第百六十三章 不殺の誓い

「報奨金は俺のもんだ!! 死にやがれえええええええええ!!」


 手斧を振りかざしてモヒカン男が聖哉に突進してくる。だが狂戦士化している聖哉は足音すら立てず、素早く男の背後に回り込んだ。


「……あん? 何処に行きやがった?」


 呆然と呟く。モヒカン男も人間とは思えないステータスだったが、聖哉とは雲泥の差。きっと男には聖哉が突然消えたように感じたことだろう。聖哉は男の背後から腕を回して、首を捻った。


「ハヒッ」


 妙な声と骨の鳴る音がして、男の首は九十度以上傾いた。そして口から泡を吐いて倒れ、そのまま動かなくなる。そんな光景を目の当たりにして、武器を構えたガルバノの住人達、そして私とセルセウスも固まってしまう。


「ね、ねえ……セルセウス。今、何が起こったの……?」

「せ、聖哉さんがアイツの首をコキャって……!」


 えっ、はっ、ちょっと、えっえっ、何よコレ!? だってだって、聖哉は捻曲世界の人間を傷付けないって!!


「きっと峰打ちよ!」


 首を信じられないくらいに曲げたまま倒れ伏しているモヒカン男に、私はステータス透視と鑑定スキルを同時に発動。事の真偽を確かめた。




『HP0。何の疑いもなく、完全かつ絶対的に死亡しているわ。ご愁傷様でした!』




 モヒカン男が確実に死んだことを知って、私は絶叫する。


「!? コイツ、いきなり一人殺りやがったァァァァァァァァァァァァァ!!」


 聖哉のあまりの躊躇の無さに周りの人間達は動きを止めて成り行きを見守っていた。私はその隙に聖哉に猛進し、激しく言葉を叩き付ける。


「いやコレどういうこと!? アンタ、もう人を傷付けたり殺さないんじゃなかったの!?」

「『なるべく』と言ったろう。ケース・バイ・ケースだ。向こうが殺意を剥き出してくる場合は仕方がない。そんな輩に対して無抵抗を貫けばこちらが窮地に陥るからな。綺麗事では世界は救えない」

「そ、そうかも知れないけどさぁ!」


 平然と宣う勇者に私は開いた口が塞がらない。


「じゃあ何の為のレディ・パーフェクトリーだったのよ!?」

「前回と違い今回は、心の底から申し訳ないと思っている。捻れていない元のイクスフォリアでは今し方、首をコキャっとしたこのモヒカンも案外まともな人間だったかも知れん。そして元の世界に戻ったとしても、俺に殺されたことによって魂が傷付いたと推測される」

「そ、それが分かっていてどうして、」

「だが心配はない」


 聖哉はくずおれたモヒカン男に近付く。そして胸元から取り出した物体をおもむろにモヒカン男のおでこに貼り付けた。


「えっ……それは……!」


 額に貼ったシールには、日本語で『ごめんなさい』と書かれていた。聖哉はシールを貼った後、死体には目もくれずぼそりと呟く。


アイム・ソーリー悪かった

「!! 謝って済む問題じゃなくね!?」


 しかもたいして悪気なさそうである。モヒカン男の亡骸よりも聖哉は周りの人間達の動向を注視し、無言で牽制していた。異常すぎる状況に住民達は未だ、成り行きを見守り、襲い掛かってくる気配は無い。とりあえず安心したのか、聖哉は私に再度話し掛ける。


「出来ることなら誰も傷付けたくないのは本心だ。しかし元に戻ったゲアブランデでは、ロザリーの人格に関わる異常や運命を激変させる程の影響はなかった。それより一番に懸念されたのは、魂を傷付けてしまうという罪悪感が俺の中に芽生えて、いつしかストレスになるかも知れないということだった」

「えええええええええ! 結局、自分のことを気にしてたの……!」

「かつてセレモニク戦で倒れてしまったことがあったろう。ストレスは自分で気付かないうちに溜まっていくものなのだ」


 神妙な顔で言った後、聖哉はモヒカンに貼ったシールを指さす。


「だが、これで全て解決。罪悪感は完全に無くなった」

「せ、聖哉さんって、こんなシール一枚デコに貼るだけで罪悪感が無くなるんすか……!」


 吃驚するセルセウスの気持ちが痛い程、分かる。幻の住民とはいえ人殺しといてデコにシール貼って『はい安心』――な、何て勇者なの!! これが小説とかアニメだったら確実にファンが減る!! いや、たとえばの話だけども!!


 そんな私達の気持ちを知る由もないように、聖哉は哀れむような目を住人達に向けていた。そして大きな荷物袋を自らの前にドンと置く。パンパンの袋から『ごめんなさい』と書かれたシールが数枚溢れて落ちた。


「俺はお前達をものすごく殺したくはない。しかし、もしもの時のことを考え、このように五千枚の『ごめんなさいシール』を準備してきた。なので穏やかな気分でお前達を殺害することが出来る」

「五千枚とか、どんだけ殺す気!? ていうか、冥界でそんな内職やってたんか!!」


 私は叫びながら、聖哉が冥界でレディ・パーフェクトリーと言ったのはこのシールが完成したからだということを知った。


 ――言ってることや、やってることはそれなりに正しいような気もしなくはない! けど……相変わらずどっかズレてるわ、この勇者!


 私と似た気持ちをガルバノの住民達も持ったようだ。武器を構えたまま、聖哉を遠巻きに眺めつつ、怯えた声を出す。


「さ、さっきから一体何を言ってんだい、コイツは……!?」

「『ごめんなさいシール』だと!? 意味が全く分からねえ!!」

「ま、ま、待てよオイ……コイツは……コイツはもしかすると、ひょっとしてよォ……!!」


 不意に、町中に沈黙が訪れた。私は冷めた目で周囲を見渡す。


 ……捻曲イクスフォリアのガルバノは文明の発達した貧民街だった。そして、そこにいたのは人の命を何とも思わない獣のような人間達。でも……気付いてしまったようね。声に出さずとも皆の心の声が聞こえてくるようだわ。


『いやコイツ、やっべええええええええええええええええええええええええ!!』


 ――そう! この勇者が町にいる誰よりもクレイジーだってことに!


「さぁ『ごめんなさいシール』を額に貼られたい奴は誰だ?」


 聖哉は自らの直線上にいる皮のジャケットを着た男に目をやった。


「お前か?」


 途端「ひっ!」と短く叫び、男が尻餅を突く。ざわざわと周囲がどよめいた。


「冷酷非情なアサシンのジョニーが!」

「睨まれただけで腰を抜かしちまったぜ……!」


 いやまぁ、そりゃあそうだよね! どんな悪党だって首をコキャっとされて殺された挙げ句、あんな恥ずかしいシール、デコに貼られたくないもん!


 皆、息を乱しつつ、私達から数歩後退した。聖哉は私をちらりと見る。


「おいリスタ。情報収集はもう充分だ。今のうちに門を出しておけ」

「う、うん! 了解!」


 私は周囲を気に掛けながらも呪文を唱え、冥界への門を出した。その間も住民達は微動だにしない。セルセウスが感心したように頷く。


「聖哉さんにビビッて誰も近付いてこないな」

「一人の犠牲を出したことで数百人の死者を出さずに済む。いいかセルセウス。これが抑止力だ」

「な、なるほど!」

「えー。そうかなあ……」


 セルセウスは納得しているが私は何だか腑に落ちない。うーん、まるで間違ってもない気もするし……あー、もう分からんっ!


 無性に頭を掻きむしりたくなるような衝動に駆られていたまさにその時だった。聖哉が急に真剣な表情となって視線を遠くに投げた。


「……見張りの火トカゲが全滅。四肢を破壊していたのだが」

「へ?」


 聖哉の視線を追うようにして見た場所はゴミ置き場だった。そしてそこには目を疑う光景が。先程、聖哉に銃弾を放ち、弾き飛ばされた男が手足をガクガクと震わせながらも立ち上がっていた!


「くくく……下がれ……コイツはお前らが束になっても敵う相手じゃねえ……」


 住民達が一斉に私達から離れて距離を置いた。一方、男はじりじりと覚束ない足取りで私達へと近付いてくる。ひび割れた眼鏡の片方のレンズが蒼く怪しく輝いていた。


「純度99%……! はははは……隣国のスパイなんかじゃねえ! コイツは、いやコイツらはアルテマ級の魂所有者だ!」

「じゅ、純度!? アルテマ級って……!?」


 イクスフォリアの魔王アルテマイオスの名を彷彿とさせるその言葉に、私は何だかぞくりとする。男はにやりと笑いながら話し続けた。


「コイツらの存在はこの国を――いやこの世界そのものを揺るがせる! アルテマ級の魂はガルバノ公国のものだ!」


 そして男は胸元から銀色に光る小銃を取り出した。


「い、いくつ銃を持ってるのよ!? せ、聖哉っ!!」

「慌てるな。弾丸は全て抜いてある」


 見張らせていた火トカゲにやらせたのだろうか。相変わらずの用意周到さだった。それでも男は弾丸の入っていない筈の小銃を自らのこめかみに向けた。


「人狼のスペリアル……『プラグイン魔導接続』!」


 そして引き金を引く。聖哉が銃弾を抜いた、と言っていた通り、カシンという乾いた撃鉄の音だけが響き渡った。しかし異常はその後、起こった。銃口の付いたこめかみから派生した銀色に顔が覆われ、それは瞬く間に首を伝って上半身に広がっていく。男は体中を銀に染め、更にはメキメキと音を立てて、膨張しようとしていた。


「スペリアル!? プラグイン!? い、一体何なのよ!?」


 私の目は謎の男の挙動に釘付けになっていた。しかし突然、背中に強烈な衝撃が走る!


「ほっばああああああああああああっ!?」


 叫びながら私は地面を転がった。しばらくしてからどうにか体勢を立て直し、辺りを見渡す。


「……は?」


 濃霧が広がる此処は間違いなく冥界であった。私の傍にはセルセウスがいて、その向こうでは聖哉が落ち着いた様子で門をしっかりと閉じていた。


 一瞬の後、私は理解する。出していた門に向かって、聖哉が私を蹴り飛ばしたのだ! そうして私達は冥界へと戻ってきた……


「ってか、帰ってきて良かったの!? アイツ、何かやろうとしてたよ!?」

「予定の偵察時間は大幅に超えてしまっていた。今回はこれで充分だ」


 聖哉は私の話を半ば聞き流すようにして、キョロキョロと辺りを窺っている。


「流石にゲアブランデの死神のように次元は突き破って来ないと思うが……」


 それでも聖哉はしばらく周囲を警戒していた。私はセルセウスに話し掛ける。


「さっきの人、何か変身しようとしてたよね?」

「してたな。ってか体、銀色にして変形寸前だったな」

「だよね。スルーされて、メチャクチャ怒ってんじゃないかしら?」

「確かに普通、あのタイミングじゃあ戻らないよな。俺らもビックリしたけどアイツが一番ビックリしたんじゃねえかな」


 私達のボソボソ話が耳に入ったのか、聖哉は不機嫌そうに言う。


「繰り返し言うが捻曲イクスフォリアは難度SS+の世界。今までよりも、一層の注意を払う。安全第一だ」

「それはまぁ分かるけど……」


 とりあえず冥界に戻ったので身の危険はない。安堵しつつ、私は聖哉の一連の行動を思い返していた。『住民殺害からのごめんなさいシール。そして変身中の敵スルー』。いや本当にもうやること為すこと常軌を逸してるってか、何て言うか……。


「うぐぅ」


 不意に。私の脚にぐにゃりとした感触と低い声。


「えっ!」


 考え事をしていて何かを踏んでしまったらしい。冥界名物の濃霧の為、分からなかったがよくよく目を凝らすとそこには仰向けで倒れた人相の悪い男がいた。明らかに冥界の住人ではない!


「!! ひぃっ!? 誰よ、この人!?」

「 ま、まさか本当にガルバノからの追っ手か!?」


 セルセウスが聖哉の背後にささっと隠れる。マジで!? 死神タナトゥスみたいに次元を突き破って追って来たって訳!?


 だが様子がおかしい。よくよく見ると、倒れた男の口には猿ぐつわが施され、手足は火の縄のようなもので巻かれている。


「案ずるな。そいつは先程の集団の中から俺が選んで連れてきた」

「聖哉が!? 一体、何の為に!?」

「この男から色々情報を聞き出す。こうすれば冥界にいながら安心して捻曲イクスフォリアの状況を探れるという訳だ」

「つ、つまり今度は拉致ですか……!!」


 平然と言ってのける勇者が私にはもう何だか極悪犯罪者に思えてくるのでした。

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