉛色のセルセウスに視線を向けてウインクする。
「君も車の方が良いだろうしね」
「あっ、助かります!」
セルセウスがコルトに頭を『ぎぎぎ』と下げる。基本的に『仁王立て』は常時発動中。聖哉の盾になる為にカチカチに固まらされて動けないのだ。
「いやぁ、人の優しさが身に染みるな! 本当にありがとう!」
セルセウス的に、コルトの対応がかなり嬉しかったらしいが、男神としての威厳は完全にゼロである。いや、元々無かったようなものだけど。
「それでは行くか。リスタ。セルセウスを運べ」
「うん」
聖哉の言葉に頷きながら荷台に向かおうとすると、ルーク神父がにこやかに微笑みながら、部屋の奥から車椅子を運んできた。
「そのような荷台では運ぶのが大変でしょう。車椅子を貸しましょう。以前、私が足を骨折した時に使った物です」
「や、やったわ、セルセウス! 車椅子よ!」
「ああ! これなら自分で動けるし、見栄えだって随分良くなる!」
二人で興奮しつつ「「あざっす!」」とルーク神父に頭を下げた後、私自身も女神としての威厳が完全に消失していることを再認識するのでした。
コルトを先頭にして、私達はアジトの一階に向かった。一階はオイル臭いガレージになっており、そこにあった五、六人は乗れそうなセダンタイプの車を見るや、聖哉が眉間に皺を寄せる。アイヒが気付いてにやりと笑った。
「初めて見たのか? コレが車だ! 荷物も載せられるし、速いんだぜ!」
自慢げに言うアイヒに、聖哉は呆れたように首を横に振る。
「そんなことは知っている。博物館に展示されているような古い車種なので、きちんと動くか不安なだけだ」
「何だ、お前! 本当に失礼な奴だな!」
だが、確かに目の前の車はクラシックカーのような外観であり、安全装備やエアコンなどは間違いなく付いていないだろう。神界の進んだ文明から来た私やセルセウスと、日本で暮らしていた聖哉からすれば古臭いと思うのも無理からぬことだった。
「ねえ、コルト。これも魔導の力で動くの?」
「ああ。魔導エネルギーを特殊な液体と合わせることで燃料にしてるんだ」
「ふーん。ガソリンみたいなものか……って聖哉?」
聖哉は私とコルトが喋っている間、タイヤなどを手で触ってチェックしていた。傍に居た技術者のカロンが眉間に皺を寄せる。
「一応、事前にチェックはしてあるぜ?」
「ダメだ。俺自身がやらねば安心できない」
聖哉は整備士のように車の下部を覗いたり、エンジンルームを開けたりしていた。アイヒがしびれを切らしたように言う。
「もういいだろ! 偵察に行こうぜ!」
「爆弾など危険物のチェックは完了した。だが、この際、車の定期点検も合わせて行う」
「お前、勇者なんだろ! なんで急に車の定期点検、始めるんだよ!」
アイヒがイライラしている。私は聖哉に近寄り、話し掛ける。
「そ、そうよ、聖哉。車屋さんじゃないんだから、点検は別にしなくても……」
「道の途中で止まっては大変だろうが。……オイルチェック完了」
コルト達が呆れ顔をしているうちに十五分間の定期点検が終わり、ようやく聖哉が言う。
「よし。いいぞ。乗れ」
「!? アタシらの車だっつーの!!」
堪忍袋の緒が切れたアイヒが、ガレージに響く大声で叫んだ。
車のキャパもあって、技術者のカロンとルーク神父はアジトに残ることになり、私と聖哉、セルセウスとコルト兄妹が車に乗り込んだ。
私とアイヒ、セルセウスは並ぶように後部座席に腰掛けた。私の前、聖哉が助手席に座っているが、珍しく不安げな表情で隣でハンドルを握るコルトに視線を送っている。
「コルト。運転講習はちゃんと受けたのだろうな?」
「講習って、車のかい? いや。操作は大体の感覚さ」
「それではペーパードライバー以下ではないか。偵察は運転講習の後の方が良いのではないか?」
「何で今から車の講習受けなきゃなんねえんだよ!! さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがって!! 兄ちゃんは運転上手いんだぞ!!」
アイヒが本気で怒っているのを感じ取った私は、おずおずと背後から聖哉に話し掛ける。
「せ、聖哉! 車のクダリだけで日が暮れちゃいそうだから、この辺で!」
すると聖哉は腕組みしたまま、舌打ちする。
「仕方あるまい。ならば、出来うる限り低速で運転しろ。時速三キロくらいが望ましい」
「アホか!! それじゃあ歩くのと変わんねえじゃねえか!!」
「あ、あははは。じゃあ飛ばさずに行くよ。ドライブする感じでね」
コルトがエンジンを始動する。ようやく、車はアジトを出て、ゆっくりとガルバノの町を走り出した。
聖哉はしばらくの間、ソワソワしていたが、私の目から見てもコルトはずいぶん慎重に運転していた。やがて聖哉も落ち着いたらしく、シートに深く腰掛けて、窓から町の様子を眺め始める。私も聖哉と同じように窓の外を見てみた。
治安の悪いガルバノの町には至る所にゴミが散乱し、浮浪者が彷徨いていた。貧しい身なりの子供達が手を繋いで、私達の車が通り過ぎるのを眺めている。兄妹だろうか。五、六歳……うぅん、もっと幼いかも知れない。ガリガリに痩せ細った幼い子供を見ると、捻曲世界ながら胸が苦しくなった。
「……酷い町ね」
ぼそりと私の口からそんな言葉が突いて出る。コルトが運転席から重たい口調で言う。
「ガルバノ公国は、この町から搾取することしか考えていない。僕達の働いた収入の殆どは税金で消える。圧政も良いところだよ。毎日、数え切れない程の餓死者が出ている」
重苦しい車内の中、コルトが続ける。
「公国の支配が無くなれば沢山の人間が救われるんだ。僕達のやり方は良くないかも知れない。だがこんな世界を救う為には荒療治が必要だ。誰かが血を浴びなきゃならない。僕はそう思っているよ」
「けど、町長一人殺したところで変わるのかなあ」
セルセウスがぼそりと呟いた。コルトがくすりと微笑む。
「勿論、町長ブノスの殺害は、単なる足がかりさ。最終的にはガルバノ公国のトップ――デューク・レオンを倒して、奴が持っている雷獣のアルテマを手に入れたい」
「雷獣のアルテマ!? デューク・レオン!? それって、もしかして……!!」
コルトの言葉に、私は思わず後部座席から身を乗り出した。レオンと聞いて私の脳裏に浮かんだのは、獅子の獣人、獣皇グランドレオンである。
「ってことは、ガルバノ公国を支配してるのは、捻れた世界のグランドレオンってこと!?」
私は聖哉の耳元で叫ぶ。聖哉が軽く頷いた。
「まだ分からんが、その可能性は高いな」
「うう……またグランドレオンと戦わなきゃならないの……!?」
軍神アデネラ様と同じ程の能力値を持った怪物であり、イシスター様もグランドレオンとの直接戦闘は避けるように忠告して、六芒星破邪の秘儀を聖哉に伝授した。セルセウスが不思議そうな顔を見せる。
「リスタ。何だよ、グランドレオンって?」
「とんでもない能力値を持った強敵よ」
「というか、お前のせいで、より一層の強敵になってしまった訳だが」
「そ、それは本当にすいません……!」
聖哉に言われ、私は顔を赤くして俯いた。今、思い出しても胸を掻き毟りたくなる。私のミスのせいで、六芒星破邪の秘儀は失敗。聖哉は苦肉の策として、
――うう……辛い思い出……! またあんな感じで苦戦したらヤだな……!
私が一人、冷や汗を垂らしながら黙って車に揺られていると、
「……着いたよ」
コルトが言った時、既に辺りは薄暗くなってきていた。エンジンを止めて、外に出る。アイヒが後部座席から降り、聖哉も警戒しつつ、車を出た。私は介護者のようにセルセウスを車椅子に乗せながら……ふと気付く。
私達はカジノの偵察に向かっていた筈だ。だが、今いるこの場所は草木が生い茂った町外れ。丘の上らしく、ガルバノの町が見下ろせた。
「あれがブノスのカジノだよ」
コルトが指さす。色とりどりの電飾豊かな巨大なカジノビルは、かなり離れたこの場所からでも視認できる。
「此処からカジノの屋上が見えるだろう。翌日、カジノ創設五周年の記念パーティがある。町長ブノスが屋上で会食するんだ」
「……狙撃か」
聖哉がぽつりと呟くと、コルトは頷く。
「その通り。町長ブノスもウォルフと同じ公国直属精鋭部隊
アイヒが車のトランクから、スコープの付いた長い銃身の小火器を取り出して、コルトに渡した。
「カロンに頼んで、ブノスの
なるほど。偵察とはこの狙撃ポイントのことだったらしい。コルトは此処で翌日のリハーサルをするつもりだったのだ。加えて、聖哉と私にどの地点までブノスを誘導するか等を示し合わせたかったのだろう。
だが。それを聞いた聖哉の返答は私達の予想しないものだった。
「断る」
聖哉ははっきりコルトにそう告げた。即座にアイヒが激怒する。
「何でだよ!! お前、協力するって言ったろ!!」
「言った。だが、狙撃は俺がする。カジノの潜入はコルト。お前がやれ」
「な……!?」
アイヒが絶句し、コルトも目を丸くする。た、確かにカジノの潜入は危険! 聖哉的により安全な方を取ったんだろうけど……!
「なんでお前が!? 狙撃なら兄ちゃんの方が絶対、」
不意にコルトがアイヒの口を止めるようにして、手をかざした。
「に、兄ちゃん!?」
「聖哉君。狙撃に自信はあるのかい?」
「無論だ。この距離なら問題ない。確実にヒットする」
「ホントかよ!? ってか、どの道、この狙撃ポイントまで、兄ちゃんの運転がないと行けねえだろ!?」
すると聖哉は私を指さす。
「この女神は一度行ったことのある場所に門を出せる。この女神の唯一と言って良い長所だ」
「そうね。ショートカットは問題ないわ。いや……それが唯一の長所ってのは腹立つけど……!」
「当日は俺とリスタ、そしてセルセウスがこのポイントに向かい、此処からブノスを狙撃する。カジノの潜入と誘導はコルトを中心として残った者達が行え」
「勝手なことを……! に、兄ちゃん、どうすんだ?」
しばらく思案していたコルトだったが、やがてにこりと笑うと、持っていたライフルを聖哉に手渡した。
「分かった。聖哉君を信じるよ。狙撃は任せた」
「マジでコイツに狙撃できんのかよ……ってか、銃、持ったことあんのか……?」
聖哉はそんなアイヒを無視するようにして、受け取ったライフルを構えて、スコープを覗きながら、試射でもするようにカジノ屋上に向けていた。セルセウスが私の隣で言う。
「安全な位置からの狙撃かあ。ホントにテロリストっぽくなってきたな」
「うん。全然、勇者っぽくないよね。でもまぁ聖哉ってば、前のイクスフォリア攻略でも狙撃で敵をやっつけてたけどね」
「あ、そーなんだ」
「うん。笛での狙撃で」
「!! いや、笛での狙撃ってどういうこと!?」
セルセウスは叫び、アイヒも依然として仏頂面だったが、私は内心、何の焦りも感じていなかった。聖哉が確実にヒットすると言うなら、きっと100%大丈夫だろう。それは間違いない。
コルトが誘導、そして聖哉が狙撃――こうして町長ブノス暗殺計画は翌日決行の運びとなった。
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