21 雪女3

「こいつめっ!」


 ティムが前に立ちはだかり、氷の獣の腹にアッパーによる一撃を浴びせた。


「うわっ!」


 ティムによって砕かれた氷の獣の上半身を、俺は咄嗟に伏せて避けた。


「駿一、お前も戦え!」

「無茶言うなよ!」

「じゃあどっかに隠れてろ!」


 ティムは俺にそう言って、次々にプールから上がってくる氷の獣に向かっていった。


「たあっ!」


 ティムは雄叫びを上げつつ氷の獣を片っ端から砕いている。


「すっごいね、ティムちゃん」

「ああ。この氷も、特別柔らかいわけじゃなさそうだしな」


 俺は足元の氷を拾い、握ったり、叩いたりして固さを確かめた。どうやら、普通程度には硬く出来ているらしい。


「駿一の近くに居て良かったプ。中々こういう地球人の日常は見られないピから」

「いや、これは明らかに非日常だロニクルさん。本当はもっと穏やかな筈で……」

「駿一、ティムちゃんが!」


 ロニクルさんとの会話に気を取られていた俺は、悠の声で、ティムの方を振り返った。


「おいおい、ちょっとまずいんじゃないか?」


 ティムは何時の間にか足元を凍らされていた。その氷は地面にまで達していて、それが原因で、ティムは地面から足が離せないらしい。


「うーむ……やっぱまずいな……」

 喧嘩とか格闘技の事は全く分からないが、足を封じられると不利になるということは想像がつく。俺はとっさに、近くの壁に立てかけてあった床磨き用のデッキブラシを手に取った。


「ティムーっ!」

「駿一か、ようやく戦う気になったか!」

「まあな! うおおお!」


 俺は気合を込めて、ティムに迫る氷の獣に思いきりデッキブラシを振り下ろした。が、空しくもボキリと派手な音を立てて、デッキブラシの柄は折れた。


「何やってんだ! こいつは氷の塊だぞ! そんなんで歯が立つわけないだろ!」

「ははは……そうだよな……」


 ティムの方を向いていた氷の獣の頭が、こちらを向いた。


「あ……」


 周りに居る数匹の氷の獣もこちらへと向きを変え、俺に向かって飛びかかってきた。


「うわあっ!」


 俺は思わず、氷の獣とは逆方向に、全力疾走し始めた。


「駄目だ! こんな人外どもの戦いに介入出来る訳がねえ!」

「何やってんだ! こっち来い!」


 ティムが叫ぶ。


「ええ? こっちって……」


 ティムの側には氷の獣がうようよしている。ティムの所に行くという事は、それに突っ込むという事だ。


「いいから、ボクの側に来るんだよ!」

「わ……分かったよ!」


 何が何だか分からないが、とにかくティムの近くへ行けば何とかなりそうだ。俺は全力で走りながらも、ティムの方を見据えた。


「……」


 プールの周りをぐるりと、ティムの方向とは逆方向に一回りすれば、どうにか氷の獣に対峙せずにティムの所へと行けそうだ。問題なのは、ティムの周りで戦っている、何匹かの氷の獣の方だろう。

 死枠を巡らせると同時に、俺はプールの周りをぐるりと回り、迂回した。

 後はティムの周りに居る氷の獣だ。ティムの方へと向きを定める。


「くそっ! 冗談じゃねえぞ!」


 ここまで来た以上、もう考えている余裕は無い。氷の獣に追いつかれるわけにはいかない。こうなれば……何も考えずに行くしかない。


「うおおおお!」

「よし、ボクの後ろに……いや、前に隠れろ!」


 ティムの背後から迫る俺に、ティムが言った。俺はティムの前へと回り込み、小さくなってティムの陰に隠れた。少女の陰に隠れる高校生とは、我ながら情けない姿だ。


「それでいい!」


 ティムは一言いうと、俺を追いかけてきた氷の獣に裏拳を喰らわせた。


「おらあっ!」


 もう一匹を肘打ち、最後の一匹は、体を仰け反らせ頭突きを命中させた。氷の獣は三匹とも、無惨にも頭から砕かれ、粉々になった。


「なんだ、俺が助けなくても余裕じゃないか」


 ひとまず、俺を狙う氷の獣は居なくなったので、俺はほっとしてそう言った。


「おいおい、この傷見ても、そんな事が言えるのか?」


 ティムは両手を大きく広げて「ほれ」といわんばかりに俺に体を見せつけた。

 よく見ると、確かにティムの服は所々破れていて、その内側には生々しい傷跡があった。


「ああ、すまない。てか、邪魔だな、俺」

「そんな事ないさ。お前の誘導で、少しやり易くなった。それに、ボク達ビッグフットにとっては傷は勲章だ。気にするな」


 ティムはそういいつつ、自身に迫る氷の獣をパンチでまた一匹粉砕した。


「誘導……へっ……そういうことか」」


 俺は周りの氷の獣の様子を見て察した。

 氷の獣達はティムの攻撃の届かない所で様子を見て、ティムが隙を見せると襲い掛かり、そしてまた離れる。所謂、ヒットアンドウェイというやつをしている。確かにこれでは戦い辛いだろう。


「んじゃ、スタミナの続く限り、この獣どもを誘導してやりますか。といっても、俺のスタミナじゃたかが知れてるだろうがな」

「いや、お前のスタミナも中々だと思うぞ。人間相手に息が弾んだのは久しぶりだった」


 この前、ティムと初めて会った時の事を言っているのだろう。


「息が弾んだだけなのかよ……ま、出来る限りスタミナを切らさないように努力はするさ」


 そういえばあの時、ティムは全然疲れた様子がなかったな。などと思いつつ、俺は氷の獣の誘導係に徹することにした。


「ええと……こいつだ」


 俺はティムに粉砕された氷の獣のかけらを拾い、ティムを囲んでいる氷の獣目掛けて投げた。


「よし、計算通りだ」


 氷の獣の一匹が、こちらに向かって襲って来た。ティムも一匹ずつなら楽勝だろう。しめたと思いつつ、俺はすかさずティムの影へと隠れた。そして、ティムがそれを裏拳一発で容易く退治した。


「よーし……単純な奴らだ」


 俺は誘導を何回も繰り返した。

 そして、誘導に徐々に慣れてきた頃、唐突に悠の声が聞こえた。


「駿一!」

「どうした悠?」

「駿一、あの子、あたし達を襲ったのにはわけがあると思うの」

「わけ?」


 俺は片手をあげ、ティムに合図した。ティムが軽く頷くのを確認すると、俺は氷の獣の相手を、ひとまずティムだけにに預け、狙われない程度に距離を取った。


「どういう事だ、悠」

「あたし、もう一度あの子の近くへ行ってみて、それでよく見てみたの。そしたらあの子、怯えた目をしてて……」

「怯えた目……なるほど、そういう事か。俺達が怖いから追い払おうとしているんだとすれば、辻褄が合うな」


 俺が言うと、悠はこくりと頷いた。


「そういう事だったら、ティムの足をなんとかして、とっとと退散したいところだが……」


 俺はティムに視線を向けた。ティムは相変わらず、無尽蔵にプールから出てくる氷の獣との格闘を繰り広げている。


「あの氷はデッキブラシ程度じゃ壊れないしな……」

「あたし、やってみる!」

「え? 何をだよ?」

「説得してみる。きっと話せば分かるもん!」


 悠はそう言うと、地面を滑るようにして女の子の元へと向かっていった。


「しょうがねえな……」


 俺も、氷の獣に目を付けられないよう、慎重に悠を追った。


「お願い、あたしの声を聞いて!」


 遠くから悠の声が聞こえる。プール際ギリギリの所ならば、どうにか聞き取れるらしい。


「お願い! 届いて! あたしの声!」


 悠が誰に聞かせるでも無く、半ば嘆きとも聞こえる叫びを発した。


「駄目か。相手は幽霊じゃない。悠の声は聞こえない……」


 例外的にロニクルさんやティムには聞こえているが、あれも何が原因かははっきりしない。

 そういえば、未だにティムは足を束縛されている状態で氷の獣と戦っているが、大丈夫だろうか。と、俺がティムの事を考えた矢先、目の前の水面が盛り上がり、ザバアと音を立てた。


「うわっ!」


 氷の獣が突然プールから飛び出してきたのだ。


「ぐ……」


 俺はそれに体当たりされ、衝撃で地面に横たわった。頭はくらくらするが、幸い、気を失うまではいかなかったみたいだ。


「……!」


 氷の獣が、鋭利な爪の付いた前足を振り上げた。このまま振り下ろせば、爪は俺の体を貫いてしまうだろう。俺は死を覚悟した。


「やめて! お願い!」


 悠の叫び声が聞こえると、氷の獣の動きがぴたりと止まった。

 俺が悠の方を見ると、女の子が悠を見上げて立ち尽くしている姿が見えた。


「お願い! あたしの話を聞いて!」


 悠がそう叫んだ時、突如、猛烈な吹雪が辺りを支配した。


「うおおお!」


 俺は急いでその場に伏せた。視界は極端に悪くなり、気を抜けば強風に体が吹き飛ばされそうだ。


「違うの! あたし達は貴方に何かするために来たんじゃないの!」


 悠が叫ぶと、今度は嵐がぴたりと止んだ。


「ごめんなさい、びっくりさせたりして。でも、あたしたち、たまたまここに来ただけで……プールが光ってて、それでティムがそれを見たがって……」


 悠も気が動転しているのか、全く内容のまとまっていない事を話している。


「……怖いの」


 ほんの微かに、悠でもティムでも、そしてロニクルさんでもない。違う少女の声が聞こえた。


「……え?」

「人間が怖い。人に会ったら何されるか分からないと思ったから……」


 二人の女の子の会話は、なおも続けられている。片方の声の主は悠。そして、もう片方の声の主は、氷の獣を操り、吹雪を起こしたあの少女だろう。


「そう……でも大丈夫」

「え?」

「あたしが守ってあげるから。その……怖い人間から」


 悠がそう言うと、女の子の体がぐらりと傾き、そして、糸の切れた人形のように体がぐらりと傾き……足元の光は消えて、女の子はプールの水の中へと落ちていった。


「「あっ!」」


 俺と悠がほぼ同時に声を上げた。

 悠が水中へと姿を消し、すぐにまた水面から浮き出た。そして、俺の方へ泣きそうな顔を向けてきた。


「溺れてる! どうしよう、あたしじゃ助けられない。守るって言ったばかりなのに……!」

「……ったく!」


 俺は何も考えず、水の中へと飛び込んだ。条件反射というやつだろう。

 水の中は驚くほど冷たい。夏だと言うのに全身が刺すように痛い。


「……!」


 俺はどうにか女の子を視界に捉え、急いで女の子の元へと泳いだ。女の子に近付くにつれ、体が急激に動かし辛くなっていくのが分かる。

 俺は極寒の水中を、女の子を目指してひたすらに泳ぎ――女の子の所に行きついた時には、相当な力を入れないと体が動かせなくなっていた。


「んんんん!」


 俺は、完全に硬直しかけている体を無理やり動かして女の子を抱きかかえると、自分から見て一番近く感じられる壁へと向かって泳ぎだした。

 いや……泳いでいるというのはおかしいかもしれない。むしろ、もがいているという表現の方が近いのかもしれない。最早、体の自由はほぼ利かなくなっていて、意識も相当混濁している。


「ん……」


 体が動いているのか、動いていないのか。前へ進んでいるのか底へと沈んでいるのかも分からない。そんな中、誰かの声が聞こえた。


「駿一、掴まるポ!」


 俺はその声の聞こえる方向を頼りに、何とか手を伸ばした。

 その瞬間、俺の手はぐいっと引かれ、ぼやけた視界にロニクルさんとティムが映った。


「ん……この子を……頼む……」


 俺は無意識にそんな事を呟いた。


「ティム、その子を頼むプ」

「分かってる!」


 俺の視界から女の子が消えた。そして、俺の体に生暖かく、固い何かが触った。恐らく、プールサイドのコンクリートだろう。そして、同じく生暖かい風が俺の体を撫でている。


「駿一、大丈夫?」


 悠の声が聞こえるものの、俺は返事を返せない。アウアウと、言葉になっていない声が出るだけだ。その代わりに、体は激しく震えている。俺はそれにあがなうことが出来ず、意識はますます暗くなっていく。


「お……鬼……火……?」


 俺は一瞬、赤く燃える炎を見て、そして、気を失った。




「……はっ!」

「おい! 駿一が目を覚ましたぞ!」

「良かった、気が付いたピ!」

「ん……ここは?」


 ぼやけた視界に、どこかの天井と四人の少女の姿が映った。


「ここは……」

「ここは保健室だよ。あたしとロニクルさんとティム、それと雪奈せつなちゃんで、駿一を毛布にくるんでひたすら擦ったんだよ」


 悠の声が聞こえる。


「俺を? そっか、俺は……」


 夏だというのに寒中水泳してしまった俺だが、どうやら助かったらしい。


「あ……雪奈?」

「そう、この子。雪女の雪奈ちゃん」


 悠が雪奈の方に手を置き言った。


「ああ……こいつが……」


 雪奈は心配そうにこちらをみている。


「雪女……か……幽霊、宇宙人、UMAときて、今度は妖怪だったってのか……はは……」


 色々な意味でのあまりの惨事に、こんな状況でも乾いた笑いが出てしまった。


「とにかく、これで一安心だわ。駿一が落ち着いたら、もう家に帰りましょ」

「それがいいポ。アパートの方が、温かい物が沢山あるピ」

「ああ……そうだな……」


 俺は少し安心して、再び目を閉じた。

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