四 章

 朝、職場のドアを開けようとしたらカギがかかったままだった。いつでも出社一番乗りのはずのハルヒはまだ来ていないらしい。俺は自分の合鍵あいかぎでドアを開けた。

「誰かハルヒ見なかったか」

昼近くになっても部屋が静かなので聞いてみたのだが、三人とも顔をブンブンと横に振った。あいつが遅刻するなんてめずらしい。ヘンなもん食って腹でも壊したかな。


「おっはよう!今日も気分爽快!」

そうかい、なんてくだらないダジャレはやめておくとして、我が社長様は午後五時を過ぎてやっと顔を見せた。

「やっと来たか。連絡くらい入れろよ」

「したわよ。これでも仕事してたんだから」

ハルヒの机の上にある内線兼留守電は留守番モードになったままだった。忘れていた。

「今日打ち合わせとかあったっけ」

「特許庁よ。弁護士雇って特許庁に行ってたの」

ハルヒは鼻を高々と上げてフフンと俺をながめた。なんだその人を小ばかにしたような態度、俺だって特許庁くらい知ってるさ。早口言葉にもあるくらいだしな。

「待て、特許庁って東京だろ。そんなとこまで何しに行ったんだ」

「決まってるでしょ、タイムマシンを特許申請してきたのよ」

「ってまだ実験段階なのに気が早すぎんだろ」

「なにいってんのよ。特許申請なんてものはねえ、実現の見込みさえあればどうでもいいのよ」

それは言いすぎだろう。特許庁のお役人が聞いたら顔真っ赤にして怒るぞ。

「ともかく、特許は先に取ったモン勝ちなのよ。タイムトラベルだけで十二件も公開されてるんだから。自分で調べてみなさい」ハルヒはパソコンのモニタをペンペンと叩いた。

「まじかオイ」

「そのうちの数件には実際に物理学会で発表された理論も含まれてるわ」

世の中には俺たち以外にも酔狂すいきょうなやつがいるもんだな。

「仮によ?この理論が実用化したらこの特許権を持ってる人は技術独占状態にできるわけよ」

いつになく現実的なハルヒに俺は少しだけ感心した。

 俺はハルヒの机から申請書類の控えを取って読んだ。ゼニガメを利用した時間移動技術なんて、こんな無茶苦茶むちゃくちゃな理論が審査通るはずが……、

「おいハルヒ、発明の名称が間違ってるぞ。time planeじゃなくてtime membraneだ」

朝比奈さんがハッとしたような顔をしていた。既定事項がひとつ成立したようだな。

「あら、そうだっけ?まあいいじゃない似たようなもんだし。取ってしまえばそれまでよ」

プレーンとブレーンじゃ月とスッポンくらいの意味の開きがある気がするが。結局訂正するのを忘れていて、TPDDとして特許公開されてしまうのはもっと先の話である。


 コーヒーにらした銀河をスプーンでぐるぐるとかき混ぜる規模の長門の試算とやらが終わり、俺もかなり記憶が混乱しているところだが、タイムマシンを作る方向性というか安全対策というか長門のパトロンがしぶしぶOKを出した方法で進めることになったようだ。ハルヒの訳分からん願望とやらに付き合わされる思念体もご苦労なことだ。

 ゼニガメがタイムトラベルという芸当を見せてから、ハルヒはソフトウェアの営業もろくにしないで研究室にこもっていた。

「くーっ!いったいいつになったら成功するのかしらね」

このところ機嫌が悪い。それもそのはず、失敗が続いた実験が通算で一万回を超えたのだ。そのうち成功したのがたった二回。〇・〇二パーセントの確率かよ、ぷっ。

「まあそう簡単には無理だろ。俺たちが簡単に作れるならNASAやらCIAやらが黙っちゃいないって」

「それはそうだけど。一万回よ一万回。あんた、どれだけ経費かかってるか知ってる?試したゼニガメは五百匹、水槽が五十個、スッポンの養殖してるわけじゃないのようちは」

そうそう。わが社の歴史に残る珍イベントで取締役から社員共に総出でゼニガメ買い出しに行かされた。近隣のペットショップやらホームセンターだけでは飽き足らず、鶴屋さんちの庭の亀まで総動員されたのだ。どんどん納入される亀と水槽の数に会議室だけではスペースが足りず、たまたま空室になったお隣さんを借りて亀専用ルームにあてた。実験の結果タイムトラベラー失格の烙印らくいんを押されたかわいそうな亀たちは、スペース節約のため近所の小学校やら近隣の動物園やら水族館やら、水のある施設には手当たり次第に寄贈きそうとして養子に出されている。

 爬虫類はちゅうるいに少なからず親近感のある俺は、亀に番号をふってその後の成長を記録していけばいい生物学的統計が取れるんじゃないかと言ったのだが、そんなことタイムマシンができたら簡単にやれるわよと言われてがっくりと肩を落とした。


「世紀の大発明なんだ。いくらかかっても十分すぎるくらいの見返りはあるだろうさ」

まあ会社の経費で払っている月々のエサ代と、室温を維持するために二十四時間フル稼働かどうさせてるエアコンの電気代は半端じゃなかったが。

「もう、早いとこタイムマシン作って時間旅行したいのにぃ」

ハルヒはうなり声を上げて机に突っ伏した。そう簡単に完成なんかされたら俺も朝比奈さんも困ったことになるのだが、いったいいつの時代に行きたいんだろう。

 古泉の携帯が鳴った。長門が宙を見つめた。

「すいませんが、顧客こきゃくと打ち合わせに行って来ます」

「おう、気をつけてな。直帰ちょっきでもいいぞ」

古泉があたふたと出て行った。たぶん閉鎖空間へいさくうかんの始末だろう、ご苦労だなまったく。


 それに加えて、ハカセくんがそろそろ試験前なので実験は二ヶ月間中止することになった。あわせてハルヒのダウナー度も増した。

「もう、タイムマシン作るのやめようかしら……。ハカセくんもいつまでも付き合えないだろうし」

こんなことを言い出すのはハルヒらしくない。今までずっとこいつは、目標に向かって全速力で突っ走るイノシシみたいなやつだったからな。

「ここでやめちまったら、出資してくれた鶴屋さんに申し訳ないだろう」

「今ならまだふつーの事業をやる会社に戻れるわ」

「それが嫌だから自分で起業したんじゃなかったのか?」

「まあ……そうだけど」

「俺は別にやめてもかまわんが、お前がやめちまったらたぶん人類は時間移動技術で数世紀遅れてしまうことになるだろうな」

そう。こういうとき、俺の出番なのだ。ハルヒが道に迷ったり、暴走して崖から落ちそうになったり、疲れて道端みちばたに座り込んだりしたとき、フォローにまわるのは俺なのだ。

「あんた、ほんとにタイムトラベルなんかできると思ってんの?」

「おうよ。だからお前に付き合ってこんなわけ分からん会社やってるんじゃないか」

「ホーキング博士が言ったわ。タイムトラベルが不可能であるという根拠こんきょは、未来からの観光客が未だに現れないからだ、って」

「UFOは未来人が乗ったタイムマシンなんじゃないかって説もあるぜ。オーパーツは未来から送られてきたんじゃないかって説も」

それを聞いてハルヒは、うーんとうなった。

「そうだ、思いついたわ」

またか……。そのフレーズはいい気分で飛ばしていた車のルームミラーに突然映った白バイ並みに、俺の寿命を縮めてる気がするぞ。

「今度はなんなんだ?」

「タイムマシンはなくてもタイムトラベルはできるわ」

「どうやってだ」

「タイムカプセルよ」

なるほど。超低速時間移動か。俺も長門のマンションでやったことがある。三年間、いわばカチンカチンに凍ったまま時間を超えたのだ。

「未来のあたしに手紙を書くわ。これなら確実に届くでしょ」

「ま、まあ、昔からやる手だがな。なにを書くんだ?」

「タイムマシンが完成したらすぐ迎えに来なさい、または手紙をよこしなさい、よ」

分かった。ハルヒは今すぐタイムマシンを手に入れたいのだ。開発までの道のりがいかに長くても、完成してしまえば一足飛びに自分のところに来れるはず。そう考えたのだろう。まるで漫画のネタみたいな、今から貯金をはじめてタイムマシンで未来に行き、貯まった金を自分からうばうような話だ。そんなことをしなくても朝比奈さんに頼めばメッセージくらい簡単に届けてくれそうだがな。

 まあハルヒがやるというんで黙ってやらせることにしよう。タイムカプセルなら放っておいても勝手に届いてくれるだろう。

「みんな、ちょっと聞いて。我が社はタイムマシン開発の予備段階として、タイムカプセルを作ることにするわ。開封条件はタイムマシンが完成したときね。みんな、自分宛てになにかメッセージを書きなさい」

まるで七夕の願い事を書くようなノリである。そんないつになるか分からん未来になにを伝えろってんだ。

「ちゃんと封をするのよ」

用意のいいことに封緘紙ふうかんしまで持ってきた。


── 俺へ。犬が洗えるくらいの庭付きの一戸建てを買ったか?長門とはうまくやっているか?さっさとハルヒを誰かに押し付けてしまえ。


さして願い事もない俺が書いたのはそれだけだった。いつかの七夕にも似たようなことを書いた気がするが。

 ハルヒは台所用品のシュリンクパックに手紙を突っ込み、空気を抜いて真空にした。A4用紙に開封条件を書いてるようだが、開けちゃだめと金庫の中に書いてあったらどうやってそれを知るんだ?やたら安易あんいな気もするが、まあハルヒのやることだ。ほかに開けるやつもいないだろうし。

「タイムカプセルってどうやって作るんだ?」

「核攻撃下でも耐えるファインセラミックスで固めて地中深くに埋めたいところだけど。もしかしたら数年後かもしれないから、簡単でいいわ」

「金庫にでもしまっとくか」

「それじゃ味気ないわね。大理石の板で作りましょう」

「そんなもん、どこで手に入れるんだ」

「墓石屋にいけばあるでしょ」

墓石は大理石じゃなくて御影石みかげいしだが。機関が墓石を扱ってるとか言ってたんで古泉に頼もう。


「僕そんなこと言いましたか?」

「言った言った。ゆりかごから棺桶かんおけまで何でも揃うと」

「すいません。あれは言葉のアヤです」

口からでまかせだったのかよ。古泉は照れた笑いを浮かべてひたいをペンと叩いた。しょうがないので二人でホームセンターを探しまわり、墓石屋にもなく建材店でやっと見つけた。歩道や公共施設なんかで見かける敷石しきいしらしい。一辺が六十センチの正方形で、厚さ五センチの大理石を手に入れた。

 会社に戻ると部屋の奥からガンガンとやかましい音がしていた。なにやってんだろうと覗いてみるとハルヒがタガとカナヅチで壁を削っている。壁紙がひっぺがされてセメントがき出しになっていた。

「おい、会議室でなにやってんだ」

「見て分からないの。穴を掘ってるのよ」

「ビルのオーナーに怒られるぞ」

「タイムカプセルを埋め込むためよ。バレなきゃいいの」

ハルヒが壁を叩くとセメントのくずがボロボロとこぼれてきた。意外にもろいのな。ここが刑務所なら爪切りで削ってでも脱走できそうだ。もしここで監禁されたら脱走する方法として覚えておこう。


「おい、先に帰るぞ」

退社時間になってもガンガンと工事の音が続いていた。ハルヒの足元に、朝比奈さんがおにぎりを、長門がポカリスエットとカロリーメイトを置いていた。古泉はサロンパスを置いた。

「あら、ありがと。もうそんな時間?先に帰っていいわ」

セメントの粉をかぶってホコリまみれになったハルヒがいた。一日かけて大理石の板と同じサイズのへこみができたようだ。

 ハルヒはさらに二日掘りつづけて、それより縦横が十センチほど狭い奥行きのあるへこみを作った。もっと深く掘ろうとしてたようなのだが、途中でビルの骨組みのようなH型の鉄骨が現れ、そこで断念したらしい。

「できたわ!」

安全第一のヘルメットを被り、ヘッドライトをつけたハルヒが叫んだ。どうやら徹夜だったらしい。ひたいの汗をこすった跡が汚れて青函トンネルの二十年の穴掘りから帰ってきたような顔をしていた。こういう作業だけはまめにやるんだなこいつは。長門に頼めばレーザーかなんかでさくっと掘ってくれそうなのに。

 掘った穴のでこぼこを石膏せっこうで塗り固め、平らにならした。赤いビロードの布を貼り、ちょっと豪華な埋め込み式の金庫が出来上がった。

「さあ、未来にメッセージを託すわよ」

古泉、長門、朝比奈さんも付き合って手紙を納めた。長門の手紙の内容を聞いてなかったな。あとで尋ねてみよう。

 その上から買ってきた大理石をはめ込み、溝をパテで埋めた。手紙を取り出すときはハンマーかツルハシでぶっ壊すしかないだろうな。未来へのメッセージは無事封印され、ハルヒはなにを勘違いしたか、拍手かしわでを打っていた。神棚じゃないっての。


 昼飯の弁当を食っていると、突然カメラのストロボを十台くらい光らせたような閃光せんこうが走った。

「キタワー!!」いつもより二オクターブくらい高いハルヒの声が響いた。

「なにがだ」

「手紙よ手紙。たった今、あたしの机の上に現れたのよ」

俺を含めた四人は何が起こったのかピンと来ず、とくに驚いた様子も見せなかった。

「なによあんたたち、もっと驚きなさいよ」

「それで、誰からなんだ?」

「もちろん、未来のあたしからよ」

「お前のことだから突っ返してきたんじゃないか?」

「違うわよ。真新しい封筒よ」

まじで返事が来たのか。俺は朝比奈さんと長門の顔を見た。二人ともかわいい目をまん丸にして、唖然あぜんとしている。

「なにが書いてあるんだ?」

「これから読むわ。古泉くん、カメラの用意をお願いね。今日は我が社にとって、いえ、人類にとって記念すべき日よ」

「かしこまりました」

古泉が機材ロッカーを開けてゴソゴソとビデオカメラとライトを取り出した。しょうがない、俺が照明をやってやる。

「撮影スタンバイオーケーです」

「カメラ回して」

カメラの液晶モニタに赤いRECのマークが入った。

「えー、あたしは株式会社SOS団の社屋にいます。かねてより、我が社はタイムマシンを開発中である。昨日、未来に向けてタイムカプセルを送った。そして今、未来から返事が来たのであります。読み上げる」

微妙びみょうに語尾が混在したセリフを吐きながら、ハルヒが封筒の封を切って手紙を取り出した。


── 前略、あたしへ。あんたの手紙は読んだわ。おめでとう、あたしたちはタイムマシンの開発に成功しました。でもまだ、質量の小さいものしか送れません。成功率もなかなか低くて、まともに送れるのは二十回に一回ってところね。成功率が八十パーセントを超えたら、ハカセくんが論文を書いて世界に向けて発表するわ。

── タイムパラドックスの危険があるから、今のあんたから見て何年後かは言えないけど。まあ、気長に待ちなさいね。ハカセくんの話では、人を送れるようになるまでにはあと十数年くらいはかかりそうってことよ。


ハルヒはそこで深呼吸をして文末を読み上げた。


「株式会社SOS団代表取締役とりしまりやく社長、涼宮ハルヒ」


「すごいわ涼宮さん。とうとうやったのね」

朝比奈さんが拍手した。なんかすごくデジャヴを感じているのだが俺だけか。

「あ、待って。まだあるわ。追伸、このメッセージは十秒後に消滅す……」

ハルヒの手にあった手紙は、まるで急に発火点に達したあぶり出しのように燃え広がった。

「おわーっ!!火事よ火事、あたしの手が火事!」

「キョンくん、消火器!消火器!」

「はいっ」

よほど慌てていたのか、俺は粉末消火器のホースをハルヒに向けてぶっぱなした。十五秒間、わき目もふらず一心不乱いっしんふらんに消化剤をいた。あまりの壮絶さに誰も止めなかった。

 部屋に充満する甘酸っぱい匂いのする消化剤を吸い込んで、全員咳き込んだ。ハンカチを口に当てた長門が慌てて窓を開けた。

「バカキョン!もう、なに考えてんのよあんた」

「す、すまん。大火事にならないかと心配で」

ゆっくりと霧が晴れるように部屋の中が見えてきた。真っ白な髪に全面おしろいを塗りたくったかのような四人が立っていた。

 モウモウと立ち込める真っ白な煙の中から、これまた真っ白なゾンビのようなハルヒが現れた。昭和アニメ風に言うなら、そしてハルヒは真っ白な灰になった、とでも表現しようか。俺たちは互いの顔を見た。一瞬の後、大爆笑に見舞われた。全員がパンダみたいに目だけを残してミイラになっちまってる。

 鼻の穴まで真っ白になったハルヒは涙を流して笑いながら怒鳴った。

「バカキョンにアホキョン、まったくもう!腹立つわ。あたしったら何考えてんのよ。消滅するなら最初に書いときなさいよね」

これぞひとり突っ込みだな。

 片付けは当然俺がやらされた。ちなみに、ハルヒの手の上で燃え広がるシーンまでの映像はちゃんと撮れており、公式社史に残されている。


 雑巾ぞうきんでせっせと部屋を掃除するというサービス残業をしていると、ハルヒが壁に大きな額縁がくぶちを飾っていた。四つ切くらいの額の中央に、紙のきれっぱしのようなゴミが貼り付けてある。

「ハルヒ、なんだそれ?シュールレアリズムかなんかか?」

「さっきの手紙に決まってるじゃないの。我が社の記念すべき書類よ」

ハルヒは不機嫌極まりない様子で叫んだ。そういえば、なんとなくだが書類の燃えカスっぽいな。ところどころ粉っぽいのは消化剤か。封筒は全部燃えてしまったらしく、“ルヒ”と、ちょうど手紙の右下の署名の文字部分だけが残っている。


 それから数日してのこと。こないだ頼んだ石材店から、もう一枚同じ大理石が届いていた。頼んだ覚えはないんだが、なにかの間違いだろうと電話をかけようとしたところ、ハルヒが土木作業員のような格好で現れた。家を壊せそうな、でかいハンマーを背負っている。黄色い安全第一ヘルメット、ランニングシャツ、腹巻はらまき、ニッカポッカに地下足袋じかたびをはいていた。その様子があまりに似合いすぎていて、口の周りに丸く黒ヒゲでも描いてやろうかと思ったほどだ。

「労働者ごくろう。だがあんまり腹が立ったんでビルを壊すとかいうなよ」

「そんなことしないわよ。手紙を追加するだけよ。あんないたずらされて黙っちゃいられないわ」

自動発火装置付きメッセージが相当頭に来たらしい。

「古泉くん、カメラお願い。この情報化時代に手書きの文字なんか古すぎるわ。映像を直接送るの」

「未来に再生装置がなかったら読めないだろ」

「あんた知らないの?どんな未来でも骨董品こっとうひん屋があって、古い電子機器が売られてるのよ」

そりゃ映画の話だろう。ガソリン車だったのがバナナの皮と飲み残しの缶ビールで走る核融合エンジンになったんだったか。かわいい十六ビットパソコンが出てたな。

「カメラ、スタンバイオッケーです」

「いくわよ」

ハルヒはお触れを読み上げるお役人のようにA4レポート用紙を広げた。

「これは未来へのメッセージである。開封条件は一通目の手紙を読み終えること、タイムマシンが完成すること」

ハルヒは読むのを止めて、カメラに向かって指さした。

「あんたの自動消滅する手紙ではひどい目にあったわよ!いたずらもほどほどにしなさいよね」

白ゾンビを思い出したのだろう、古泉が笑いをこらえていた。

「未来に対し、以下の四点を要求する。

 ひとつ、そのへんで撮った写真を送りなさい。

 ふたつ、あんたの髪の毛を送りなさい。本物かどうかDNA鑑定するわ。

 みっつ、一週間分の新聞を送りなさい。

 よっつ、タイムマシンの設計図を送りなさい。以上。

 追伸、もしこれらの要求が受け入れられない場合は、時限発火装置を送るからそう思いなさい」

なに物騒ぶっそうなこと言い出すんだ。相手は自分だぞ。

「カメラ止めていいわ」

「この映像、どうやって送るんだ?」

「編集してDVDに焼いてちょうだい」

「それはかまわんが、DVD-RはふつーのDVDビデオと違って寿命が短いらしいぞ」

「そうなの?じゃあビデオテープでもいいわ」

「磁気テープもあんまり長くはもたんだろう」

「じゃあどうすんのよ」

「半導体メモリとかのほうがよさそうだ」

「携帯とかデジカメとかに入ってるあれ?なんでもいいわ。送れるようにしといて」

メモリといえば俺が朝比奈さんに言われて花壇で拾い、知らない誰かに送ったあれもそうだったが、なにか関係あるんだろうか?朝比奈さんに疑問符を投げてみるが、にっこり笑っただけだった。禁則事項らしい。

 ハルヒはハンマーを抱えてのっしのっしと部屋の奥に歩いていった。

「おい、なにするんだ」

「二通目を入れるから大理石を壊すのよ」

ビルが倒壊とうかいするんじゃないかと思うような音がげしげしと聞こえてきた。その場にいた全員が耳を塞いだ。ハンマーを大きく振りかぶって大理石をぶっ壊している。まったく激しいやつだな。

 俺はビデオカメラをパソコンに繋いで、映像を抜き出した。こないだの自動発火装置付きメッセージのシーンを再生して何度も笑わせてもらった。

「あれっ、ないわ」

ハルヒの声が響いた。なにごとかと奥の部屋へ行ってみると、足元には大理石の板が粉々にくだけ、タイムカプセルの穴に顔を突っ込んでわめいている。

「どこにもないわ、キョン!手紙どっかにやったでしょ」

「知るかよ、最後に石を封印したのはお前だろう」

「そうだけど……」

覗き込んでみるが空っぽだった。長門を見てみるが首を横に振っていた。朝比奈さんは、こめかみに指を当てて考え込んでいる。

「向こうで手紙を受け取ったのだから、なくなったのでしょう」古泉が口を挟んだ。

トンネルじゃあるまいし、そんなはずがあるか。手紙がないってことはこの時間でタイムマシンが完成したってことじゃないか。……って、え?

「それもそうね。まあいいわ、次の手紙を入れるから。キョン、今日中に編集しといて」

ハルヒは、手紙が消えても何の不思議もないかのような顔をしている。そんなんで納得していいのか。

「じゃ、ちょっと早いけどお昼にしましょ。あたしは健康ランド行ってくるわ。いい汗かいたし」

ハルヒはSOS団建設とでも名称変更できそうな勢いで、すがすがしいんだかよくわからない労働の汗をタオルでごしごしと拭きながら出て行った。


 ここで緊急会議である。四人は顔を突き合わせてあれやこれやと意見を出し始めた。

「これはミステリーですね。密室にあったはずの手紙はどこへ消えたのか?」

推理好きな古泉が安っぽいサスペンスドラマっぽく仕立て始めた。

「壁の向こう側から盗まれたんじゃないかしら?」

朝比奈さんが穴の奥の壁を探っていた。

「向こう側は廊下ですよ。それに穴は鉄骨で止まってますから」

「……」

長門だけはじっと考え込んでいた。

「どうした?」

「……この穴の内壁」

穴の内側をなぞっている。指先に、微妙びみょうに光を反射する粉がついていた。でこぼこを埋めたときの石膏せっこうかと思ったが、そうでもないようだ。

「……微量だが、エキゾチック物質が残っている」

「なんですって」

「どういうことだ?」

「……ワームホールが発生した形跡がある」

「ということは、手紙はほんとにタイムトラベルして向こうの時間に行ったんですか」

「……そう、推測する」

まさか、ありえないだろ。今日はエイプリルフールか。お前ら、俺をかついでんだよな。

「どうやったらそれが可能なんですか?」古泉が興味津々しんしんだ。

「……時間移動の方法はいくつかある」

前にもそんなことを言ってたな。

「原始的な方法として、エキゾチック物質で粒子-反粒子間のトンネルを押し広げ、質量のある物体を移動させるやり方がある。今回の現象は、それに該当する」

「それはかなり不安定だと聞いていますが」

「……涼宮ハルヒが、それを成功させた」

「これもまた涼宮さんの能力ですか……」古泉が考え込んだ。

「俺にはなにを言ってるのかよく分からんのだが」

俺が割り込んでも、古泉は説明もしない。

「長門、俺にも分かるように説明してくれ」

「……うまく言語化できるか分からない」

長門はホワイトボードに、蜘蛛くもの巣を二つ、その中心を貼り合わせたような図を描き始めた。俺は何度も何度も小学生のような質問を繰り返し、ようやく飲み込めたところでは次のような説明だった。


── 宇宙を作っている素粒子そりゅうし、原子よりずっと小さい物質の大元おおもとみたいな小さな粒は、二つのペアになっている。粒子がプラスで反粒子はマイナスだと考えればいい。その二つのペアの間は不思議な力で繋がっていて、それがワームホールになる。そのトンネルを大きく広げてやれば、人でも猫でも、宇宙船でも通り抜けられるという理屈だ。

 さらに、反粒子は時間を逆行して存在してるらしいので、ワームホールを抜けると時間を超えることもできる、らしい。ただし穴の壁は壊れやすく不安定なので、エキゾチック物質という負のエネルギーを持つ物質で内側を支えてやらないといけない。


 なんだか前にも似たような話を聞いたような覚えがなくもないが。

「それをハルヒが無意識にやっちまったってのか」

「……それ以外、妥当な答えがない」

なるほど。ほんとかどうかは知らんが、やっぱ物理学は俺の頭じゃ無理だわ。

「あの……」

いちばん時間移動に詳しい朝比奈さんが、やっと口を開いた。

「これは歴史の転換点かもしれません。わたしの知る歴史とはまったく違う時間移動技術の発明過程です」

「これって朝比奈さんの所属する時間移動の組織と関わりがあるんですか」

「もう違う流れに変わってしまったので話しますけど、この会社は時間移動技術研究所の前身なんです。その、はずなんです」

「SOS団がタイムトラベルを管理?」

「いえ、涼宮さんがはじめて、もっと後の世代でやっと実用化した技術なんです。ここは、ほんの始まりに過ぎないの」

「ハルヒが開発を前倒まえだおししたってことですか」

「まだ正確なところはなんとも言えないです。こんなのははじめてで……」

朝比奈さんは長門に尋ねた。

「長門さん、ひとつだけ分からないことがあるんです。涼宮さんはどうやって時間を指定したんですか?」

「粒子の存在する時空、つまり、目的の時間の粒子ペアを持つ反粒子を使った」

「その粒子を見つけられる確率は?」

「……見つけたのではない。涼宮ハルヒは自ら反粒子を作り出した」

長門は両手をパンパンと打ち合わせた。

「あの、拍手かしわで?」

「……そう」

まさかあの仕草にそんな意味があったんだとは。


 ハルヒの命令で俺は、動画を編集するために昼休みをつぶすはめになった。メモリカードを渡すと、うやうやしくアルミホイルで包んで小箱に入れ、ラッピングしてご丁寧ていねいにリボンまで付けてタイムカプセルに収めた。こないだと同じ手順で重たい大理石のふたをし、隙間をパテで埋めて拍手かしわでを打った。ついでに祝詞のりとでも唱えりゃ効果倍増するんじゃないのか。


 二通目の返事は同じメモリカードで来た。部屋が一瞬閃光せんこうに包まれ、封筒がハルヒの机の上にぽとりと落ちた。続けて、赤い筒型の何か、それより細いスプレー缶みたいなもの、黒いレバーらしきもの、最後にホースが落ちてきた。赤い筒だと思ったのは消火器のようだった。中身が空で、部品ごとにバラバラに送られてきた。組み立てろってことらしい。未来のハルヒはここのハルヒより一枚上手なようだ。

 ハルヒは突然目の前に降って沸いたガラクタに眉毛まゆげをひそめ、机をドンと叩いて怒鳴った。

「まったくもう!ムカつくわね。しょうもないイタズラしてないで大人になりなさいよ」

ハルヒは自虐的な突込みをいれつつ、メモリカードをパソコンに挿して動画を再生した。

『あたりまえだけど、若いわね。感動しちゃったわ』

広告の使用前使用後みたいで、見ていた四人がオオッと声を上げた。この映像のハルヒを見る限り、向こうはだいたい十年くらい未来ってことだな。もしかしたらずっと未来で、メイクか若返り治療の効果かもしれんが。

『あんたも欲張りね。駅前の写真を何枚か入れといたわ。なにも変わってないわよ。髪の毛は何本か入れといたから、勝手に分析でもしなさい。言っとくけど、今じゃDNAなんていくらでもごまかせるんだから。新聞はねぇ、未来の情報を過去に送るのは有希に止められてるの。分かるわよね。あんたが下手に情報を使ったりしたら、未来が変わっちゃうもの。同じ理由で設計図もダメ』

「チッ。サッカーくじで大儲けしようと思ってたのにぃ」ハルヒは舌打ちした。

お前そんなせこいこと考えてたのか。俺もだ。

『おびに消火器も送っといたから、そっちで組み立てなさいね。これ重いから、分けて送るのたいへんなんだからね』

ハルヒを見ると怒りに打ち震えているのか、プルプルと震えていた。頭にやかんが乗っていたらシュンシュンと音を立てていただろう。

「ちょっと古泉くん、相談があるんだけど」

「なんでしょうか」

「メモリカードくらいの小さい爆弾作れる知り合い、いる?」

「す、涼宮さんそれだけは」

機関なら爆弾職人くらいいるだろう。冗談なのか本気なのかハルヒは古泉ににじり寄った。いっそのこと紹介してやれ。

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