第二章 『錬金術とはなんたるか』

 そうして二年前の焼きまわしのように……いや、アセナにとっての奥の手を引き出しているという点では焼きまわしなどでは決してなく、目を見張る成長が云々。と言いたいところではあるのだが、結果、結論、結局。こうしてうつ伏せに……前言撤回。ギブアップしたときの姿勢も違った。いや、正しく言えばこうだ。


 ──奥の手まで引き出してしまった洋介は、二年前に手加減されていたという事実に気がつくと同時にこの空間の《治療》すら追いつかないレベルの怪我を負わされて、満身創痍で床に叩きつけられていた、と言うべきだろう。


 それはそれはひどい有様だった。

 どちらがひどいなど言うまでもない。奥の手を出させたのだから、敬意を払って云々、と言ってここまでやってのけてしまったアセナがひどいことをして、洋介がひどいことになっていた。

 結果だけ見れば無傷のアセナとボロボロの洋介。圧勝という言葉すら生ぬるく感じる結末。だが、その試合内容は


 「やべぇわ。あんたら魔法使いをバケモノって評価してた二年前の私に世界は広いって教えたくなるわ……」


 言外にこの光景を見るまではそう思っていた、と告げられて歩は軽く苦笑を漏らす。

 いくら仲がいいとは言え、魔法使いと人間という事実は変わらないのだ。それを咎めるつもりはないし、否定もしない。なんたって、自分自身、どこかでそんな格差を感じているのだから。


 「まあ、洋介も善戦したけど、完全に塗りつぶされたね。何やったか忘れそうだ」


 「ひどい、とは言わないわね。私も、いや、私は善戦したって事実すら忘れそうよ……」


 「てめえら、あとで覚えてろよ……」


 そううつ伏せのまま、顔だけ上げて洋介はそうぼやく。

 たしかに善戦した。善戦はしたのだ。奥の手まで出させた。だが、それすら薄れさせるアセナの奥の手の内容に、結果として試合内容すら塗り替え、惨敗という試合結果が残ったのだった。


 「正直、俺も成長した自信があったから手傷負わせれるかな、とか思ってたけど、無理だね」


 と、そう呟いた歩の言葉にデバイス二つを格納して疲れなど見せずに肩にかかる金髪を手で掬うアセナは、意外、というような表情をその顔に張り付けた。


 「あら、敵討ち、とかしないのね。別に受けてもよかったのに」


 「学友に対して敵討ちはしないよ。それに俺は勝てない勝負はしない主義だから」


 「友達甲斐のねぇやつだ……」


 「じゃあ、あれか。フフフ、洋介を倒したか。だがしかし、奴は我ら四天王の中でも最弱──とか言って勝負を挑めばよかったかな?」


 「おうおう、言うじゃねぇか! 最弱決定戦でもするか!? いいぜ、俺は売られた喧嘩は買う主義だ!」


 だん、と床を叩いて洋介は体を起こす。プルプル腕が震える。満身創痍だ。どう足掻いても負け確定。勝負をする前から負けている。


 「くっ……き、今日のところは見逃してやるっ!」


 「ははっ、絵に描いたような負け犬の遠吠えだ」


 「三下ここに極まれり、ね」


 歩と玲奈のその言葉に洋介は歯を鳴らしてその場を立ち去ろうと立ち上がって


 「あ、今度一食、ね」


 「忘れてねぇよ、ちくしょうめ」


 毎回そうだった。

 負けた洋介がその週末、アセナに昼を奢る。

 高い飯でも奢らされるか、と思えばそうではない。安飯で腹を満たすかと思えばそうでもない。

 簡素なチェーン店のカフェで簡単な軽食で昼を済ませる。そんな勝利報酬に拍子抜けして、高く付くと身構えていた自分を嘲笑わらって、洋介はそんな敗者の義務を払っていた。


 藪蛇を突いて変に高く付けるのもバカだとそれに関して言及したこともない。そういうものだと考えて、洋介は今回もそれを呑むのだった。



 そうしてその二日後。朝のホームルームが終了して、一限目の授業が始まる前の休憩時間。

 教室内は、いや、正しくは生徒は。にわかに浮き足立っていた。

 それもそのはず。数日後、と銘打っていた先日の身体測定の結果が昨晩、メールで報告され、その上で今日の一限目は実技訓練。

 詰まる所、生徒は思う。噂通りならば身体測定の結果からその優劣でグループが振り分けられている。だとすれば、今日のこの授業でソレが発表されるのだろう、と。

 そして、その考えは間違っておらず、同時に少しの間違いを孕んでいた。


 そんな浮き足立った教室の扉が開き、幹久が名簿と、おそらく配布するであろう資料の束を持って入ってくる。


 その姿に未だ浮き足立ちながらも、彼の口から紡がれるであろう言葉の一言一句を聞き洩らすまい、と教室は静まり返った。


 「あー、まぁ、わかってるとは思うが、今からグループの振り分けを発表する。前に貼り出すから個人個人確認して、グループで纏まってくれ」


 そうして言われて、貼り出された表を確認して、教室は一気にざわついた。

 それもそのはずだ。

 たしかにほぼ優劣で振り分けられている、ということは窺える。が、それは窺える、というだけであって優劣で振り分けている、という断定ではない。つまりは


 「なぜ僕が彼らと同じグループなのですか!?」


 「そ、そうよ! 身体測定の結果だけで判断すれば同じグループになるような成績じゃない人と──」


 そう。一部。特別優秀だったと自負できるレベルで高い成績を修めた者が成績下位だったであろうと予想できるグループに一名ずつ振り分けられていたのだ。


 いや、たしかに洋介が測定前に言った通り、何か才能が開花して測定結果が跳ね上がった可能性も否定できない。身体測定の結果は個々人に開示され、他人の結果は窺い知れないのだから。だが、否定できなくはないが、軒並み上がるなんてことはあるのだろうか。

 答えは否だ。そもそもその優秀者以外の生徒たちも動揺しているのだ。測定の結果が昨年までと同様に変化していないのは、ほぼ明らかだろう。


 だったらなぜ? そう詰め寄る生徒たちに、幹久はバリバリと頭を掻いて告げた。


 「あー、どうせ先輩に優劣で振り分けられるって情報もらってそんな解釈してたんだろう。まぁ、あながち間違いじゃねぇが、噂は噂だ。たしかに滅茶苦茶に振り分けるよりはそっちの方が効率はいいさ。だがな、それだけじゃ、成長はしねぇんだよ。ここはどこだ? あぁ、そうさ。悪い魔法使いどもに対抗する手段を得るための機関だ。学校なんて体裁取ってるが、その根幹は揺るがねぇ。仲良しこよしでつるんでぬるま湯浸かった奴らを前線に出せるかってんだ。ならどうするか。優秀なやつらは下を引っ張りあげろ。腐るなら腐ってろ。除籍は免れねぇだろうがな。下は足掻け。死に物狂いで着いていけ。よく言うだろ、優秀なやつ一人いればその集団は一つ二つ簡単にステージを引き上げられるってな」


 有無を言わさぬ剣幕で矢継ぎ早に告げられたその言葉に、だが、というなおも否定的な意見と、なるほど、という意見でクラスが分かれる。

 たしかに納得のできる意見ではあるのだ。では、それでは自分たちの成長はどうでもいいのか、とクラスの半分は反発する。


 「まぁ、わからなくはねぇよ」


 その反発に幹久は同意の意を示した。

 だが、それはあくまで理解はできる、というだけ。理解したところでそれを覆すつもりは毛頭ないし、する権限もない。だからどうした、とそれを一蹴する。


 「まぁ、たしかに引っ張り上げる自信のねぇやつ、って点ではたしかに見込み違いだな。その辺は報告を入れといてやるよ。もしかしたら誰かの下に付けてもらえるかもしれねぇな」


 と、わかりやすい挑発に。

 一気に教室がざわめき、その反発していた上位の生徒は一言。


 「結構」


 幹久のその言葉がただの煽りだと気が付いていながらも全員が拒絶の意を示す。プライドが許さないと。

 そうして各々グループに別れていく中、洋介、歩、玲奈の三人は腰に手を当て、盛大なため息を一つ。零していた。


 「まさか、お前と同じグループになって、歩と同じグループになれないなんざ、終ぞ思わなかったわ……」


 「あら、奇遇ね……私もあんたみたいな下位と同じグループになるとは思わなかったわ……」


 「俺はぼっちになったみたいだね……頼むから他の人に迷惑かけないでくれよ?」


 いがみ合いながらも、歩のその言葉に洋介と玲奈はソレを鼻で笑って一蹴する。


 「それはねーよ」

 「足を引っ張るつもりは毛頭ないわ。引っ張られるつもりならあるけど」


 自信に溢れた言葉。ただ、違うんだよなあ、と歩はさらに一つ嘆息して。でもこのグループは先程幹久が言ったように仲良しこよしをするためのものではないのだ。だったら、たしかにこの二人が迷惑をかけるなんざ思えず。


 「じゃ、頑張れよ?」


 「おうよ。そっちも頑張れよ」


 拳を合わせて、歩も自分のグループの下に向かっていって。

 そんな洋介と玲奈の背後から声がかかった。


 「やぁ、一緒の班になったようだね」


 「おう、よろしく頼むぜ」


 そうして声の方に振り返れば、そこにいるのは闇色の髪に赤い瞳の少年。柔らかそうな物腰と表情の裏に絶対的な自信と実力を隠し持つ、学年屈指の魔法使い。

 春夏冬あきないあきら。学年で一人の『魔術師』であり、《空間制御》という魔法を扱うがゆえ、早くも『魔導師』すら見えているのではないか、という噂も立っている少年。


 「正直、僕と一緒の班になったんだ。狙うはトップだよ?」


 不敵に笑みを浮かべつつ、その視線の先にあるものを洋介は理解する。

 アセナ・ノーレイアス。彰すら差し置いて現状でトップではないかと考えられる少女。


 「僕は魔法使いだからどうとかは気にしないんだけどね。ただトップで在り続けたいと思っている。それを邪魔するならたとえ彼女でも倒してやるつもりだよ」


 その言葉に洋介はニヤリと笑みを返して


 「あぁ、それは俺も同意見だ」


 「まあ、あんたの場合、トップであり続けるんじゃなくてなろうと足掻いてるだけだけどね」


 「いいだろ。狙うのと在り続けるのはそんなに変わらねえよ。そこにいるか、そこに向かってるかどうかの差だ」


 言外にいつかなってやるよ、お前らも抜いてな、と告げる洋介に彰は満足そうに頷くのだった。

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