異世界魔法に論理の槍を

藤和工場

第1話 それは誰かの思考の中か



異世界魔法に論理の槍を



第1話 それは誰かの思考の中か


 クロソイド曲線を抜けて、最寄りのインタチェンジをくだり一般道へ。

 地方にある複合シンポジウム施設で行われる学会に出席するための、迷いようがない道なりだった。そのはずであった行程は、今、昼間の時刻だというのに、HIDのまばゆいヘッドライトでも一寸先にまで霞がかかり、見渡せない状態だった。既にフォグも点灯してあるようだ。

「まいったね、どうも……」

「そうですねぇ……森深いわけでも、渓谷が近いわけでもないのに」

 運転手たる同乗者も多少の不安は感じているものの、状況への興奮が大きいと見える。瞳を輝かせ、不明瞭な前方へ気を配る様は、探求者、そして若者として正しい姿だろう。


 私の命はどうなろうと、あまりそれに感心はないが、若い命が目の前で散る事には、多少の引け目がある。成り行きとはいえ、同乗している身の上で、責任もある。

「こんな状況だから、あまりスピードは出さないでくれよ」

 制限速度をしめす標識も見失い、適当なものはわからないが、メータに従い、緊急に対応出来る速度に抑えるように要請する。彼女の私物でもあるこの車は、自制しなければ、怪物にもなるものだ。その年齢でどうやってとも考えるが、そう思考することに意味はない。彼女の家系は代々金に困る事のない富豪であるし、彼女自身、既に巨額を右から左へ移すだけで、一般的年収を超える身分だ。

「あら先生、この車はこう見えて四輪駆動ですの、何かあっても対処できますわ」

「……そういう意味じゃないんだけどね」

「まぁ、どういう意味かしら?」

「意味は――それほど重要ではないね」

 見通せない行方を不安に思うことより、この状況で無意味な事を思考するのが建設的で堅実かもしれない。もしくは一興かもしれない。

「あ、先生。前のモヤ、すこし晴れてきましたよ!」

「そうだね」

 モヤとキリの違いについては、また機会をみて彼女には話すとしよう。視界1キロ未満の現状、霧とするのが正しいことではあるが、運転に主眼をおけば、その名称や現象の違いはあまり関係ないことだ。まして、専門分野でもない。

「窓、あけていいかな。タバコが吸いたいんだ」

「ええどうぞ、どうぞぉ」

 なぜか彼女は機嫌を上向かせてこたえる。私の喫煙に、特別な意味があるとは思えない。もしくは、誰かを思い出すシグナルと似ているのか。

 私はポケットからタバコを抜き出し咥えた。しばしこのまま唇で弄ぶ無意味な遊びが私は好きだった。多分野の研究結果、喫煙も受動喫煙も身体的に悪影響がある事は既知のものとなっている。

 だが、私は自分の体がどうという部分に、あまり関心がない。人は産まれながらにして、死ぬという目標に走っている。この車のようにけたたましい走行音をあげて、そこまですすむ。この一般人が手には出来ない高級車であっても、たまに路面のハーシュネスを拾い上げるように、人生においての病気など、その程度なのだ。

 それよりも私は、体が死ぬ事で、精神――思考が解放されるのか否かのほうが、気になる。幽霊などという現象を信じているわけではないが、体から解放された人の思考が信号になってそこに漂い、たまにチャンネルの合う人間が、それを拾い上げている――そういうラジオ電波の混信のようなものと考えれば、また納得ができるかもしれない。

 ひとしきり唇でタバコを転がした私は、パワーウィンドウのスイッチに手をかける。

 申し訳程度に開いたウィンドウから、途端に、たくましいエンジン音と低い排気音のボリュウムが適音域を超えて立ち上がる。カーステレオもないようだし、彼女はこの音が好きなのだろう。高級車は静粛性こそと思いつつ、必要最低限の行動に事足りる小型車に乗る私には、少し理解しかねる趣味だが。

 嘆息を手品で変えて取り出した百円のライタでタバコをあぶり、煙を少し含んだ。ごく浅くため込んで、ウィンドウの隙間から入り込む不思議な森の空気と織り交ぜてはき出した。

「先生のタバコのにおい、わたし好きですよ」

「そうかい? どこにでも売ってる、安物のタバコだけどね」

「そこがいいんですよぉ、どこででもっていうのが、インスタントで」

 にこにこと笑顔を差し向けてくる彼女だが、今は見通しの悪い前方への注意に細心して欲しいところだ。

「先生、こういうモヤモヤって、心の葛藤に似てると思いません?」

 ぐちゃーとしてて、と、彼女はステアリングから片手を話して、シュークリームを握りつぶすジェスチャをして見せる。

「葛藤……そうだね。僕は葛藤も含めてだけど、人の思考に似てるとも思うよ」

「思考ですか。興味深いです」

「ん……人の思考っていうのは、クリアに見える人もいるけど、だいたいはこんなものだよ。視界はゼロに近い。普段生活している上で、自分の思考をビジュアルでとらえている人がどれくらいの比率でいるだろう。人生とは、なんてくだらない質問と同じで、自分は考えているって、立ち止まる瞬間にだけ現れるものなんだ。常には、方々から別々の声がたくさん聞こえる。その中で、自分を失わないか、または……その声全てを自分にしてしまうか、もしかしたら、そういうのを分岐点なんて呼ぶのかもしれないね」

「先生、人はだいたいひとりです。そんなにたくさん、他人から吸収した思考を抱えたりできないですよぉ。せいぜい、両親、親戚……その程度のものです。もし、他人のあれこれを思考として自分の中に住まわせる事が出来るひとが居たら……それを天才って呼ぶのかもしれませんねぇ」

 彼女は笑う。だが、天才というレベルではなくとも、そう出来る人もいるのだ。

 そうしなければ、ならなかった人もいる。それを若さの上で会得しているか、これからわずかな時間をかけて、オトナと呼ばれる者になる前に会得できるか。

 おそらく鍵はそのあたりにあるのだろう。

 ただ、その鍵を手にしたとして、必ずしも人々が一般的に描く幸せな人生を歩めるかはわからない。

「あ、先生、モヤモヤなくなりました! 森も抜けるみたいだし、空が見えますよっ」

 はしゃぐ彼女に釣られ、寝そべったAピラーから視界を戻すと、青空が見えた。しかし、さして雄大な地形でもない盆地の目的地で、果たしてこんな空が見えるだろうか。


 なぜか、そう感じてしまった。


 思考を消すように、取り出した携帯灰皿にタバコを押し込み、最後の煙を森へ吐き捨てた。

「ささ、距離的にもう到着かしら。先生、私体感で距離を測るのが得意なんですよ……え?」

「なんてことだ」

 彼女は車を止める。多少乱暴だったが、電子制御のブレーキもあって、横滑りするようなことはなかったし、致し方ない。

 なぜなら、私たちの目の前には、目的地たる、近代的な複合建築物などなかったのだ。

 鬱蒼の森を背負い、緑に覆われ、朽ち果てた巨大物体。いつかの繁栄があったものかと、想像を困難にするほどだ。

 そのたくましいツタのわずか隙間から、退色し表面を毛羽立たせた吹きつけモルタルの壁が見えた。

 そのかつての姿を写真であっても知るからこそ、それがそうであると認知できるもので、そうでなければ、これは理解おけるものではない。そういう世界に、この建物は残っているのだ。

 残っているとは何事であると、思いつつ、そう表現することが正しいと思考は吐きだした。

 停車した位置からそこへと至る地面はアスファルトの一部を土と化し、所々に雨露をためた小池を配している。

「先生、私たち……誰かの夢に迷い込んじゃったんでしょうか」

「思考遊びの続きかい? ん……そうだと、いいね。あと、そうだな……コーヒーが一杯飲みたいよ」

 私は、遮るものが何もない、ただただ高い蒼穹を見上げた。鼻で吸い込む大気に濁りは全くなく、幼い頃訪れた避暑地の高原を呼び起こす。

 挽き立てでなくても構わないが、ブラックコーヒーを片手に、この空の下で、もう一本タバコを吸いたくなってしまった。

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