第3話 できそこないの世界でも 中編

 五時から河川掃除。それが今日のぼくらへの割り当てだった。折りたたみ式のアルミ製のリヤカーを自転車につけるので手間取って、全力でペダルをこいで河原へ着くと、もうみんな作業していた。

「おはよう、拓海」

 ひょろっと背の高い槇が、腰を伸ばして声をかけてきた。

「おはよう。久しぶりだけど、夏やせか」

 元から色白で痩せている槇だけど、さらに体重を減らしたようで以前よりズボンがあまって見えた。

「夏バテしてさ。昨日、拓海のお母さんから赤紫蘇のジュースもらった。ありがとう。炭酸で割るとすごい美味いのな」

 早朝だっていうのに、真夏の陽射しはすでに強くなり始めている。夜も寝苦しいから夏バテになってとうぜんか。

 ぼくも首にタオルを巻いて、軍手をはめると鎌を右手に河川の土手の草を槇の隣で刈り始めた。とたんに長靴が朝露に濡れる。

「リヤカー付きって、帰りにどこかよるのか」

「駅に荷物を取りに行くよう母さんに頼まれた」

 駅、と聞いて槇の瞳がキランと光ったような気がした。

「一緒に行ってもいいかな。荷物運ぶの手伝うよ」

 そわそわとした様子で草を刈る。槇のこんたんは分かっている。

「荷物を取りに構内に入れるからだろ」

 槇は悪びれなく、にこにこと笑っている。電車が大好きな槇は、いつだって駅に行きたいのだ。

 断る理由もないから、作業が終わったら槇と行くことにした。

「手紙来たのか」

「うん、なんだか相変わらず未知の世界の話が書いてあった。秋のバレエ発表会に向けてみんなで衣装を縫っていますとか、同級生の誕生会にお呼ばれしました、とか」

 たぶんテーブルには見たこともないご馳走が並んでいたんだろう。少なくとも鯖の缶詰めではなく。

「それって、この世の話だよな」

「たぶんな」

 伸びた茅をザクザクと切る。草いきれに刺激されてクシャミが出そうだから、タオルで鼻と口のあたりをおおう。

 前に送られてきた写真は、バレエの衣装姿で椅子に腰かけているものだった。緑っぽくて青い、なんていうの? 裾が真横に広がる典型的なバレエの衣装。髪をきれいに結い上げて、きっちりお化粧して、髪飾りも衣装もなんだかキラキラしすぎて、目がくらんだ。あまり動かないという右足には装具がはめてあった。よくみると確かに左にくらべて、いくぶん細かった。

「うちの女子どもと同じ生き物とは、思えない」

 女子は河原のゴミを拾うのが仕事のはずなのに、ジャージのすそをまくって川の浅瀬で嬌声をあげていた。

「なにしてんだろ」

「うなぎを捕る罠を仕掛けるんだと」

「うなぎー!?」

 ぼくの声を聞きつけたのか、女子が大声で返事をしてきた。

「夏休み最終日に捕ったウナギでバーベキューだよ!」

「材料は持ち寄りだからね」

「拓海はお肉のクーポン、提供してよ」

 矢継ぎ早の要求に、唖然とする。そんなぼくの肩に槇が手を乗せた。

「えんじゅさんの写真を女子に見られて以来、拓海は彼女ら全員を敵に回した」

「り、理不尽な」

 えんじゅさんの写真は思わぬところで波紋を広げていたらしい。ちなみに、男子からはさんざんやっかまれたのは言うまでもない。

 こんなふうに、文通していていいことは、しょうじきない。ひとつも。

 はあ、とため息をつく横で槇は草を刈りながら言う。

「すごい生命力だよな。ぼくたちが刈らなかったら河原といわず、ぜんぶあっという間に植物に埋もれる」

 人は減るばかりで、もう棄てられた場所もたくさんあるって聞いている。ここは、最後の時までこの姿を留めていられるんだろうか。

 そんな想いは振り払う。今日は、よく使う船着き場といちばん近い橋の間を刈れば終わりだ。

「昔はさ、茅とか葦で屋根を葺いたり舟を作ったりしたんだそうだ」

 さすが、博識の槇はなんでも知ってる。こんな細い頼りないもので、ねえ。

「終わったら、冷やし飴と西瓜の差し入れがあるってさ」

「甘いものにつられて、朝から仕事するなんて、ぼくらはほんとスナオでいい子たちだよな」

 対岸の白鷺のつがいが、ぼくらの騒ぎにあきれたように飛んでいった。


 草刈りに歩いて来た槇をリヤカーの荷台に乗せて駅へ向かった。

「らくちん、らくちん」

 つぎはぎだらけのアスファルトに荷台が弾んで、槇が小さな子どもみたいに歓声をあげた。人ひとり乗せているのに、さほど苦には感じない。槇の体重はきっとぼくより、よほど軽い。

 その軽さに少しだけ不安を感じながら、まばらな住宅街を通り越してロータリーになっている駅前までやってきた。電気バスが発車を待つお客さんを乗せて二台、待機している。

 早朝のうちからロータリーの広場にある配給所にはクーポンと品物を交換する人が十人ばかり列を作っていた。配給所の隣では、物々交換のマーケットが開かれている。野菜や手作りの日用品を持ち寄って交換するんだ。

 ぼくも槇も自転車からおりて、邪魔にならないよう端の方を歩いた。今は夏野菜がたくさんならんでいる。甘い西瓜やメロンは慣れた人じゃないと作れないから数も少なくて、とくに人気がある。鶏もいれば猫や犬もいる。

「猫、欲しいんだよな。前のが死んでから鼠が出てきて困るんだよ」

 槇が猫が入っている籠をのぞく。手のひらサイズの白黒の子猫がひとかたまりになって、すやすやと眠っている。

 猫は鼠避け用、犬は防犯用、鶏は日々の卵用。

「ほんとは、拓海のところのミケの子どもが欲しいんだけどな。産まないだろう」

「うん、避妊済み」

 と、答えてからはっと気づいた。そうだ、獣医の仕事には避妊やら堕胎もあるんだ。気づかないでいた自分に呆れる。

 ああ、と小さくため息をついて駐輪場に自転車を止める。

「どうかしたか?」

 槇から声をかけられて、なんでもないふりをした。荷物受け取りの窓口で通知を手渡すと、年配の駅員が腰高の柵のカギをあけて保管庫の構内に通してくれた。

 貨車専用のホームは、荷物を保管する屋根つきの大きなスペースになっていてる。荷物は段ボール箱六個だった。柑橘類の独特な涼やかな香りが箱から漂う。

「きみは鉄道希望なの」

 熱心に駅舎や停車している車両をみつめる槇に職員が声をかけた。槇は頬を赤らめてうなずいている。

「こんど適性検査を受けます」

「だいじょうぶ、健康だったらすぐ採用だから」

 槇の顔が少しだけゆがんだように見えたのは気のせいだろうか。


「配給所によってこう」

 荷物を積み終わると、ぼくは槇をさそった。母さんから食事券を渡されていたから、なにか軽食に交換して貰おうと思ったんだ。

 平屋の配給所の両開きの入り口から中に入ると結構な広さだ。右手には品物がならんでいて、左手に食堂がある。

 テーブル席で朝食を食べている人たちもたくさんいる。ごはんの湯気と、出来立ての味噌汁のにおいにクラリとする。もう八時近いから、さすがに胃袋がきゅうっとなる。

 カウンターで食事券を出すと、対応してくれたのは十歳くらいの男の子だった。

「今日はおにぎりです。二個でいいですか」

 境界の世代の子だ。はきはきと答える男の子を奥のほうで青菜を切っている男性が見守っている。父親の輪番で一緒に来てお手伝いをしているんだろう。おにぎりを差し出されても、ぼんやりと立っているぼくを槇がこづいた。

「ありがとう、えらいね」

 槇が声をかけると、男のはぱっと笑ってそれから父親を振り返って見ていた。父親も嬉しそうにほほえんでぼくらに頭を下げた。

 その笑顔に、どきんとする。

 ぼくはもう、男の子を見ないようにして早足で食堂を後にした。

「拓海」

 外へ出ると槇はぼくの手首をつかんだ。そのまま駅構内と広場を仕切るフェンスのところへぼくを連れて行く。

「そんな顔をするなよ、子どもがいたからって」

「あ、あ。そんな顔なんて」

 していたんだな。まだ胸の動悸が収まらない。ふるえるままの手でおにぎりをひとつ、槇に渡す。

「おまえのことだから、何歳くらいのときになるか計算していたんだろ」

 誰だって考えるはずだ。終わる日には何歳になっているか、ってことは。

「あの子は発表の前後に生まれたのかな」

「じゃないか、十歳ちょいに見えたし」

 親はどう思ったんだろう。終わりが決まっている世界に子どもを持つことを。

『発表』の前後に生まれた子どもたちは『境界の世代』っていわれている。発表前と後、その境界。発表以降は子どもは減るばかりだ。

 出生数だけの問題じゃなく、『発表後』に無理心中が多発したからだ。

 槇は、いただきますと言ってから、おにぎりにかぶりついた。それから黙って線路を見ていた。電車は日に数本しかやってこない。だから、線路はいつも空っぽに見える。

 今は機能している鉄道もいつかは止まってしまう。すでに空を飛行機が飛ばなくなったように。

「槇は、いいな。なりたいものがあって」

「拓海はちがうのか」

 返事をする代わりに、うつむいたままおにぎりを口にした。のりから一度だけ行ったことのある、海の香りがした。疲れた体に塩気と梅干しの酸味がしみるほどおいしかった。

「拓海は優しいからな。医者はやりたくない、か」

「だって、これからの医者の役割は」

 口に出すのが怖い。

「おじいちゃん、気づいたときにはもう末期ガンでさ。治療はしたくないって拒否したんだ。それに、先生も積極的に治そうって気持ちはなかったよ。どうしますか、治療しますかって聞いてきた」

 槇は眉を寄せた。医者の仕事はすでに病気を治すことじゃない。

「おじいちゃんは、何もするなって言った。治っても意味がない、こんな世の中にいても……そう言った」

「うん」

 槇は空をみあげた。夏の濃い青空に入道雲がわいている。蝉がうるさいくらいに鳴いている。

「ぼくらの未来に、意味はあるのかな。終わる、だろ。ぼくらが六十五歳になるときには」

「オレは六十六」

 あ、そうだった。槇は一歳上だった。一昨年、休学して去年からクラスメイトなったんだ。

「いっそのこと、はやく終わってしまえばいいって思う。どうせ死ぬんだし」

 ぼくの投げやりな言葉を真紀はやんわりと受け止めるように笑う。

「とりあえず、オレは生きていたよ来月までは。来月十八になったら、電車の切符が来るから」

「どこに行けるってわけじゃないよ、一年間の有効期間だって無駄に長いだけだ」

「オレは旅に出るんだ。十八になったお祝、ひとりで町を出てもいい権利がようやく手に入るんだ」

 お祝いなのかな。飼い殺しのぼくたちに、はなんの慰めにもならないじゃないか。

「……線路はさ、続いているんだ。ここから見る駅はちっぽけだけど、ずーっと遠いところまで。見たことのない場所、会ったことのない人たち」

 ひとつ年上のはずの槇は、フェンスに肘をつき幼い子どものように無邪気に笑った。

「どこへだって行けるんだよ、緑色の切符で」

 蝉の声と人の声がまじりあう、ロータリー広場。陽炎の向こうから、ぼくら二人はどんなふうに見えるんだろう。


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