過去は能力と化す

@miharasatuki

第1話 夢の男

「おはよう。いや、お前の場合はこんばんは、か」


 ――誰?


「ここはお前の見ている夢の中だ」


 ――それはなんとなく分かっている。

 ――俺は、そんな事を聞いているわけじゃない。


「俺は誰、だと? そんな事、とっくに分かってるだろ」


 ――分からないな。

 ――少なくとも、俺はそんな人間ではない。


「ほら、分かってるじゃねぇか。お前の言うとおり、俺はお前だ」


 ――何を言ってるんだ?

 ――俺は、二人もいない。


「そう、お前は二人もいない。でも、お前の中には、お前が二人いる」


 ――言いたい事が、分からないんだが。


「……今はいいさ。でもそろそろ、外の景色も見たいものでな。準備が整ったら、俺はお前を飲み込むぞ」


 ――どういう事……



 リリリリリ!



 頭上に置いてある目覚まし時計が、耳障りな音を立てる。

 俺は仕方なく頭を上げて、その時計の頭を控え目に叩く。もう、朝の七時半か。そう考えさせるほど、寝付けなかったようだ。


「今日も夢に出てきやがった……」


 最初に夢に出てきたのがいつだったかも忘れるほど、ずっと前からあいつの夢を見ている。その度に、俺はお前だと、意味の分からないことを言っている。


「お前を……飲み込む……」


 どういう事かは、分からない。でも、嫌な予感がするのは、否定できなかった。

 その予感から逃げるように、俺はベッドから降りる。冷たいフローリングが足を刺激するが、お構いなく歩いていく。そのまま階段に向かい、降りると、生活感のある無人の空間が、目の前に広がった。

 そして、キッチンに向かって棚に置いてあったバナナを乱暴に持ち上げる。それの皮を剥きながらソファへ歩き、座ると同時に、先から三センチほどを口に入れた。甘い。

 バナナを食べながら、俺はテーブルの上にあるリモコンを手に取り、さらに奥にあるテレビの電源を付けた。ニュースを見ながらバナナを食べるのが、俺の日課だ。


『昨夜、男子高校生二人が、焼死体となって見つかった事件がありました』


 画面の左上に視線を逸らして、少し顔をしかめる。


『目撃者からは、犯人の腕から炎が放出された、という証言が出ており、警察は能力者が犯人である確率が高いとして、調べを進めています』


 能力者。

 三年ほど前から騒がれだした単語だ。いまだに詳しい事は分かっていない。分かっている事があるとすれば、後天的に得るものであるという事と、過去の経験が関係しているという事だけだ。


『また、外出する際は、出来るだけ二人以上で行動することを心がけてください』


 言われなくても、出来ないよ。

 両親は事故で亡くなった。兄弟もいない。だから、最後のアナウンサーの一言は、癇に障った。かと言って、チャンネルを変えようとは思わないので、とりあえずそのニュースを見ておく。時間が経ったら、別のニュースに切り替わるだろう。

 そして、予想通り別のニュースになった時、ちょうどバナナ一本を食べ終わり、ごみ箱に向かう。

 着替え、荷物の準備、どちらも終わった頃には、八時に迫っていた。しかし、慌てる事は無い。

 高校まではとても近く、徒歩十五分ほどで行けるほど。それをさらに自転車で向かうというのだから、急がなければならない時間では、まずない。


「暇だな……」


 そう呟いて、俺はテレビの前のソファに座った。

 ニュースは、いつもとさほど変わらない事件の概要を説明していた。事件を間近に感じたことが無いので、実感もわかず、ただただ暇なだけだ。

 でも、この時間が落ち着く。何故かは分からないけれど。

 人の不幸談を聞いて落ち着くというのも、なんだか性格の悪い話だが、事実なのだ。

 そうやってソファに座り続けているうちに八時になり、登校することになった。


 空気は少し冷たく、秋を実感させる。その冷気も、自転車のペダルを踏むことで、さらに力を増す。

 それも含めて、今日の通学路もいつも通りだった。

 少し赤い木の葉、まばらな通行人と盛んな車通り、左に見える池。それに映る太陽の光に目を奪われながら走っていた時、『いつも通り』が崩れた。


「きゃー!」


 多数の悲鳴が同時に耳に飛び込んでくる。

 その方向に慌てて視線を向ける。すると、


 ボゥ。


 炎の音がした。何を言っているのか分からないだろうが、とにかく炎の音がした。言い換えるなら、何かが燃える音。

 そして、直後、


「熱っ……!」


 思わず自転車を捨てて、体を仰け反らせる。

 ガシャン! と、音を鳴らして自転車が倒れ、ほんの少し遅れて俺の背中が地面に着く。突然の事で、受け身は取れず、背中にとてつもない衝撃が走る。

 その痛みから逃げるように、その場でバタバタと身を暴れさせる。その間に、頭の中に一つの予想が生まれた。


 ――まさか、朝のニュースで見た……!


 そこまで考えたが、次の言葉を浮かべる暇も与えさせずに、また炎が迫る。


「っ……!」


 今度は、一つの単語も、口から発することは出来なかった。

 右腕に、炎がもろにかかる。


「ぐっ、あぁぁ!」


 叫びながら服を脱いで炎から逃れた後、やっと相手の姿を視認する。

 見る限りでは、三十代ほどの男性。黒髪に、黒いパーカー、黒いズボン。コーディネートを全身黒でまとめている。この時は、こんなことを考える余裕は無かったが、正直ダサい。


「いいね……もっと、逃げてくれよ! 低温でじっくりいたぶってやるからよ!」


 と、言った後に右腕から上に向けて小さく放火した。

 趣味の悪い……生憎、まだ死ぬわけにはいかない。

 しかし、どうしようもない……!


『大丈夫かよ』


 心の奥から声がした。

 それと同時に炎が俺を襲うが、ぎりぎりで右に避ける。


「誰だ!」


 必死に答えたため、大声になった。しかし、炎を放つ男はそれを気にする事無く、俺に照準を合わせていた。すぐに殺せばいいものを……


『俺は、お前の中にいるお前だ』

「どういう事だ! さっぱり分かんねぇな!」

『分からなかろうが、どうでもいい。ったく……こんな早く準備が整うとは。運がねぇな』

「だから、どういう意味だよ!」


 今は相手も手加減しているから避けられてはいるが、こちらの集中が切れるか男の気が変わったら、すぐに死ぬ……!


『単刀直入に言うと、俺なら奴を殺せる』

「えっ!?」


 意味は分からない。でも、あまりに急な救済の言葉だったので、思わず耳を傾けてしまった。


「俺と、お前は一緒じゃないのか……?」

『一緒じゃねぇよ。とにかく、交代しろ』

「どうすればいいんだよ!」

『どうもする必要はねぇ。交代を受け入れれば、後は俺がする』


 交代、この意味を把握していなかったが、助かるならどうにでもなると、この時は考えていた。

 そして、心の中の俺が言った、「殺せる」という言葉も、頭に入っていなかった。


『じゃあ、いくぞ』


 という言葉の後、俺は不思議な体験をした。

 意識だけが宙に浮いて、ついでに視界も宙に浮く。そして重力の縛りから外れる。全て、比喩ではない。


「なんだなんだ! もう、諦めたのか!」


 動きが止まった俺――いや、夢に出てくる男にできた隙を的確に突いて、男は炎を放出した。

 しかし、その炎は思わぬ物で阻まれた。

 『夢の男』が地面に手をついたと同時に、道路のアスファルトが壁になるように盛り上がって、炎と衝突したのだ。


「なにっ……!?」


 その炎は、煙を立てて消えた。まるで、液体と炎がぶつかったような、現象だった。


「どういう事だ……?」


 炎の男と同時にそう発した。

 視界に映る、現実が受け入れられないのだ。


 『夢の男』だけがすべてを見据えた目をしていた。


「能力『数撃っても当たらず』」

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