第8話 体温と心音
もう、夏休みも終わる。
残すところあと四日。
宿題が完璧に終わってるなんて珍しい。
これも未織のおかげだ。
おかげで解放的な気分で祭りへ出かけられる。
未織と一緒じゃないのは残念だけど、男友達と遊ぶのも随分久しぶりだ。
奴ら、彼女が出来たって言ったら、どんな反応するかな。
楽しみなような、話したくないような。
未織のことを考えていたら、声が聞きたくなって、携帯電話を手に取っていた。
指が覚えた手順で未織に電話をかける。
『もしもし、かなた?』
「あ、もしもし。今、電話、平気?」
『うん。大丈夫だよ』
「あのさ、うん。特に用はないんだけど。声、聞きたくなって」
『うん……。時間、大丈夫? 花火、もうすぐだよ』
「時間は平気。まだ余裕ある。未織は、大丈夫?
花火、怖いんだよな? 未織の家から、会場、近いんじゃないっけ」
『うん、音が聞こえるくらい。だけど、平気だよ。
わたしは、はるちゃんに一緒に居てもらうから』
「え、そうなの? じゃあ、俺も行く」
『ダメだよ。約束、あるんでしょ?』
「あるけど、いいよ、そんなの。……未織と一緒に居たいし」
『だめです。たまには、友達とも仲良くしなきゃ。
それに、わたしだって、時々はガールズトークもしたいんだよ?』
「そうなの? そっか、ごめん……」
『ううん。心配してくれてありがとう』
ガールズトークって。
なんか、意外な言葉だ。
そっか、まあ、そうだよな。
未織にだって女友達がいるわけだし。
くっつきすぎも良くないか。
「それじゃあ、また後で電話してもいい?」
『うん。待ってる。楽しんでね』
別れを告げて、電話を切った。
いつも電話を切りたくなくなって、切るタイミングが分からなくなる……。
今だけは未織への未練を断ち切って、出かける準備をはじめよう。
*
夏休み最後の大きなイベントだからか、会場には子供がこぞって集まっている。
「よ、久しぶり。彼方、色白っ。全然焼けてねーな」
「どうせインドアだよ。小田切、お前は肌真っ黒だな。焼きすぎると健康によくないぞ」
「蒲田たちは?」
「なんか屋台で飯買うって、どっか行った」
「マジで。場所取り押し付けられてんの、彼方。だせー」
「人ごみの中を押し合いへし合い歩くほうが嫌だ。
押し付けられたんじゃない。俺は勝ち組なんだよ」
「なるほど、それもそうだな。よっこいしょ」
広げたシートの上に、小田切が座る。
有料席から離れた川沿いには同じように場所取りをする人が大勢いる。
「カップル多いなぁ~」
「……うん、そうだね」
「やだなー、新学期。
クラスメイトのカップル成立程うざいものはない。お前もそう思うよな?」
「べっ、べつに良いんじゃない、かな」
「ちぇー。余裕だなぁ。っていうか、お前は興味ない組か? こじらせるぞ」
「こじれねーよ。そんなことより焼そば食べたい」
「分かる。うわ、急に食べたくなってきた。匂いだ。このへん焼きそばの匂いがする」
危うく話題を切り抜けた。
でも本当に焼きそばが食べたくなってくる。
ほどなく蒲田が買出しから戻ってくるも、期待はずれなことに焼きそばは含まれて居なかった。
痺れをきらして小田切が買出しへ走るのを見送って、蒲田とぼんやりイカ焼きをかじる。
「小田切って、あわただしい奴だよな」
「まあ、バスケ部だしな」
「バスケ部じゃしょうがないな。で、あわただしくないテニス部連中は?」
蒲田の連れがごっそり居なくなっているのが気になった。
「なんか、カタヌキにはまってる」
「誰も花火に興味ないじゃん」
「まあ、まあ。夏休みも終わるし、最後に弾けたいよ」
夏休みが終わるなんて、確かに憂鬱だ。
時間が進むことが今の俺には辛いのだ。
鬱憤を何かで晴らしたくてウズウズしてきた。そう、カタヌキとか。
「俺もカタヌキやりたくなってきた。ここ、任せる」
「えぇ……。あ、じゃあラムネ買って来て」
「了解。じゃ」
蒲田を残して露店の通りへ向かう。
やっぱりカップルが目に付いて、未織と一緒に来たかったなぁって思ってしまう。
でも、祭りは何も花火大会に限らないんだから、秋にもまた来れるだろう。
「あ。部長じゃん。ちーっす」
「伊藤」
あれ。
未織と一緒に居るはずじゃ?
咄嗟に探すが、未織の姿は見当たらない。
「未織は?」
「悲しいねえ、その視線の素通り」
「あ、ごめん。伊藤も花火見に?」
「そ。未織は家だよ。あたしも声かけたんだけど。お留守番しないといけないんだって」
「一緒に居たの?」
「うん。さっきまでね。花火、始まるから、こっち来たの」
何だ、それ。どういうこと?
伊藤と一緒に居るから平気って言ってたのに。
未織が花火が嫌いだって、伊藤は知らないのか?
「香村?」
「あのさ。この先で、蒲田が場所取りしててさ」
「マジ? 場所取ってんだ。ラッキー。お邪魔させてもらうよ」
「うん。でさ、蒲田にラムネ買って届けてやってくれない?
お金は今度、部活で会ったときに払う」
「え? わかった。けど、なんで?」
「あいつに、場所取り押し付けてるから」
「あっ。香村、未織のところに行くつもりだな」
もう足が動き出そうとしている。
未織の家へ、向かいたがっている。
伊藤へ頷いてみせて、すぐに進行方向を変えた。
未織、今、一人で居るのかな。
花火が怖いって、言ってたのに。
伊藤と居るから平気って、言ってたのに……。
どうして、俺に嘘ついたんだろう。
未織、一人で居て、大丈夫かな。
*
瀟洒な玄関前で息を整える。
久々に走ったから、汗が止まらない。
「……はぁ」
一呼吸置いて、インタフォンに指を向けた。
家は暗い。未織の部屋にも、灯りがない。
もしかしたら、出かけているのだろうか。
家族みんなで、どこかへ行ってるのかも。
そうだとしたら、それで構わない。
未織が一人で居て心細くなっているのでなければ、これが無駄足になってもいい。
インタフォンを一度押す。反応を待って、もう一度。
反応はない。ドアは……
「開いた……」
施錠忘れかな。無用心だ。誰もいないのだろうか。
「お邪魔します……」
……俺、今、立派な不法侵入者だ。
「未織」
廊下は暗いけど、スイッチの位置が分からない。
ふっと窓から灯りが指して、花火の開始を知った。
遅れて、低い音が響く。
ここだけはもう良く知ってしまった、未織の部屋までの道のりを、瞬く光に一瞬ごとに照らされながら歩く。
カラフルな光。低く響く音、火花の破裂音。
俺の心音が同調するように大きく脈打つ。
未織の部屋のドアノブに触れて、ゆっくりと押し上げた。
ベッドの上に、タオルケットの塊がある。
彼女は、そこにいた。
「……未織」
ぴくっと塊が動く。
もぞもぞとうごめいて、口から見慣れた頭が飛び出した。
暗い部屋を花火の灯りが照らして、遅れて、音が届く。
重低音に、未織はぎゅっと身をすくめた。
ありもしない衝撃に耐えるみたいに目を閉じて、体を硬くしている。
本当に、花火が怖かったんだ。
「未織。どうして、一人になろうとしたんだよ」
「……かなた」
「伊藤に会った。それで、心配になって来たんだ。勝手に家に上がってごめん」
「ううん……あっ」
また、光と音。
花火が打ち上げられるたび、彼女は体を縮こまらせる。
身動きもせず、じっとしている。
すごく躊躇われるけど、ベッドに上がった。
毛布に隠れる未織を、抱きしめる。
温かい。熱いくらいの、未織の体温。
どきどきしている。心音がわかる。
「大丈夫。一緒にいる」
「うん……」
「気づかなくてごめん」
「ううん、わたしこそ、ごめんね……。かなたの楽しみ、奪っちゃう」
「そんなことない。未織と一緒にいるほうが、大事」
ぎゅっとしがみついてくる。
俺もいっそう強く抱きしめる。
弾ける光と低い音、火花の散るぱらぱらした音。
そんな大げさな音のなかで、未織のかすかな声が聞こえたのは、触れあっていたせいだと思う。
「怖い」
「一緒にいるよ」
「音が、心臓の、最後の鼓動みたい。
命が尽きる、瞬間みたい。
大きく、一度、鳴って……消えちゃう」
「……。花火の音、聞こえない所まで行く?」
「……ううん」
「でも」
「もう平気。だいじょうぶ。……かなたの、音、聞いてるから」
「え?」
「今、ちょっと、早くなった」
「あ……」
心音。未織が、胸に頭を擦り付けてくる。
人懐っこい猫みたいだ。ちょっと、恥ずかしい。
「これなら、だいじょうぶ。ずっと、ちゃんと、聞こえる」
声が大分落ち着いていたから、安心した。
未織の軟い髪を撫でて、温かい体温を感じて。
低い落ち着く音にさらされているうちに、次第に眠くなってしまう。
そう思ったときには、未織のほうが先に眠っていて、呆れ笑いが漏れてしまった。
ここへ来て正解だった。
未織がこんなに油断してくれるなんて、嬉しいことこの上ない。
*
手を繋いで歩く。
花火の打ち上げ自体は終わってしまっても、まだ屋台は賑わっている。
あのあと眠ってしまった未織を起こして、お互いお腹も空いているし、祭りをぶらつくことにした。
「とりあえず、何か、食べる?」
「うん、あ、焼き鳥美味しそう」
「ほんとだ」
焼き鳥の屋台で何本か買う。
ついでにラムネも買って、公園のベンチに腰を下ろす。
「焼き鳥、久しぶり。美味しい」
「そういえば、俺も。結構いいね、こういうのも」
「うん」
タレの焼き鳥が、ラムネにも合う。
チープだけど、お祭りっぽくていいな。
公園では、手持ち花火をしている子供が結構いる。
客層は小学生から、大学生くらいまで。
未織、手持ち花火は怖くないみたいだな、良かった。
「未織」
「はい」
改めて呼ぶと、声の調子を察して、未織がちょっとだけかしこまった。
自分の非と、俺への態度を省みているようだ。
「もっと俺を頼ってくれても、いいと思う」
「でも……」
「そうじゃないと、嫌なんだ。今日みたいなこと、またあったら、嫌だ」
未織が納得いかないように口を閉ざす。
未織の言いたいことも、分かる。
自分のために俺が犠牲になってるようで申し訳ないのだろう。
控え目すぎる性格は、時々は手に負えなくなる。
「俺の楽しみを奪わない、って言ってたよね。
俺のこと、尊重してくれてるつもりなんだよね。
それは、嬉しいよ。ありがとう。
でも、やっぱり俺は、未織の力になりたい」
無防備に空いている未織の手を取って、手のひらに握りこむ。
「そうなれるのが、一番嬉しい」
「……うん。ありがとう」
「ううん。だって、俺は、未織が好きなんだから」
「うん……。わたしも、好き」
未織は手を改めてつなぎなおして、指と指をしっかり絡めて、俺の肩へ頭を預けてきた。精一杯の、信頼の証のように。
「かなた、大好き」
「う、うん……」
う、照れる。繋いだ手が熱い。顔も赤くなってるかも。
こんなところ、友達に見られたくない。
と、思った矢先に、小田切が通りがかった。
「あ……」
まずい。
「な、彼方? と、……木下さん?
急に居なくなったと思ったら、何だよ。何だよ~、そういうことかよ~」
露骨にいじけて、小田切がうなだれる。
「あ。香村。戻ってたんだ。
今から手もち花火で二次会だけど、やる?」
遅れてやって来た蒲田が、手に提げたコンビニ袋をちょっと挙げてみせる。
中身はありふれた花火セットのようだ。
「ちくしょお。全部一気に火をつけてやる。
それを彼方に向けてやる。抜け駆けしやがって!」
「子供が! 子供が真似するからやめて!」
「彼女がいるやつの言うことなんか聞けません。
くそぅ。夏休みを初日からやり直したい……!」
小田切をなだめすかして、蒲田の案内のもと、伊藤たちと合流した。
小田切、蒲田、テニス部連中や、伊藤とその友達。
それから、俺と未織。
ずいぶんとにぎやかだ。
これが、夏休みの締めくくり。
未織と二人きりじゃないのは残念だけど、結構、良い感じだ。
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