01

 迎えのヘリコプターに揺られるままに、綾鉄未有人アヤガネミウトは父の元へ向っていた。無論、娘としてでは無く、防衛省の特例参事官とくれいさんじかんとして。

 未有人は義務教育を驚異的な成績で終えると、高校をスッ飛ばして防衛大学を僅か二年で首席で卒業。今や、日本で最も有名なエリート高級官僚だった。容姿端麗ようしたんれいな上に文武両道ぶんぶりょうどうの天才少女。一部の人間には、ちょっとした国防こくぼうアイドルである。


「綾鉄参事官、お仕事にはもう慣れられましたか? 御父様が――綾鉄司令が心配しておりました」

「この半年でまぁ、随分と引っ掻き回したけど。防衛省も自衛隊も、まだまだ改革が必要ってトコかな」


 山積さんせきする難題を思い出し、向かいに座る女性自衛官に肩をすくめて見せる未有人。しかし彼女の注意深い洞察力は、談笑しながらも眼前の人物を鋭く精査していた。その独特な制服や階級章は記憶に無い。


「綾鉄司令もお喜びですよ。参事官が出演されるテレビ番組は、欠かさずチェックしてますもの」

「ま、広告塔もやって見せないとね。メディアへの露出が多過ぎるって批判も……やだ、何あれ」

「あら、見えて来ましたね。あれが我々の基地です。最も対外的には、空の豪華客船扱いですが」


 東京湾上空に鎮座する、それは。圧倒的な威容は、完全に距離感を食い潰していた。


「改めて歓迎しますわ、綾鉄参事官。ようこそ、自衛隊特務B分室じえいたいとくむBぶんしつ――通称『ブルームB-Room』へ」


 窓に張り付いていた未有人は、微笑む声に振り返った。三つ編みに結った長い後ろ髪が揺れ、初めて耳にする言葉に自然と目元が引き締まる。

 陸海空、どの自衛隊にも所属しない秘匿機関ひとくきかん……特務B分室。それが尊敬する父、綾鉄防人アヤガネサキモリ空将補くうしょうほが統べる組織の名。そこまでは未有人も独力で調べたが。それがどのような任務を担っているのかは、高度な機密保持に阻まれ知る事が出来なかった。そして今日、自分が父に呼ばれた意味も。


「なるのど、ブルームね……そこで父は何を?」

「我々は常に戦っています。世界の敵と。平和の為に」


 ほうきを手に飛ぶ魔法使い。それが鮮やかに描かれた船首をかすめて、未有人を乗せたヘリは飛行船の船尾へと、そこに設けられたヘリポートへと回り込んだ。


                  ※


「みーうーとぉぉぉ! パパに会いに来てくれたんだね!? 仕事の方はどうだい、怖いオジサンに苛められたりしていないかい? セクハラされたらすぐ、パパに言うんだよぉぉぉ!」


 風にスーツの上着を煽られ、それを抑えながらヘリポートへ降り立った未有人。彼女は突然、聞き慣れた声に抱き上げられた。


「綾鉄空将補、降ろして下さい。今の私は……アタシは防衛省の特例参事官なんですからねっ!」

「おおっと、これは失礼致しました。参事官殿……元気そうで安心したぞ、未有人」


 高々と両腕で抱き上げ、悪びれた様子も無く笑う未有人の父、綾鉄防人。


「もうっ、部下の前ではしゃんとしてないと。うん、アタシは元気に働いてるよ、パパ」


 お互い多忙でなかなか会えないが、相変わらずの関係が未有人には嬉しかった。世界の敵とか、平和の為とか言われてもピンと来ないが。未有人にとっていつでも、防人は大好きな頼れる父親だから。


「突然呼び出されてビックリしちゃった。一応、特務B分室――ブルーム? だっけ? その視察って事で来たんだから」


 鋼鉄の床に降ろされ、たくましい腕から離れると。防人を見上げて未有人は、すぐにエリート官僚の顔を取り戻す。自衛隊の指揮系統から完全に独立した、謎だらけの秘匿機関。その正体を、父の仕事を知らなければいけないから。

 防人もその積もりで、緩みきった表情を引き締めると。何かを告げようと口を開きかけた、その瞬間。不意にけたたましい警報が鳴り響き、ヘリコプターのローター音に船内放送の声が入り混じる。


《緊急事態発生! 繰り返す、緊急事態発生! 東冨士演習地ひがしふじえんしゅうちにボーダーレイド反応多数!》


 聞き慣れない単語に未有人は首を傾げるも、周囲の空気は一変する。即座に緊張感が満ちれば、かたわらの父も険しい表情。それは未有人が始めて見る、自衛官としての――責任ある指揮官としての顔だった。


「綾鉄司令、私は先に作戦指揮所へ」

「頼む、桐原キリハラ二等特曹にとうとくそう。私もすぐに行く。よりにもよって、こんな日に」

「では参事官、失礼致します」

「あの三人も今日は、実験の立会いに来ている筈だな? 至急、スクランブルだ――おお!」


 落ち着き払って敬礼し、先程の女性自衛官が足早に去る。未有人を運んで来たヘリも、誘導員に連れられ慌しく格納庫へ。それと入れ違いに現れた人影を認めて、防人は頼もしく頷いた。その視線を追った未有人は、目に飛び込んで来た場違いな格好に絶句したが。


「いつも済まない。私も今すぐ指揮所に入る……また、行ってくれるかね?」

「おじ様、わたくし達ならいつでも出られますわ。大丈夫です、冨士の樹海ならそう遠くありませんもの」


 何故、和服美人がこんな場所に居るのだろう? 自分とそう年頃も変わらぬ、どこか大人びた少女を未有人は見やると。目線が合えば自然と、穏やかな笑みが返って来る。二人は黙って目礼を交わした。


「頼んだよ、海音寺カイオンジ君。では未有人、付いて来なさい。特務B分室の――ブルームの全てを知る為に」


 そう言い防人は、確かな足取りで船内へと向う。微笑む少女と挨拶もそこそこに、慌ててその背中を追う未有人。彼女は、次第に事の重大さを飲み込み始めたが。再び、奇異な光景を目の当たりにした。


山田ヤマダ三等特尉さんとうとくい、急いで下さい。スクランブルです」

「あーん、待ってよリサちゃん! そんな事言っても、毎度いきなりなんだもん。心の準備が」

「敵は待ってはくれません、山田三等特尉。奴等は速やかに殲滅せんめつしなければ……私が、この手で」

「うんっ! 今日もがんばろ! わたしとリサちゃんと、めぐみちゃんとで」


 やはり先程同様、同世代の少女達。今度の二人は、セーラー服を着た女子高生に未有人には見えた。無愛想な物言いの小柄な少女は、もう一人の、酷く目立つ長身白髪ちょうしんはくはつの少女に振り向き急ぐ。

 擦れ違う刹那せつな、ちらとその姿を盗み見れば。肩で風切り大股で歩く先頭の少女が、鋭い眼差しを返してくる。長く棚引たなび総髪そうはつが揺れ、強い光を灯して輝く瞳。一瞬だけ交錯こうさくした視線に、未有人は何故か震えて萎縮いしゅくした。彼女が感じた、それは殺気。


「めぐみちゃーん、おまたせっ!」

「では皆さん、参りましょうか」

「了解」


 一度だけ未有人は振り返ったが、その時にはもう……先程の三人の姿は無かった。


「未有人、こっちだ――未有人?」

「あっ、うん。今行く……何だろ、疲れてるのかな? アタシってば」


 鋼鉄製の扉を開いて、防人が振り向き呼ぶ。その声に応えて、未有人は小走りに後へ続いた。恐るべき世界の真実へ向って。


                  ※


 薄暗い作戦指揮所では、多くの自衛官達が働いていた。否、戦っていた。未有人は初めて味わう張り詰めた緊張感を、実戦の空気なのだと即座に理解する。

 交錯する情報が行き交い、さまざまな手続きと連絡をとなえる声を浴びながら。防人は中央の司令席へと収まった。未有人はそのかたわらで、いかつい背もたれを手に周囲を見渡す。

 すぐ目の前で端末を操作していた、二人の女性オペレーターが振り向いた。


「司令、内閣府及び関係各省庁への通達、全て終了致しました」


 先程、自分を迎えに来た女性だ。確か名前は桐原、階級は二等特曹。この、特曹という聞き慣れない階級に未有人は首を捻る。そう言えば先程の総髪の少女は、連れ添うもう一人を――長身白髪の少女を特尉と呼んでいた。


「東冨士演習地で演習中だった部隊、撤収完了です。現在、海音寺一等特尉以下三名が現場へ急行中」


 もう一人のオペレーターが新しい専門用語を口にすると同時に、誰かが「光学映像、来ます!」と叫んで。真正面に位置する巨大なモニターが低く唸った。

 一斉に視線が殺到する、映し出された惨状に未有人は言葉を失う。防人はぎりと奥歯を噛んで、時々ノイズの混じる映像を睨んだ。


「これより本件を、N計画エヌけいかく第八百六十七号と認定する! データの照合を急いでくれたまえ」


 立ち上がるなり大きく手をかざし、げんとした声で叫ぶ防人。


金田カネダ先輩、照合は私が。先輩は三人のバックアップに集中して下さい」

「オッケー、つみれ! ブルームベースよりブルームワンへ――めぐみ、みんなの調子はどう?」


 次々と知らない用語が、頭の中を通り過ぎる。しかし今、眼前の光景に未有人の思考は半ば停止していた。

 やや鮮明さに欠く、それは望遠で捉えられた映像なのだろう。中央では古風な迷彩色めいさいしょくに塗られた戦闘車両群が、備えられた砲塔に砲火を灯している。車両と呼ぶにはしかし、些か抵抗を感じるが。

 大隊規模の機甲兵器は全て、


《ブルーム1よりブルームベースへ。現在、最大戦速で現場へ急行中ですわ》

「了解、気をつけなよ? 今日のは数で押して来るタイプみたいだし」

《あ、それならわたし、大得意ですっ! もう、バリバリやっつけちゃいますねっ!》

《ブルームスリーよりブルームツーへ、回線に割り込まないで下さい。私語も厳禁です》

《金田さん、こんな調子ですわ。おおむねいつも通りですね》

「そっか、まあ今日はお客さんも見てる事だし。いっちょ派手にガツンとやっちゃいな」


 三者三様に了解の声が響いて、通信の混線が終わると。金田と呼ばれた女性隊員が未有人を肩越しに振り向いた。見慣れぬ制服を着崩した姿が、じっと見詰めてくる。


「あ、あの、何か」

「ん、いやあ……噂の天才少女も、流石に驚いちゃったかな、って。ね、司令?」


 腕組み大きく防人も頷く。図星なだけに、未有人は頬が火照るのを感じた。呆けている場合ではないと我に返れば、防衛省特例参事官としての自分が現状確認の必要性を訴えてくる。未有人はそれに迷わず従った。


「パパ、じゃないっ、綾鉄空将補! 説明して下さい、いったい何処どこの国が――」


 未有人は正面のモニターを指差し、未だ凝視し続けている防人に説明を迫った。

 父に憧れ、防衛畑まっしぐらに育った未有人。しかし今、画面の中で暴れている兵器は見た事が無い。アニメや漫画、小説等の創作物でしか。

 それは旋回砲塔を備えた戦車に見えるが。転輪もキャタピラも存在せず……八本の脚で、まるで蜘蛛くもの様に大地を這い回っていた。そんな陸戦兵器など、聞いた事も無い。


「あれは如何なる国家の所属でも無い。強いて言うなら――

「日本!? では、陸自の試作……いいえ、あんな物を作る予算や技術は」

「敵の名は『N計画』。戦後絶えなく世界を脅かして来た、前世紀の悪しき亡霊だよ」

「データ照合完了! N計画第八百六十七号は、零六式多脚中戦車ゼロロクしきたきゃくちゅうせんしゃ・チヨと判明!」


 桐原二等特曹の声と同時に、その詳細なスペックが分割された正面モニターに映し出される。その数値は、現行の最新兵器を遥かに凌駕する高性能。

 茫然自失ぼうぜんじしつの未有人を落ち着かせるように、防人は静かに語り出した。


「N計画とは、旧日本帝国軍が立案した大東亜決戦用逆転計画だいとうあけっせんようぎゃくてんけいかくの総称。その正体は、無人兵器群による無差別再侵攻作戦。しかし、計画は実行に移される事は無かった……表向きは」


 歴史が示す通り、日本は無条件降伏を選択した。今の平和と繁栄があるのも、全てはその決断の賜物。


「N計画の無人兵器群は、一度も実戦に投入される事無く闇に葬られる筈だった。だが……奴等は人の手を離れて、独自に世界の平和を脅かし始めたのだ」


 衝撃の真実をしかし、未有人は次第に飲み込み始めた。にわかには信じ難いが、目の前の現実を直視すれば無視する訳にも行かず。安易に逃避する程、彼女は弱くは無かった。


「何故、自衛隊の現有戦力で対応しないのです? 在日米軍との協力体制は――」

「N計画は世界中の至る所にボーダーレイドする。それぞれが持つ霊子境界ボーダー内から、時と場所を選ばず」

「ボーダーレイド? 霊子境界……? しかし、世界中に被害が及ぶなら、各国と連携して」

「未有人、無駄なのだよ。霊子波動機関アストラルドライブを搭載したN計画の兵器群は、現行のあらゆる兵器を持ってしても倒せない。信じられるかい? 連中の強力な霊子力場アストラルテリトリーは、核の直撃にも耐えられるそうだよ」


 困ったね、という顔で防人は、一瞬だけ娘を見る眼で未有人を見詰めた。


「つまり――神出鬼没で無敵の軍隊に、世界中が狙われていると? 悪い冗談だわ……そうも言ってられない現実だけど」

「そうっ! その脅威と戦うのが我々、自衛隊特務B分室――ブルーム! そしてっ!」


 防人はカッ、と眼を見開いて。母国の負の遺産が暴れ回る、メインモニターを勢い良く指差した。


砲騎BROOMを駆る魔砲遣いオーバーメイジ……ブルームストライカーズだっ!」


 突如、眩い閃光が走った。画面に映る敵、N計画の多脚中戦車が次々と撃破されてゆく。別のカメラに切り替わった映像の中を、三つの影が舞っていた。ヘリポートで擦れ違った、同世代の少女達。その手に抱え構えるは、鋼のほうき――否、砲騎。


「ブ、ブルームストライカーズ?」

「そうっ! N計画の無人兵器群は、強力な霊子力場により堅牢な絶対防御力を有している。それを唯一破れるのが、魔砲遣いの霊子力アストラルで駆動する、戦後人類最強の携行火器……砲騎っ!」


 作戦指揮所のアチコチで歓声が上がった。眼前のオペレーター達も、互いの顔を見合わせ安堵の表情を浮かべる。

 だが、その声はもう未有人には届いていない。彼女はじっと、息を切らせて真実を語る防人を見詰めていた。


「知らなかった……そんな戦いがあったなんて」

「当然、どの国でもトップレベルの機密扱いだよ。国連を通じて、一応の協力体制は築いているがね」

「報道規制――むしろ、報道統制? 徹底してるわね……悔しいけど全然気付かなかったわ。今日まで」

「市民の混乱を避ける為でもあるし、日本の国際的な立場を守る為でもある。それに何より」


 愛娘まなむすめにはそんな事は知られずに、平和な世界で生きて欲しかった。親のエゴと解っていても、防人は傍らの未有人から眼を背ける。彼は己の戦いを娘に打ち明け、そして巻き込もうとしていたから。


「とりあえず状況は把握しました。私も特例参事官として、最大限の便宜べんぎを特務B分室へとはかります。もうっ、何でも言ってよね? パパが世界の平和を守るなら、アタシがパパを支えるわ」

「未有人……」

「その為に今日、アタシを呼んだんだよね? 大丈夫、任せてっ! 予算ガッツリ付けるから、その、砲騎? 先ずは数を揃えようよ。各自衛隊に配備してさ、それで――」

「それがな、未有人……そもそも、今日呼んだのは……」


 防人が不意によどむ。いつもの覇気が消え失せ、彼は肩を落として口ごもった。その顔を不思議そうに覗き込む未有人は、不意に背後で新しい声を聞く。


「予算は嬉しいですね。数を揃えたいんですよ……最も、技術的に難しかったんですが。今までは」


 白衣のポケットに手を突っ込んだ、若い男が気付けば背後に立っていた。ひょろりと背の高い、痩せた技術者風の彼は「風矢カザヤ特別技官とくべつぎかん」と弱々しく呼んだ防人に応えて。未有人にへらりと、薄い笑いを向けた。


「N計画第八百六十七号の殲滅を確認」

「状況終了、ブルームベースより各騎へ。お疲れさん、帰っておいで」

《ブルーム1、了解ですわ。皆さん、戻りましょう》

《ブルーム2、了解っ!もう、お腹ペコペコです~》

《今日も奴では無かった……ブルーム3、了解》


 今日もまた人知れず、世界の脅威が除かれた。だが、それは多くの人々に隠された日常の、ほんの一コマに過ぎない。


貴女あなたが噂の、あの未有人さんですね……司令、どうします? 実験の準備は出来ていますが」


 風矢特別技官と呼ばれた男は、躊躇ためらう素振りを見せる防人に代わって未有人に改まると。平然と驚くべき一言を放った。


「未有人さん、貴女……魔砲遣いに、ブルームストライカーになって貰えませんか?」


 振り向くオペレーター達も、周囲の隊員達も。誰もが未有人に注目して、返事を待った。しかし余りに突然の事で、未有人は言葉が出てこない。

 世界の現実を知り、為すべき事を具体的に考え出した矢先に。突然、思っても見ない選択を未有人は求められた。自分が魔砲遣いになる……N計画と呼ばれる、旧日本帝国軍の残滓ざんしと直接戦う。

 それは天才的頭脳を誇る未有人でも、すぐには想像出来ない光景だった。

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