01
迎えのヘリコプターに揺られるままに、
未有人は義務教育を驚異的な成績で終えると、高校をスッ飛ばして防衛大学を僅か二年で首席で卒業。今や、日本で最も有名なエリート高級官僚だった。
「綾鉄参事官、お仕事にはもう慣れられましたか? 御父様が――綾鉄司令が心配しておりました」
「この半年でまぁ、随分と引っ掻き回したけど。防衛省も自衛隊も、まだまだ改革が必要ってトコかな」
「綾鉄司令もお喜びですよ。参事官が出演されるテレビ番組は、欠かさずチェックしてますもの」
「ま、広告塔もやって見せないとね。メディアへの露出が多過ぎるって批判も……やだ、何あれ」
「あら、見えて来ましたね。あれが我々の基地です。最も対外的には、空の豪華客船扱いですが」
東京湾上空に鎮座する、それは巨大な飛行船。圧倒的な威容は、完全に距離感を食い潰していた。
「改めて歓迎しますわ、綾鉄参事官。ようこそ、
窓に張り付いていた未有人は、微笑む声に振り返った。三つ編みに結った長い後ろ髪が揺れ、初めて耳にする言葉に自然と目元が引き締まる。
陸海空、どの自衛隊にも所属しない
「なるのど、ブルームね……そこで父は何を?」
「我々は常に戦っています。世界の敵と。平和の為に」
※
「みーうーとぉぉぉ! パパに会いに来てくれたんだね!? 仕事の方はどうだい、怖いオジサンに苛められたりしていないかい? セクハラされたらすぐ、パパに言うんだよぉぉぉ!」
風にスーツの上着を煽られ、それを抑えながらヘリポートへ降り立った未有人。彼女は突然、聞き慣れた声に抱き上げられた。
「綾鉄空将補、降ろして下さい。今の私は……アタシは防衛省の特例参事官なんですからねっ!」
「おおっと、これは失礼致しました。参事官殿……元気そうで安心したぞ、未有人」
高々と両腕で抱き上げ、悪びれた様子も無く笑う未有人の父、綾鉄防人。
「もうっ、部下の前ではしゃんとしてないと。うん、アタシは元気に働いてるよ、パパ」
お互い多忙でなかなか会えないが、相変わらずの関係が未有人には嬉しかった。世界の敵とか、平和の為とか言われてもピンと来ないが。未有人にとっていつでも、防人は大好きな頼れる父親だから。
「突然呼び出されてビックリしちゃった。一応、特務B分室――ブルーム? だっけ? その視察って事で来たんだから」
鋼鉄の床に降ろされ、
防人もその積もりで、緩みきった表情を引き締めると。何かを告げようと口を開きかけた、その瞬間。不意にけたたましい警報が鳴り響き、ヘリコプターのローター音に船内放送の声が入り混じる。
《緊急事態発生! 繰り返す、緊急事態発生!
聞き慣れない単語に未有人は首を傾げるも、周囲の空気は一変する。即座に緊張感が満ちれば、
「綾鉄司令、私は先に作戦指揮所へ」
「頼む、
「では参事官、失礼致します」
「あの三人も今日は、実験の立会いに来ている筈だな? 至急、スクランブルだ――おお!」
落ち着き払って敬礼し、先程の女性自衛官が足早に去る。未有人を運んで来たヘリも、誘導員に連れられ慌しく格納庫へ。それと入れ違いに現れた人影を認めて、防人は頼もしく頷いた。その視線を追った未有人は、目に飛び込んで来た場違いな格好に絶句したが。
「いつも済まない。私も今すぐ指揮所に入る……また、行ってくれるかね?」
「おじ様、わたくし達ならいつでも出られますわ。大丈夫です、冨士の樹海ならそう遠くありませんもの」
何故、和服美人がこんな場所に居るのだろう? 自分とそう年頃も変わらぬ、どこか大人びた少女を未有人は見やると。目線が合えば自然と、穏やかな笑みが返って来る。二人は黙って目礼を交わした。
「頼んだよ、
そう言い防人は、確かな足取りで船内へと向う。微笑む少女と挨拶もそこそこに、慌ててその背中を追う未有人。彼女は、次第に事の重大さを飲み込み始めたが。再び、奇異な光景を目の当たりにした。
「
「あーん、待ってよリサちゃん! そんな事言っても、毎度いきなりなんだもん。心の準備が」
「敵は待ってはくれません、山田三等特尉。奴等は速やかに
「うんっ! 今日もがんばろ! わたしとリサちゃんと、めぐみちゃんとで」
やはり先程同様、同世代の少女達。今度の二人は、セーラー服を着た女子高生に未有人には見えた。無愛想な物言いの小柄な少女は、もう一人の、酷く目立つ
擦れ違う
「めぐみちゃーん、おまたせっ!」
「では皆さん、参りましょうか」
「了解」
一度だけ未有人は振り返ったが、その時にはもう……先程の三人の姿は無かった。
「未有人、こっちだ――未有人?」
「あっ、うん。今行く……何だろ、疲れてるのかな? アタシってば」
鋼鉄製の扉を開いて、防人が振り向き呼ぶ。その声に応えて、未有人は小走りに後へ続いた。恐るべき世界の真実へ向って。
※
薄暗い作戦指揮所では、多くの自衛官達が働いていた。否、戦っていた。未有人は初めて味わう張り詰めた緊張感を、実戦の空気なのだと即座に理解する。
交錯する情報が行き交い、さまざまな手続きと連絡を
すぐ目の前で端末を操作していた、二人の女性オペレーターが振り向いた。
「司令、内閣府及び関係各省庁への通達、全て終了致しました」
先程、自分を迎えに来た女性だ。確か名前は桐原、階級は二等特曹。この、特曹という聞き慣れない階級に未有人は首を捻る。そう言えば先程の総髪の少女は、連れ添うもう一人を――長身白髪の少女を特尉と呼んでいた。
「東冨士演習地で演習中だった部隊、撤収完了です。現在、海音寺一等特尉以下三名が現場へ急行中」
もう一人のオペレーターが新しい専門用語を口にすると同時に、誰かが「光学映像、来ます!」と叫んで。真正面に位置する巨大なモニターが低く唸った。
一斉に視線が殺到する、映し出された惨状に未有人は言葉を失う。防人はぎりと奥歯を噛んで、時々ノイズの混じる映像を睨んだ。
「これより本件を、
立ち上がるなり大きく手を
「
「オッケー、つみれ! ブルームベースよりブルーム
次々と知らない用語が、頭の中を通り過ぎる。しかし今、眼前の光景に未有人の思考は半ば停止していた。
やや鮮明さに欠く、それは望遠で捉えられた映像なのだろう。中央では古風な
大隊規模の機甲兵器は全て、車輪が無かった。
《ブルーム1よりブルームベースへ。現在、最大戦速で現場へ急行中ですわ》
「了解、気をつけなよ? 今日のは数で押して来るタイプみたいだし」
《あ、それならわたし、大得意ですっ! もう、バリバリやっつけちゃいますねっ!》
《ブルーム
《金田さん、こんな調子ですわ。
「そっか、まあ今日はお客さんも見てる事だし。いっちょ派手にガツンとやっちゃいな」
三者三様に了解の声が響いて、通信の混線が終わると。金田と呼ばれた女性隊員が未有人を肩越しに振り向いた。見慣れぬ制服を着崩した姿が、じっと見詰めてくる。
「あ、あの、何か」
「ん、いやあ……噂の天才少女も、流石に驚いちゃったかな、って。ね、司令?」
腕組み大きく防人も頷く。図星なだけに、未有人は頬が火照るのを感じた。呆けている場合ではないと我に返れば、防衛省特例参事官としての自分が現状確認の必要性を訴えてくる。未有人はそれに迷わず従った。
「パパ、じゃないっ、綾鉄空将補! 説明して下さい、いったい
未有人は正面のモニターを指差し、未だ凝視し続けている防人に説明を迫った。
父に憧れ、防衛畑まっしぐらに育った未有人。しかし今、画面の中で暴れている兵器は見た事が無い。アニメや漫画、小説等の創作物でしか。
それは旋回砲塔を備えた戦車に見えるが。転輪もキャタピラも存在せず……八本の脚で、まるで
「あれは如何なる国家の所属でも無い。強いて言うなら――日本」
「日本!? では、陸自の試作……いいえ、あんな物を作る予算や技術は」
「敵の名は『N計画』。戦後絶えなく世界を脅かして来た、前世紀の悪しき亡霊だよ」
「データ照合完了! N計画第八百六十七号は、
桐原二等特曹の声と同時に、その詳細なスペックが分割された正面モニターに映し出される。その数値は、現行の最新兵器を遥かに凌駕する高性能。
「N計画とは、旧日本帝国軍が立案した
歴史が示す通り、日本は無条件降伏を選択した。今の平和と繁栄があるのも、全てはその決断の賜物。
「N計画の無人兵器群は、一度も実戦に投入される事無く闇に葬られる筈だった。だが……奴等は人の手を離れて、独自に世界の平和を脅かし始めたのだ」
衝撃の真実をしかし、未有人は次第に飲み込み始めた。にわかには信じ難いが、目の前の現実を直視すれば無視する訳にも行かず。安易に逃避する程、彼女は弱くは無かった。
「何故、自衛隊の現有戦力で対応しないのです? 在日米軍との協力体制は――」
「N計画は世界中の至る所にボーダーレイドする。それぞれが持つ
「ボーダーレイド? 霊子境界……? しかし、世界中に被害が及ぶなら、各国と連携して」
「未有人、無駄なのだよ。
困ったね、という顔で防人は、一瞬だけ娘を見る眼で未有人を見詰めた。
「つまり――神出鬼没で無敵の軍隊に、世界中が狙われていると? 悪い冗談だわ……そうも言ってられない現実だけど」
「そうっ! その脅威と戦うのが我々、自衛隊特務B分室――ブルーム! そしてっ!」
防人はカッ、と眼を見開いて。母国の負の遺産が暴れ回る、メインモニターを勢い良く指差した。
「
突如、眩い閃光が走った。画面に映る敵、N計画の多脚中戦車が次々と撃破されてゆく。別のカメラに切り替わった映像の中を、三つの影が舞っていた。ヘリポートで擦れ違った、同世代の少女達。その手に抱え構えるは、鋼の
「ブ、ブルームストライカーズ?」
「そうっ! N計画の無人兵器群は、強力な霊子力場により堅牢な絶対防御力を有している。それを唯一破れるのが、魔砲遣いの
作戦指揮所のアチコチで歓声が上がった。眼前のオペレーター達も、互いの顔を見合わせ安堵の表情を浮かべる。
だが、その声はもう未有人には届いていない。彼女はじっと、息を切らせて真実を語る防人を見詰めていた。
「知らなかった……そんな戦いがあったなんて」
「当然、どの国でもトップレベルの機密扱いだよ。国連を通じて、一応の協力体制は築いているがね」
「報道規制――むしろ、報道統制? 徹底してるわね……悔しいけど全然気付かなかったわ。今日まで」
「市民の混乱を避ける為でもあるし、日本の国際的な立場を守る為でもある。それに何より」
「とりあえず状況は把握しました。私も特例参事官として、最大限の
「未有人……」
「その為に今日、アタシを呼んだんだよね? 大丈夫、任せてっ! 予算ガッツリ付けるから、その、砲騎? 先ずは数を揃えようよ。各自衛隊に配備してさ、それで――」
「それがな、未有人……そもそも、今日呼んだのは……」
防人が不意に
「予算は嬉しいですね。数を揃えたいんですよ……最も、技術的に難しかったんですが。今までは」
白衣のポケットに手を突っ込んだ、若い男が気付けば背後に立っていた。ひょろりと背の高い、痩せた技術者風の彼は「
「N計画第八百六十七号の殲滅を確認」
「状況終了、ブルームベースより各騎へ。お疲れさん、帰っておいで」
《ブルーム1、了解ですわ。皆さん、戻りましょう》
《ブルーム2、了解っ!もう、お腹ペコペコです~》
《今日も奴では無かった……ブルーム3、了解》
今日もまた人知れず、世界の脅威が除かれた。だが、それは多くの人々に隠された日常の、ほんの一コマに過ぎない。
「
風矢特別技官と呼ばれた男は、
「未有人さん、貴女……魔砲遣いに、ブルームストライカーになって貰えませんか?」
振り向くオペレーター達も、周囲の隊員達も。誰もが未有人に注目して、返事を待った。しかし余りに突然の事で、未有人は言葉が出てこない。
世界の現実を知り、為すべき事を具体的に考え出した矢先に。突然、思っても見ない選択を未有人は求められた。自分が魔砲遣いになる……N計画と呼ばれる、旧日本帝国軍の
それは天才的頭脳を誇る未有人でも、すぐには想像出来ない光景だった。
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