第9話 新しき世界 -さよならストロベリーー 後編 (3)
一緒にいってもいいだろうか。
冷たくなり始めた手をにぎり、ただ泣くしかできない。
「幸せにしてあげて」
誰を?
「みんなを。あなたを」
約束を果たせたなら、いいだろうか。
「ゆっくりでいいの。次に会ったら、あなたの思い出をたくさん聞きたいから……」
きみの最後の声がいまも耳に残っているよ。
「五ヵ年計画の半分が過ぎ、皆さんの協力のお陰で他地域にくらべ大きな混乱もなく移行していることを感謝します」
わたしは死ななかった。
治療が間に合い、命は保たれた。
「アンドロイドが皆さんの生活の手助けをいたします。すでに実用化していることはご存知かと思います」
今日も、わたしの後ろにはは建部女史が控えている。
「皆さんの人生が豊かでありますよう、政界引退後もお祈り申し上げます」
わたしの演説はこれが最後だ。丁寧にお辞儀をする。議事堂の会見場から拍手が起こった。
まあ、何とか役目は果たせただろうか。渡された花束からの甘い香りに安堵する。
「ありがたいことだね、無事役目が果たせた」
「無事でもなかったでしょうが」
眉間にしわが出来てしまった建部女史と花束と書類の封筒を交換する。
「迎えは?」
「もうすぐ来ます」
「あいつに車の運転は任せられるのか?」
「まえより性能は上がってますから」
車寄せに行くと、見覚えのある借りたミニバンが入ってきた。一目見て膝から力が抜けそうになった。
「ドアが……」
停車した車の助手席のドアが盛大にへこみ長い傷がついていた。
「オトラ!!」
「はいっ」
呼ばれてオトラが元気よく運転席のドアを開けて出てきた。
「おまえは……」
小言の一つも言ってやろうと車に近寄ると、後部座席の窓が開いて、小さな女の子が二人ぴょこんと顔を出した。
「そーり!」
可愛い二重奏に、たちまち怒りは消え去る。
「美和子ちゃん、希和子ちゃん、そーりは終わりだ」
さらさらな髪の頭を両手でなでる。
「佐和子ちゃん、執行猶予は満期を迎えたよ。今日からきみたちは、わたしの娘だ」
書類は養子縁組のものだ。縁あって、佐和子姉妹を娘に迎え入れることにした。
「わ、私なんかが……」
「過ぎたことだ。それにきみのメモのおかげで被害は最小限に防げたんだ。それと、もわたしの娘なるのはイヤかい?」
佐和子嬢はさかんに顔の前で手をふった。
自殺を図った佐和子嬢は警備員に発見され、救急搬送さたれ先で息を吹き返した。脅されたとはいえ、殺害に手を貸したことには変わりなく、けれど情状酌量で執行猶予がついた判決が下されたのは三年前だ。
「オトラは作り直して性能が上がったし」
えへん、とオトラが胸をはる。今日のネクタイはサイの柄だ。どこから見つけてくるだか、このへんは
あの時、オトラはネットワークに潜り込み、佐和子嬢が襲われたとき前後の防犯カメラの膨大な画像データをソートし、来場者の中から犯人を探しだした。
「高性能アンドロイドの、はずなんだが」
佐和子嬢の淡い恋心を散らしてしまったのは申し訳ないが、当時は極秘だったのだ。
わたしは助手席に座り女性陣は後部座席に収まる。
「これ、退任のお祝いです」
美佐子嬢から小さな紙包みを渡された。香りからすぐに分かった。ストロベリーチョコレートだ。
「最近はめったに見かけないのに。ありがとう」
「ずいぶん様変わりしましたね」
前よりも人の歩くスピードがゆっくりになったような気がする。教会の炊き出しは見かけなくなった。
ラジオから流行りの歌が聞こえる。
わたしたちは黄昏をゆく葦の小舟で肩をよせ合い なつかしい歌を口ずさむ
終わる世界でも、わたしたちは手を取り合えるはずだ。
「オトラ、おまえは世界の終わりを見届けるんだ」
「イエッサー!」
……ほんとに性能は向上しているのか?
「あの、たまには遊びに行ってもよろしいですか?」
なぜか遠慮ぎみに建部女史が最後部からわたしに尋ねた。
「建部さん、そういうときには『あなたが好きです』って言えばいいんですよー」
キャーっと建部女史が悲鳴をあげた。おお、確かに性能アップだ。
「オトラ!!」
見たこともないくらい、取り乱した建部女史がルームミラーに映り、なんだかみんなで笑ってしまった。
こんなときでも、わたしたちは笑う。わたしは笑えるようになった。
ねえ、きみ。
わたしは誰かを幸せにしてあげられただろうか。
チョコレートはカカオ農園の子どもたちに届いただろうか。
……佐和子たちを幸せにしてあげられるだろうか。
もし、それができるならストロベリーチョコレートは諦められるんだ。
新しく始まる、この世界で。
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