百九十三 検査

 一番都市には、他の都市に比べて医療設備が整っている。主に研究していた内容が内容だからか、実際に難病の治療も多く行われていたらしい。


「では、始めます」


 そんな一番都市の病院で、ヤードの検査が始まる。主に脳と精神の検査であり、これにより記憶喪失を治せるかもしれないと言われたのだ。


 戻る間際、一部記憶が戻ったような仕草があったが、あの後すぐに気を失ってしまっている。すぐに都市に戻り、一度意識は戻ったもののどこかぼんやりとした様子だった。


 そのヤードは、現在検査室内で機械による精密検査の真っ最中だった。現在は薬で眠らせている。検査に痛みは伴わないそうだが、意識があるとうまく調べる事が出来ないらしい。


 この場にはティザーベルだけだった。レモは獣人の里から戻ってすぐ、精神疲労か具合を悪くしてしまい寝込んでいる。彼の側にはフローネルが付いていてくれるので、向こうは心配いらない。


 ティザーベルは、じっとヤードの検査を見つめていた。検査機器はぱっと見MRIに似ている。


 ヤードが寝かされている台が浮いていて、その周囲を光る輪が何重にも頭のてっぺんからつま先まで、行ったり来たりしていた。


「主様、喫茶室でお待ちになってはいかがですか?」

「そうね。あなたも顔色悪いわよ?」

「ここにいても、出来る事ないしー」


 ティーサ、パスティカ、ヤパノアに薦められるも、どうしてもここから動く気になれない。


 彼女達の言う事はもっともなのだけれど、今は放っておいてほしかった。


「ごめんね、ここにいさせて」


 ヤパノアだけ、なおも言い募ろうとしていたけれど、ティーサ達に止められて三体でどこかへ行った。


 ティザーベルは一人、検査の様子が見える窓の側に立って、中を見つめ続ける。

 彼の記憶は、ちゃんと戻るのだろうか。発見された時、傷を負っていたと聞いている。


「おじさんは無事だったのに……どうして、ヤードだけ……」


 自分の結界に不備があったのだろうか。だとしたら、ヤードの記憶喪失は自分の責任だ。


 獣人の里での彼は、記憶をなくしているなどと気づかない程、普段と変わらない様子だった。憶えていなくても、性格は変わらないという事だろうか。


 それも、この精密検査でわかればいいのだが。




 検査自体はそんなに時間はかからなかった。これから検査の結果を見て治療方針が決まるらしい。


 その当たりは全て機械任せになるので、意識のないヤードは病室へと戻された。


 ベッドに横たわる彼の顔からは、ほんの少しだけやつれた様子が見える。環境が激変した中で生き抜いたのだから、いくら里での保護があったとしても、精神疲労は大きかっただろう。


 ――おじさんが倒れたのも、そうだしね……


 言葉がわからず、生活習慣も何もかもが違う場所。まさしく異世界に迷い込んだようなものだ。


 不意に、ベッドごとヤードを結界で包んでみる。異常は見られない。当たり前だ、自分がここにいるのだから。


 ヤードに張っていた結界だけ緩んだのは、ティザーベルとの距離の問題だろうか。現に彼より近い場所に落下したレモは怪我一つない。


 直線距離でも、レモの方がティザーベルより近かったのだ。


「距離か……」


 やはり、早めに単体で結界を維持出来る魔法道具を作る必要がある。幸い都市の技術が使えるので、クイトに教わったものより高性能かつ少ない魔力で稼働するものが作れそうだ。


 善は急げ。一番都市でも作れるのだから、今から仕込んでおこう。そう想って病室を後にしたティザーベルの背に、声がかかった。


「ベル殿、ちょうど良かった」


 フローネルだ。彼女はレモについていると言ったはずだが。まさかと思うが、悪い報せだろうか。


「おじさんに、何かあった?」

「え? ああ、いや、そうではない。レモ殿が目を覚ましてな。ヤード殿の身を案じていたので、私が代わりに検査の結果を聞きにきたのだ」

「そうなんだ……良かった」


 これでレモにまで何かあった日には、ティザーベルがもたない。彼女はフローネルと病院の廊下を歩きながら、現在の状況を説明した。


「ヤードの検査は全部終わったけど、結果が出るにはまだ時間がかかるのよ。あと、本人はまだ薬が効いていて目を覚ましていない」

「そうか……だが、気を落とす事はない。きっとこの素晴らしい都市の力で、ヤード殿も元に戻るだろう」


 そうだといいのだが。ティザーベルは曖昧な笑みを浮かべて、そのままフローネルと共に病院を後にする。


 レモが休んでいるのは宿泊施設だ。具合が悪いと言っても、微熱が出た程度なので、入院する程ではないというティーサの判断により、部屋で休んでいるのだった。


「おじさん、調子どう?」

「おお、嬢ちゃんか」


 彼の部屋を訪ねると、大きなベッドに身を横たわらせている。その姿が、いつになく弱々しく見えて、少しだけ寂しくなった。


「悪いな、こんなところで倒れちまって」

「気にしないで。今までいたところとはまるで違うところに飛ばされたんだから、体調が崩れたっておかしくないって」


 彼だって、相当ストレスがたまっているだろう。単語の説明が面倒だったので、言葉は変えておいたが。


 椅子をベッド脇に置いて座ると、レモから心配の言葉があった。


「嬢ちゃんは大丈夫なのか?」

「うん……まあ。私の場合は、自分で何とか出来るしね」


 実際、魔力を持っているというのは強みだ。身体のみならず、精神面も強化出来る。


 反動という訳ではないが、少し長めの休眠時間が必要になるけれど、今のところ問題になる程ではない。


「ヤードは、どうなんだ?」

「検査は終わって、今はその結果待ち。結果次第で、治療法が決まるって」

「記憶……戻るのかねえ?」


 こればかりはなんとも言えない。記憶喪失の治療法など、聞いた事がないからだ。

 とはいえ、ここは六千年前の魔法技術がある都市。前世ではなしえなかった治療も、ここなら出来るのかもしれない。


 というか、それに賭けるしかなかった。




 検査結果は、その日の夕方には出た。ヤードはまだ薬が効いているという。


 全員が集まったのは病院のロビーで、発言者はティーサだ。


「検査結果として、精神回路に一部異常が見られます。おそらく、外部からの衝撃が原因かと」


 まるで機械のようだが、この精神回路に異常が出ると、今回のような記憶喪失や精神疾患、その他色々な病気などが出てくるらしい。


「治療法はあるの?」

「ございます」


 ティーサの一言に、ティザーベルとレモの口から安堵の溜息が出た。だが、続く言葉に再び不安が揺り起こされる。


「ただ……」

「ただ?」

「治療の結果として、一部記憶の欠損が起こる場合があるのです」


 思わず、レモと顔を見合わせる。彼も驚いた様子だ。ティザーベルは、ティーサに問いただした。


「それって、どのくらいの範囲?」

「わかりません。ですが、このまま異常を放っておくと、そこから異常範囲が広がる可能性が高いようです。ですので、治療をお勧めします」


 治っても治らなくても、記憶の欠損は起こるという。しかも、欠損がどこに出るのかがわからない。


 言葉もないティザーベル達に、ティーサが続けた。


「欠損はどの記憶が消えるかはわかりませんが、欠損範囲は極狭い範囲になるよう全力を尽くします」


 このまま放っておくという選択肢は取るべきではない。異常は正常に戻すべきだ。

 だが、ここで決定を下せるのはティザーベルではない。


「おじさん、判断はおじさんに任せる」

「……いいのか?」

「おじさんは、ヤードの身内でしょ? だから……」


 レモはヤードの実の叔父だ。あの時の告白は驚いたが、今考えるとあの時点で聞いておいて良かったのだと思う。


「治療をするでもしないでも、おじさんの判断に従うよ」


 ティザーベルの言葉に、一瞬止まったレモだが、次の瞬間頭をガシガシとかいた。


「参ったね、こりゃ」

 俯いた彼は、少しして真顔で顔を上げる。

「甥っ子の治療、やってくれ」

「よろしいんですね?」

「ああ。どの記憶をなくすのかは知らねえが、このままおかしくするよりゃましだ。あいつに何かあったら、あの世で姉上に会わせる顔がねえ」


 レモはどこか懐かしそうな顔だ。


 治療には数日かかるという。その間はティザーベル達も疲れを癒やす事にした。


 次の目標は、いよいよスミス討伐になるだろう。ほんの偶然で関わりを持った問題だが、何とも大きな話になったものだ。

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