第五十一章 罪と罰と後ひとつ

 帝国城の王の間では多数の兵士達が毅然とした表情で整列していた。女帝ロザリー=ロズガルドは玉座より立つと私に近寄り、しんみりとした表情を見せる。


「……本当に行ってしまうのか」


 ロザリーの言葉は社交辞令ではなく真に憂いを孕んでいるように思えた。


「アナタ方が魔王を倒してくれたお陰でゲアブランデは救われた。本来なら国をあげて礼をしなければならないところなのだが」


 私は小さく首を横に振る。


「いいのよ、そんなの。それに……魔王討伐最大の功労者は、もういないのだから……」


 私の言葉にロザリーは何かを言いかけたが、


「そうか。そうだな」


 込み上げる言葉を飲み込むように、数度、頷いた。その後、真摯な瞳を私に向ける。


「一言だけ言わせてくれ。竜宮院聖哉は、己の身を顧みず、他人にどう思われようが常に自己が信念する正義を貫いた。今になって思う。彼こそ真の勇者であったのだ、と」


 私もロザリーの目を真っ直ぐ見詰める。


「ええ。そして、その行動のどれもが普通の勇者には為し得ない奇跡の連続だったわ」


 私はロザリーの背後、マッシュとエルルの元へと向かう。マッシュは帝国騎士の鎧をまとい、エルルは貴族のような美しい衣装に身を包んでいた。


 勇者の仲間として世界を救った竜族の二人をロザリーは帝国騎士団に招聘しょうへいした。聖哉の遺言もあり、マッシュはそれを快諾し、エルルもまたマッシュと一緒に帝国に残ることを決めた。


 私はマッシュに握手の手を差し伸べる。


「マッシュ。頑張ってね」

「リスタ……」


 マッシュは私の手を取り、真剣な顔で言う。


「俺、守るよ。師匠が救ってくれたこの世界を……」


 少年は数日前とは比べものにならないくらいに大人びて見えた。私はマッシュの手を強く握り締める。


「アナタならきっと出来るわ」

「私が付いてるから大丈夫だよー!!」


 隣でエルルが「えへへ」と笑う。マッシュがきまりの悪そうな顔をしたのを見て、私もロザリーも口角を上げた。


「エルルちゃん。マッシュを助けてあげてね」


「うんっ!」と元気の良い返事をした後で、エルルは一転、寂しげな顔を見せた。


「リスたん……ホントに行っちゃうんだね……」

「そうね。あまり長居は出来ないから」


 途端、エルルが私に抱きついてきた。


「エルルちゃん?」

「また……遊びに来てね?」


 私を見上げながらエルルは言う。


「温泉行こう? ね?」


 マッシュも笑顔を見せる。


「そうだ、そうだ! カジノだって行かなきゃいけねえしな!」


 私も二人に微笑みを返す。


「そうね。行かなきゃ、ね」

「絶対だよ? 約束だよ?」

「うん。いつか、きっと」


 私もエルルをきつく抱擁する。そして……


「それじゃあ、行くわ」


 私はエルルから離れる。王の間で空いたスペースを見つけ、呪文を唱えた。


 天上界への門を出現させて、扉を潜ろうとした時、


「……女神リスタルテ」


 不意にロザリーが私の名を呼んだ。


「アナタは強いのだな。私は未だに父の死を引きずっている」

「そんなことないわ。でも……聖哉の為にも、ちゃんとした女神にならなきゃって……今はそう思ってる」

「私もアナタを見習わなければならぬ。帝国を統べる者として、もっとそれに適した器にならねば」

「今のアナタなら大丈夫よ。それよりマッシュとエルルちゃんをよろしく頼むわ。無茶な命令したりしないでね?」

「うむ。肝に銘じておく」


 ロザリーはマッシュとエルルに微笑む。二人もロザリーに笑顔を返す。その様子に安心し、私は門に手を掛けた。


「救世の女神に敬礼!」


 背後から、ロザリーの声が響き渡り、兵士達のかかとが一斉に音を鳴らした。


 その音を背中に聞きながら、私はゲアブランデを後にした……。





 門は統一神界の自分の部屋に出現させた。扉を閉めた後、私は閉じた門をしばらく眺めた。扉の向こうに今一度、思いを馳せ、一礼をしてから、私はようやく門を消した。


 ベッドの端に腰を下ろし、私を見送ってくれたマッシュとエルルの顔を思い浮かべる。


 二人共、とても良い顔をしていた。いつの間にあんなにたくましくなったのだろう。


 ふと、目の前に、聖哉の自信ありげな姿が過ぎった。いつものように「フン」と鼻を鳴らして言う。


『これも想定内だ』


「聖哉……」


 私が触れようと手を伸ばした瞬間、幻影は立ち消える。そこには何もない空間が寂しげに広がっているだけだ。


『リスタルテ。アナタは強いのだな』


 先程、言われたロザリーの言葉に首を大きく振った。


 私は立ち上がり、部屋の扉の鍵を閉める。


 これで誰も中には入って来ない。もう人目はない。だから何も気にすることはない。


 ……私はベッドにくずおれると、小さな女の子のように大声で泣き喚いた。





 部屋をノックする音を無視し続け、ドアの下から差し出される食事にも手をつけずに二日が過ぎた。


 いつものようにノックを放っておくと『カチャリ』とドアが開く音。封印解除の能力で鍵を開けたアリアが佇んでいた。


「ごめんね、リスタ。でもイシスター様が呼んでいらっしゃるの」

「……うぅん。わかった。今、行く」


 ベッドから、のそりと起き上がる。私の顔を見ると、アリアは少しだけ笑った。


「あら、酷い顔。髪の毛もボサボサよ」


 無言の私の手を握ると、


「リスタ、こっちにいらっしゃい」


 アリアは部屋隅の鏡台に私を連れて行く。


 そして何も聞かず、ただ櫛で私の髪をといてくれた。


「……よし。美人になったわよ」


 そう言われて鏡を見る。髪の毛はどうにか整っていたが、肌が荒れ果て、疲れた顔の女が映っている。


 私の肩に手を置くと、アリアは少し表情を固くした。


「リスタ。きっとイシスター様は今から、アナタが女神の力を解放したことに対する責任問題の話をすると思うの」


 神妙な顔のアリアに、だが、私は淡々と告げる。


「いいよ。どんな罰でも受けるわ。だって悪いのは私だもの」


 吐き出したいさぎよい言葉と、私の本音とは全く合致していなかった。大切な人を失った今となっては、全てがどうでもよかった。叱られようが、酷い罰を受けようが、女神の称号を剥奪されようが全く構わない。いやそれどころか、こんな気分を多少なりとも変えてくれるのなら、与えられる罰すらありがたいと思えた。


 だがアリアは決意に満ちた顔で言う。


「安心して。アナタはあの難度Sの世界ゲアブランデを救ったのよ。重い罰なんか絶対に受けさせないわ」





 アリアの後ろに続いて、歩いていると、廊下で軍神アデネラ様に出会った。猫背のまま、ひょこひょこと近付いて来る。


「り、リスタ。お、お前、大丈夫か?」

「ええ。何とか」


 笑顔を繕ったつもりだが、上手く笑えたかどうか自信はない。


「アデネラ様は? アデネラ様も聖哉のこと好きだったものね」

「い、いや、私のことより、お、お前が心配だ。は、話は聞いている。お、お前は、も、もっと悲しかったのだろう?」


 返事に窮していると、隣からガサツな声がした。


「おう、リスタ! 何だか知らんが、元気がないらしいじゃないか! これでも食って元気を出せよ!」


 剣神セルセウスは皿に載せたケーキを差し出した。


「ちょっと趣向を変えてフローズン・ケーキだ! 冷たくてうまいぞ!」


 アデネラ様がクマのある目でセルセウスを睨む。


「こ、こ、こんな時に、つ、冷たい物とか……ば、バカか、お前は……」

「えっ、な、何で!?」


 動転するセルセウス。何だか申し訳ないので私はフォークを手に取ると、そのケーキを一口食べてみた。だが何の味もしない。実際はおいしいケーキだったのかも知れないが、私の舌は味覚を失っていた。それでも感想を期待して待つセルセウスに微笑む。


「うん。おいしいわ。この『プロテイン・ケーキ』」

「!! いや『フローズン・ケーキ』だけど!? プロテインなんて入ってないけど!?」

「ああ、ごめん。『フローズン・プロテイン』だったわね」

「それだとプロテインを凍らせただけになってるだろ!! 違うと言ってるのに!!」


 騒ぐセルセウスの首元にアデネラ様がフォークをピタリと付けた。


「ひ、ひいいいいっ!?」

「だ、黙れ……! は、入ってるよな? ぷ、プロテイン……!」

「は、は、入ってますううう!! このケーキはプロテインをふんだんに使用しておりますううううう!!」


 実際は何の味もしなかった。だが、


「少しプロテインを控えめにすると、もっとよくなるわ」


 自分でも何だかよく分からないアドバイスをセルセウスにした後、私は二人の元を後にした。





 アリアと一緒にイシスター様の部屋に入る。イシスター様はいつものように椅子に腰掛けていたが、その顔は普段よりも少し厳しかった。


「リスタ。ゲアブランデの救済、ご苦労様でした。アナタが無事に帰って来られたことを非常に嬉しく思っております。しかし、私の心情とは別に、神の規律を破ったアナタに最奥神界から達しが届いています。罰は罰として受けねばなりません」


 イシスター様の荘厳な言葉。だが今の私には何もかもが響かない。何処か他人事のような気持ちで話を聞いていた。


 逆にアリアの方が血相を変える。


「イシスター様! 過程はどうあれ、リスタは難度Sの世界ゲアブランデを救いました! 罰を与えるというのなら、その点を充分に加味してからお考えください!」


 しばしの沈黙の後、イシスター様は語る。


「リスタへの罰。それは難度SSダブルエスの世界『イクスフォリア』の救済です」

「な……っ!?」


 アリアが絶句する。


「い、イクスフォリアは既に魔王に征服された世界! 勇者を倒した後、イクスフォリアの魔王は強大な力を手に入れ、世界は魔界と化しました! 今更、あの世界を救うなど……!」


 アリアが硬直するが、イシスター様は話を続ける。


「加えて、リスタ。イクスフォリア救済の際、アナタの女神の力である治癒の特技は封印します。そしてイクスフォリアの救済が出来なければ、女神の称号は永久に剥奪されます」

「ただでさえ……あの世界はリスタにとって辛い世界だというのに……」


 アリアが堪えきれなくなったようにテーブルを叩く。


「酷すぎます!! 女神の力を封じられ、勇者のサポートをすることすら出来ず、あの恐ろしい世界を救うなど絶対に不可能です!!」


 こんなに感情を剥き出しにしたアリアを見たのは初めてだった。しかしイシスター様は飄々とアリアに言葉を返す。


「そうでしょうか。私は満更、不可能とは思いません」

「何を根拠に!? 魔界と化した世界の救済など、一体どの勇者に可能だと仰るのですか!!」


 イシスター様はおもむろに立ち上がると部屋の窓から神界の庭園を見渡した。


「第弐天獄門に魔王が飲み込まれた時……チェイン・ディストラクションの効力もまた一緒に飲み込まれていたのです」


 アリアが真意を測りかねて、問いただす。


「い、一体、何を言って?」

「通常は一度失敗した世界には二度と戻れないのですが、今回は特例です」


 イシスター様は振り返ると、机にあった一枚の書類を手に取った後、私の目前に歩み寄る。


「リスタルテ。難度SS世界イクスフォリアの攻略に、このリストに載っている勇者を召喚し、連れて行くことを許可します」


 渡された勇者リストを見た瞬間。今の今まで放心状態だった私の目は大きく開かれた。



 

 竜宮院聖哉りゅうぐういん せいや

 Lv1

 HP385 MP197

 攻撃力124 防御力111 素早さ105 魔力86 成長度188

 耐性 火・氷・風・水・雷・土

 特殊スキル 火炎魔法(Lv5) 獲得経験値増加(Lv2)……




 能力値は初期化され、千分の一以下になっていた。だがそれでも変わらない表示があった。


 それを見た途端、私の目から涙が止め処なく流れ落ちる。


 ……それは過去の後悔が与えた力。


 ……それは魔王を倒し、世界を救った力。


 ……それは仲間と私を守り抜いた力。


 ステータスの最後には、こう記されていた。




 性格――ありえないくらい慎重。

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