第6話 プラネタリウム-1
「おーっ。山だ~!」
伊藤の能天気な声がバス中に響き渡るのは、彼女がカラオケのときからマイクを離さないせいだ。
バスの窓の向こうは、一面深緑。
さっきからバスが坂道を曲がりながら上っていく。
「……うぇ」
……気持ち悪い。
乗り物酔いはしないと思って油断してたけど、山道は舐めちゃいけなかった。
「部長、ほら、山だよ」
「……てか、さっきからずっと山じゃん」
「あ、ほら、あっちにも山だ」
「……」
「山が山ほどあるよ~!」
伊藤は元気だな。
*
長野県某所のキャンプ場へたどり着き、ようやく解放感を味わう。
「到着。みんなお疲れ様。まずお弁当にしよう」
「わーい、お弁当だ! 香村の弁当は未織の手作りかなぁ?」
「そんなわけないだろ」
「ちぇっ」
二年生が二人だけだからというのもあるが、伊藤が露骨に俺をロックオンしてくる。勝手に隣に座って弁当を広げ、更に俺の弁当を興味深そうに覗き込んだ。
「あ、でも、おいしそ」
「どーも。未織も今、ちょうど旅行中だぜ」
「ああ、恒例の家族温泉か。でもこの時期なんだね、珍しい。
いつもはお盆は避けてるのに」
「俺の合宿と重なる日程にずらしたらしい。
そうすれば、会えない時間が減るから、って」
「あーん? 見せつけやがって、生意気だなあ。このから揚げは没収だ」
迫り来る箸を手で遮って、弁当を遠ざける。
そんなことをやっていると、松尾先生の声が聞こえてきた。
「お弁当食べたら、好きな場所で描きはじめて。
ただし、あの樹は画面に入れること。せっかくそのために来たんだからな。
あとは、まあ、好きに描いて。あ、この絵を文化祭の展示作品にしてもいいから」
まばらな部員の返事に頷いて、先生は合宿所へと姿を消す。
途端に解放感を得て部員たちがお喋りになった。
「それにしても、伊藤がちゃんと参加するとは思わなかった」
「なんで? 合宿楽しみだったよ」
「だって、風景画なんてつまんなーいとか言うかと」
「静物画よりはマシだもん。自然好きだし。
プラスチックのリンゴ描くより、全然良いじゃん」
おかずもまだ食べてないのに、伊藤はデザートのりんごのうさぎをかじる。
この常識に捕らわれない行動が作風に表れているのだろうか。
「なるほどね」
「香村のほうこそ来ないと思ったけどなぁ~」
「俺、一応、部長なんだけど……」
「未織と離れたくない! って言うかと」
「お前な……」
「でっ? でっ? この夏休みはいかがお過ごし?」
「いいだろ、別に」
露骨に華やいだ声が鬱陶しい。
相手が伊藤じゃなきゃ、喜んでノロケてやるんだけど。
「良いじゃん教えてよ~。
あ、言っとくけど気になってるのは香村のことじゃないからな。
未織が楽しそうにやってるか知りたいんだよ~」
「……。普通に、映画とか、美術館とか、宿題やったりとか」
「わぁ、ふっつぅ!」
「だから、普通って言ったじゃん」
「未織を振り回してないでしょうね?」
「ないよ。大体、予定は二人で相談して決めてるし。
どっちかがどっちかを無理に誘ったりはしないよ」
「ふーん、なるほどね。微笑ましいことで。順調なようで何よりです」
「何なんだよ、一体……」
りんごを平らげた伊藤は、ようやくお弁当本戦へ進んだようだ。
妙に凝った絵を海苔や錦糸卵や桜でんぶで描いている。
これは俗に言う痛弁だろうか。
「ううん。ただ、未織が心配だったんだってば。
あの子、あれで案外、我慢強いっていうか、やせ我慢しちゃう子だから。
気づいてあげてよ、香村。支えてあげてよ。未織をよろしくね」
伊藤の箸の先が何の惜しみもなく、弁当の中のせっかくの絵を切り取ってしまう。
「言われなくても、そのつもりだけど……」
意外だな。伊藤がこんなにちゃんと考えてたなんて。幼馴染は伊達じゃないのか。
「かーちゃんみたいだな伊藤は」
「そうさ。あたしは未織のかーちゃんさ」
「伊藤が義母になるのは嫌だ」
「あたしだって願い下げだね」
それからどうでも良い話をしながら、弁当を食べ進めた。
伊藤は一方的に文化祭の絵の構想を語って、俺をむやみに焦らせる。
文化祭の絵、まるで考えてない。
かと言って未織のクロッキーなんて提出したら、余計にからかわれるだろうし。
「さて、ごちそうさま! 私は良いポジション探しに出かけるかな」
食後すぐにも関わらず、大樹のほうに走っていく。
ついでに一年生グループにちょっかいをかけて。
元気だなあ。もの静かな未織と、よく友達づきあいがあったものだ。
正反対だと、案外仲が続くっていうやつかな。
「支える、ってなぁ」
伊藤の言葉を思い返して、呟いてみる。
誰かを支えるなんて、今まで考えたこともなかった。
できるのかな、俺に。
未織は、約束の理由だって打ち明けてくれないのに。
*
合宿所に引き上げて、風呂から上がって、割り当てられた部屋で過ごす。
美術部は学年分けができるほど部員が居ないので、大雑把に男部屋と女部屋に分かれている。
女部屋のほうが人数が多く、壁越しに騒がしいはしゃぎ声が漏れ聞こえ、男部屋の一年生を怯えさせていた。
「あ」
ポケットで携帯電話が振動した。
きっと、未織から電話だ。よかった、旅館に電波届いてて。
「俺、ちょっと出てくる」
一年生に言い残し、ロビーへ向う。
先生と鉢合わせないかドキドキしたけど、これくらいは見逃してもらえるだろう。
息を整えて、通話ボタンを押して、一声。
「もしもし」
『もしもし。こんばんは。今、大丈夫?』
「うん。今は、就寝前。十時には寝ろって言われてる」
『そうなんだ。わたしは、ご飯食べ終わったところ。
今、パパもママも二度目のお風呂』
未織の声は、電話を意識してるのか、いつもよりちょっとだけ大人っぽい、よそ行きの調子だ。
「いいね。あ、さっきの写メ、見たよ。浴衣似合ってるね。可愛い」
『ほんと? ありがとう』
合宿所へ戻る道で受け取ったメールで、どれだけ疲れが吹っ飛んだか。
未織はすごいぞ、特効薬だ。
『かなたも、素敵な場所で、絵描くんだね。描いてる途中の絵も、見てみたいな」
「まだ全然下書きだから。色乗せたら、また写メ送るよ」
『うん。待ってる。お土産、楽しみにしててね」
「うん」
お土産と聞いて、自然と携帯電話に下がるクラゲのストラップを見ていた。
なんとなく、外へ出てみる。
さすが山で、この時期でも少し肌寒いくらいだ。虫の鳴き声が沢山聞こえる。
見下ろす景色に、星空が広がっていた。
「うわ……」
『どうしたの?』
「ううん。今、外に出たんだ。空がさ。星が、すごく綺麗で」
『山だもんね。いいなぁ……』
夜空を見上げると、平衡感覚が狂いそうなほどに――
それはもう、たくさんの、一面の星が瞬いている。
「空の向こうに宇宙があるんだなあって気がするよ」
『いいなぁ。絵に描いて、わたしに伝えて?』
「こんなの、絵に描けないよ。直接、見に来なくちゃ」
『あ、今度、プラネタリウム、行きたいな』
「いいね。旅行から帰ったら、一緒に行こう」
『うん』
「……本当に、すごいんだ。
この景色、未織にも見せたいな。未織と一緒に見たかったな」
『うん……』
「いつか、一緒に来よう」
返事を期待して、そう問いかけた。
『うん』
素朴な返事からは、真意は読めない。
けど、そう言ってもらったことを、今は喜んでおこう。
『あ、パパとママ、帰ってきた。それじゃあ、切るね。おやすみなさい』
「うん。おやすみ」
いつか、一緒に。今度。
ちょっとずつ、未織と歩む未来を思い描く。
いつか叶うように。未織が同じ願いを抱いてくれるように。
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