ニャン憑って

河野 る宇

*にゃんの1

 仔猫は、憂鬱な瞳で窓の外を眺めた。くりんとした黒い目に写る風景に、小さな溜息を漏らす。

 建物も草も木も、晴れた日の色とは違ってどんよりと暗く、歩く人々はその頭上に傘の花を咲かせていた。

 華やかだが、この天気ではどうにも心は晴れ晴れとはいかない。

「昨日も今日も雨かあ。梅雨でもないだろうに」

 雨が続くと僕の気分も滅入っちゃうよと、仔猫はえさ箱から覗く半透明の毛玉を見やる。

「ねえ、じーちゃん」

「なんじゃい少年」

 毛玉は僕がお供えとして残している僕のエサを頬ばって聞き返してきた。

「雨はいつまで続くのかなぁ」

「わしに訊かれても知らんわい」

「そうだけどさ」

「何か気になるのか、光」

「ルークスだよ」

「意味は同じじゃ」

「意味じゃなくて名前で呼んでよ」

「おぬしもわしを名前では呼ばんじゃろが」

「僕にはじーちゃんだもん」

「ならばわしには光じゃ」

「もうお供え物あげないよ」

「明日はきっと晴れじゃルークス」

 じーちゃんはジャンガリアンハムスターだ。幽霊になってから一ヶ月くらい経つ。じーちゃんが幽霊になるまえ、僕はじーちゃんと出会った。

 気がつけば今みたいに僕のえさ箱に頭を突っ込んでいたんだけど、人間で言えば不法侵入にあたるよね。人間じゃないからいいんだけど。

 僕と仲良くしてくれて、でもじーちゃんは年寄りだったから寿命で死んじゃった。僕があんまり泣くものだから、じーちゃんは幽霊になって戻ってきちゃったんだ。

 戻ってきてくれて嬉しいけど、複雑だね。

「じーちゃん、こんなとこにいて大丈夫なの? 消えちゃわない?」

「ひとを地縛霊のように言うでない。わしゃおぬしらを護っておるんじゃ」

「守護霊っていうやつ? でも前の飼い主さんとこにいなくていいの?」

「おぬし、解っておらんな」

 ちちち……。とじーちゃんは人差し指を揺らして、(ハムスターの人差し指がどこかわからないけど)ちょっとニヒルに笑った。

「わしらに距離の概念は通用せんのじゃよ。一瞬じゃ、一瞬で行きたい場所に飛んでゆけるのじゃ」

「いいな~。それで物に触れたら」

 僕はえさ箱のお供え物を見下ろした。幽霊は、食べ物の「気」を食べるらしい。幽霊が食べた食べ物は味気なくなるんだって。

 じーちゃんが気を食べた僕のエサは、確かになんか味気ない。勿体ないから僕食べてるの。飼い主さん僕のこと可愛がってくれるから、エサを残したら心配するしね。

 壁をすり抜けたり飛べたりするのは羨ましいけど、なんにも出来ないのは嫌だ。

「たまにこっちにも来るしの。それで見た目の確認も出来る」

 そうなんだ。じーちゃんの飼い主さんがときどき僕の飼い主さんに会いに来るようになった。

 僕の存在も忘れるくらいに見つめ合っちゃったりしてる。そんな二人の邪魔を必死にやってるじーちゃんを生温く僕は見守っている。

 ああいうのって、のれんに腕押しって言うんだっけ? わかっててやってるっぽいけど。

「守護霊と他の幽霊ってどう違うの?」

「そうじゃな。解りやすくいえば、警察官は学校に行って警察のお仕事を教えてもらってから警察官になれるじゃろ?」

「うん」

「守護霊もそれと一緒で、守護霊になるための修行をせねばならんのじゃ」

「天国で守護霊の学校に行くの?」

「正しくは霊界じゃな。天国は霊魂が現世の疲れを癒すところじゃ。守護霊や神格化された魂は魂が住む世界、霊界に行くんじゃ」

「しんかくか?」

「あー……。つまり、とてもつよーい幽霊じゃ」

「ふーん」

 なんか、強引な説明な気もしないでもないけど、まあいいや。

「じーちゃん死んでから戻ってくるの一週間なかったよね」

 そんなに早く守護霊の資格ってもらえるものなのかな。

「わしゃ見習いじゃ」

「あ、そういうのあるんだ」

「見習いの間はあんまり自由には動けんのじゃ」

 めんどくさいのぅ~。とか言ってるけど、充分に自由な気がする。

「誰にも言うでないぞ。怒られるからな」

「誰に告げ口していいかすらわかんないよ」

「突然いなくなることがあるが、気にするんじゃないぞ。霊界に呼び戻されているだけじゃからな。すぐにもど──」

「あ」

 言ってるそばから消えた。見習いって大変なんだな。

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