第三十五章 蝿討伐

「ふう。とんでもなく酷くて下品な女神だったわね。って、え……?」


 エロスから逃げ出し、一息ついたと思いきや、門の外はカオスだった。オルガの砦前に出現させた門から出た私達を待っていたのは、何かを喚きながらバタバタと走り回る兵士達と、血相を変えて走り寄って来た老兵カルロだった。


「ああっ! 勇者様に女神様! た、大変です! ロザリー様が、たった一人で蝿の巣へと向かわれたようなのです!」


 ええっ!! あの子、ホントに行っちゃったの!? 待ってろって言ったのに!! しかも一人でとか、何て無茶なのよ!!


「追いかけなくちゃ!!」

「はい! 既にバト様達は馬を駆け、ロザリー様を追っております! 我々も急いで、これから後を!」


 カルロも私も騒然とするが、


「焦るな。全て想定内だ」


 対照的に聖哉は落ち着き払っていた。


「ロザリーの性格からして、こうなることは容易に想像出来た。問題はない。あれから一時間も経過していないのだからな。ベル=ブブにもまだ出くわしていない筈だ」

「し、しかし奴らの巣のある大木付近には偵察の巨大蝿が飛んでいます! その蝿達に襲われる可能性が!」

「案ずるな。俺なら一瞬で追いつく」


 そして聖哉の足はふわりと地面から離れた。宙から、私をチラリと一瞥する。


「飛ぶぞ、リスタ」





 蝿の巣の場所をカルロに聞いた後で、聖哉はマッシュ、私はエルルを連れて飛翔した。猛スピードで飛ぶ聖哉の後を頑張って追跡すると、やがて、幅数十メートルはある巨木が視界に入ってくる。奴らの巣である大木は、無数の巨大蝿のせいで真っ黒な止まり木と化していた。カルロが言っていたように、偵察の蝿が辺りを徘徊するように飛んでいて、近付くのは容易ではなさそうだ。現に、木からずいぶん遠く離れたこの場所にも偵察蝿が数匹、ウロウロと飛び回っている。


 偵察蝿達に気付かれる前に、聖哉が振り向き、無言で私に合図を送った。私は頷き、聖哉の後に続いて降下して、木立の茂る林に着地した。


 聖哉は上空を窺いながら、数メートル程の木々の間を音を立てず歩いていたが、しばらくして動きを止めた。


「うむ。この場所なら良し、だ。上からは見えにくく、こちらからは奴らの巣が一望出来る」


 確かに聖哉の視線の先を見ると、蝿の巣である巨木が見渡せた。それと同時に私は目を疑う。


「えっ!」


 多数の蝿がワンワンと唸るその巨木にズカズカと歩み寄る人間がいた。青い髪に金色の鎧をまとった戦帝の娘、ロザリーであった。


 ――う、うわ……無謀……! でもある意味、すごい勇気ね……!


 巨大蝿達は巣への侵入者を警戒するが、ロザリーに近寄ることが出来ない。よく見るとロザリーの体から淡い光のオーラが発散されている。彼女のステータスを見た時、特殊スキルにあった『光の加護』が雑魚敵の攻撃を未然に防いでいるようだ。


 だが、やがてロザリーを取り囲む蝿の一群が真っ二つに裂けるようにして分かれた。そしてその間から姿を現したのはフライ・アサルトフライ魔王軍急襲飛行部隊のボス――ベル=ブブだった。


 緊張で私の胸は鼓動を早めるが、聖哉はいつものように平然と呟く。


「良い感じの囮になったな。これで此処からベル=ブブを狙撃出来る」


 ギョッとして振り返る。聖哉は既にシャイニング・アロー輝光弓を顕現していた。


「狙撃って……ま、まさか……こうなることも予想していたの? ロザリーがキレて、巣に向かっていく状況を?」

「エサを目前にした蝿は叩きやすいからな」


 事も無げに呟く聖哉の背後では、マッシュとエルルが目を細めていた。


「ってか、全ッ然見えねえけど……」

「わ、私も……」


 普通の人間の視力には巣に近付くロザリーもベル=ブブも視認出来ないらしい。聖哉はミティス様との修行でかなり視力がよくなっているようだった。


「だがあまり猶予はないな。アレを見ろ」


 聖哉が指し示した空には偵察蝿がウヨウヨと集まっていた。


「ひえっ! なんで?」


 エルルと私は身を屈める。


「蝿は嗅覚が優れている。リスタの醸し出す女神臭でも嗅ぎつけたのだろう」

「!! 女神臭って何!? 私、臭いの!?」


 脇の辺りをクンクンしてみる。別に臭くない……と思うけど……一応聞いてみよう。


「ねえ、私、臭くないわよね? マッシュ! エルルちゃん!」

「お、おう! そんなには臭くないぜ!」

「う、うんっ! たいして気にならない程度だよっ!」

「!? いや、ちょっと臭いんかい!! ってかソレ、どんな臭い!? ねえ、ねえ、ねぇっ!?」

「うるさい。静かにしろ。気付かれるだろうが」


 そして聖哉は光の魔法弓をベル=ブブの方向に向けて構える。


「一発勝負だ。ヘッドショットを狙う」

「い、いけるの?」

「まず間違いなく当たるだろう」


 この自信! 聖哉が言うならホントに当たりそうだわ! 当たればベル=ブブは即死! 呆気ない決着だけど、狙撃ってそういうものよね!


 しかし、次の瞬間、私達を襲ってきたのは思いもかけぬ伏兵であった。


 馬の駆ける音と共に林に突入してきたのは、ロザリーの右腕と名乗っていた戦士バトと十数名の部下達だった。


「おおおッ!! これは勇者様ァッ!! 既にこちらにおられたのですかあああッ!!」


 耳をつんざく大声に、上空の蝿が一斉に動きを止めた。


「お、オジサン、声が大きいよっ!! 蝿に気付かれちゃうよっ!!」


 エルルが怒るが、そのエルルの声も大きい。


「なッ!? 俺としたことが何ということをッ!! 誠に申し訳ないいいッ!!」


 更にバトの謝罪の声もまた大きかった。マッシュが焦った様子で聖哉に言う。


「し、師匠! 蝿が一斉にこっちに向かってくるぜ!」

「落ち着け。まだ狙える」


 味方に邪魔され、上空から蝿達が迫る中、それでも聖哉は冷静だった。魔法弓はいまだベル=ブブを狙っている。


「……この程度のことは想定内だ」

「ホントに!?」


 少し疑うが、聖哉が言うのなら本当なのかも知れない。


 だが、その時だった。遠く離れた奴らの巣でロザリーがベル=ブブを前に、此処まで届く大音声で怒鳴り立てた。


「私は戦帝の娘、ロザリー=ロズガルドだ!! ベル=ブブよ!! いざ尋常に勝負しろ!!」


 う、うわっ!! あの子、自分から素性言っちゃった!! 一体何考えてるのよ!?


 途端、聖哉の鼻が少しヒクついたように見えた。


「聖哉!?」

「……問題ない。超想定内だ」

「超想定内だったら想定の範囲、超えてない!? 無理しなくていいんだよ!?」


 聖哉は溜め息を吐くと、おもむろに魔法弓を腰の位置まで下げた。


 や、やっぱり予想外だったんじゃん……。意地っ張りね……。


 そして巣の近くではベル=ブブに連れ去られようとするロザリーの姿があった。


「き、貴様!! 何をする!! は、離せェ!!」


 いや、そりゃそうなるよ! 戦帝の娘なんて言ったら人質にされるに決まってんじゃん!


 だが助けに行こうにも、こちらものっぴきならない状況だ。今や、十体はいる偵察の巨大蝿に囲まれてしまった。


 どうしようかと聖哉をチラリと見ると、聖哉も私を見ていた。そして無言で鞘を私のオッパイに思い切り押し当てる。


「ぎゃあっ!? それ痛いってえええ!! 乳が!! 乳が陥没するぅぅぅ!! 私に八つ当たりしないでよっ!!」

「違う。行け。リスタ」

「へ?」

「だから『飛べ』と言っている。あのバカ女が遠くに連れて行かれないようにお前が行って、牽制しろ」


 ……わ、私、一人で、ですか?


「この蝿の群れを掃討したら、すぐに助ける。だから、それまでお前が時間を稼げ」

「そ、そんなこと急に言われても! 大体、追いついたとして、どうやってベル=ブブを牽制すればいいのよ?」

「そうだな。『いいお天気ですね』とでも言っておけ」

「『いいお天気ですね』!? それで止まるかな!?」

「とにかくお前はロザリーから目を離すな。それだけ覚えておけばいい」

「わ、分かったわよ!」


 意を決し、翼を広げ、飛び立とうとした私の前に、グロテスクな巨大蝿の顔のアップが!


「ひえっ!?」


 だが、蝿が私に掴みかかろうとした時、既に聖哉の魔法の矢が蝿の頭を射抜いている!


「道は俺が切り開く。安心して飛べ。風船女」

「う、うんっ! 頼んだわよ! ……って、誰が風船女じゃい!!」


 叫びながらも飛び立ち、私は一人、ロザリーをさらったベル=ブブを追った。





 暴れるロザリーを両腕でしっかと抱え、北へ向かおうとしていたベル=ブブは、背後から迫る私に気付くと、蝿の顔面を歪めて「ジジジ!」と笑った。


「おいおいおい! その白い翼は異世界の女神だよな! お前がいるってことは、そうか、勇者が遂に現れたんだな!」

「その勇者からの伝言よ! 今すぐ、その子を放しなさい!」

「別にいいぜ! 元々、コイツは勇者を誘き寄せるのに利用しようと思ってただけだからな! もう用済みだ!」


 私は内心、ほくそ笑む。


 ロザリーを抱えていると聖哉は矢を射られない! だから、さっさとロザリーから手を放すがいいわ! そしたら私がロザリーをキャッチする! その後、アンタは聖哉に射られるのよ!


「ジジジジジ! 勇者を殺せば俺は四天王になれるんだ!」


 だが。そんな言葉とは裏腹にベル=ブブはロザリーを放さず、更に高く上昇した。


「えええっ!? ち、ちょっと!?」


 私は驚きながらもベル=ブブを追う。


「は、放すって言ったじゃない!!」 

「放すさ! だが、もっと高く飛んだところで、だ! 勇者打倒を祈念して盛大な逆花火といくぜ!」


 な、な、何ですって!?


「待ちなさいっ!!」


 だがベル=ブブはどんどん高度を上げる。天に向かい、急上昇するベル=ブブに、私はどうにか食らいつく。


 やがてベル=ブブは、羽根を振るわせながら空中停止した。


「どうだ、女! いい眺めだろ! 此処から落ちりゃあ、全身バラバラ! さぞや美しい逆花火になるぜ!」


 それでもロザリーは屹然とした声で叫ぶ。


「このゲスが!! 貴様がそうやって殺した私の部下に此処で詫びろ!!」

「は? お前、自分の立場わかってんの? 今からお前も、そうなるってのによ!」

「ぐうっ!」 


 身動きできないロザリーは歯ぎしりして、次に私を睨んだ。


「おい!! 勇者はどうした!? 何処で何をしている!? 修行をしてきたんじゃあないのか!?」

「ば、バカ!!」


 ベル=ブブが怪訝に顔を傾けた。


「ああー? 修行、だと? ってことは、ひょっとして地上から、弓矢か何かで俺を狙ってたりすんのかよー?」


 さ、最悪!! 勘づかれた!! 何でこの子、自分からドンドン不利になることばっか言うのよ!!


「じゃあもっと高く飛ぶまで、この女は放せねーな!」


 そしてベル=ブブはロザリーを連れて再度、上昇を開始した。私も追跡するが、今度はいつまで経ってもベル=ブブは止まる気配を見せない。


 ――ど、どこまで高度を上げるのよ!?


 追いかけながら、ふと下を見て、私は青ざめた。眼下に広がるのは雲の海。その隙間から見えるのは芥子けし粒のような下界の様子だ。


 嘘でしょ!! こんな高さ、魔法弓でも届かないんじゃ!? というか、そもそも聖哉には私達が今いる位置が捕捉出来ているの!?


 息苦しくなる程の上空にて、ようやくホバリングしたベル=ブブは楽しげな声を出す。


「ジジジ! 此処までくりゃあ魔法弓だろうが何だろうが届かねーぜ! さぁ、それじゃあ景気よく砕け散って貰おうか!」


 そしてロザリーから手を放そうとしたベル=ブブだが、私をチラリと見て、「ジジジ!」と笑う。


「おっと! 女神に受け止められないように全力で地面に叩き付けねーとな!」


 マズい、マズい、マズい、マズい!! 何もかも見透かされちゃってんじゃんか!! 手を放すだけならともかく力一杯投げられちゃあキャッチ出来ないわよ!!


「こ、この魔物が!! 卑怯だぞ!! 地上に降りて正々堂々、私と勝負しろ!!」

「ジジジ!! やなこった!! テメーは今から地面と勝負するんだよ!!」


 ベル=ブブはロザリーを両手で担ぎ上げ、今にも放り投げる体勢を取っている。


 あああああああ!! 一体どうしたら!? そ……そうだ!!


 私の脳裏に聖哉の言葉が蘇る。私はそれを口に出してみる。


「い、いいお天気ですね……!」


 束の間訪れた沈黙。そしてベル=ブブが呆れたような声を出す。


「……何言ってんだ、オメー?」


 いやマジで何言ってんの、私いいいいいい!? も、もうダメ!! やっぱり私には止められないよ!! 聖哉、何とかしてえええええ!!


 ……その時であった。私の視界の隅で僅かに光るものがあった。眼下に広がる雲海から発生した一条の光は、次の瞬間、音もなく私の耳元を通り抜けた。


「うお……っ……!」


 ベル=ブブが小さく呻く……と同時に体勢を大きく崩している。ロザリーを地面へと叩き落とそうとしていたベル=ブブは、今、その手を思いがけず、ロザリーから放してしまっていた。


 ロザリーが重力の法則で地上へと落下しかけたが、


「おおっとぉ!!」


 私はすぐさまロザリーに手を差し伸べた。ロザリーの手が私の手に触れた刹那、ぐいっと引き寄せ、抱きしめるようにしてキャッチする。


 ううっ! 鎧を着てるから重い! け、けど何とか受け止めたわよっ! 聖哉に言われた通り、ロザリーからは絶えず目を離さなかったんだから!


「……す、すまない」


 ロザリーが耳元で囁くが、それより私はつい今し方、何が起こったのかを頭の中で整理していた。


 ……おそらく、さっきのはシャイニング・アロー! 聖哉が放った魔法の矢が此処まで届いたんだわ! だからベル=ブブは仰天して、咄嗟にロザリーから手を放した! それにしても、こんな高度まで到達するなんて、光学照準器を取り付けた狙撃銃……いやそれ以上の精度だわ!


 聖哉の才能に感動しつつ、だが、それでも私はごくりと生唾を飲む。


「おいおい……マジかよ。光の魔法弓……? 届くか、此処まで? ありえねーなー」


 矢が届いたことよりもっと戦慄すべきは、ベル=ブブがそれを余裕でかわしたことだった……。

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