涼宮ハルヒの経営Ⅰ

のまど

プロローグ

 ある日の午前十一時半、倦怠けんたい生活に身をやつしている身分の俺には一日のうちでもっとも夢ふくらむ楽しい時間。このところ妙に開放感を感じているのは、きっと束縛そくばく感の塊のようなやつが俺から少なくとも十メートル半径にいないからだろう。精神衛生的にも胃腸の機能的にも正常らしい俺は、さて今日はなにを食おうかとあれこれ思案していた。その矢先に机の上の内線が鳴った。無視して昼飯に出かけるにはまだ二十分ほど早いので仕方なく受話器を取ると総務部からの転送だった。お客様からお電話よ、と先輩のお姉さまがおっしゃった。俺を名指しで外線?先物取引のセールスとかじゃないだろうな。

「キョン、今日お昼ご飯おごりなさい」

あいつ俺に電話するのに代表にかけやがったのか。

「職場に直接かけてくんな。携帯にメールでもすりゃいいだろ」

「いいじゃないの。あんたがどんな人たちと働いてるか知りたかったのよ」

俺の周辺に涼宮教を広めないでくれ。

「俺とお前の職場じゃ昼飯を食うには離れすぎてるだろ」

「じゃあ、北口駅前でね」

そう言っていきなり切りやがった。相変わらずこっちの都合なんてないんだよなぁこいつは。

「すいません、外で昼飯食って打ち合わせに直行ちょっこうします。三時ごろ戻ります」

俺は戻りが遅れることを予想して上司に言った。いちおう取引先に会うカモフラージュのためにカバンを抱えて出た。中身は新聞しか入ってないんだが。


「キョン!こっちよこっち」

北口駅を出るとハルヒが大声で叫びながらハンドバッグを振り回していた。俺は横を向いて他人のフリ、他人のフリ。

「恥ずかしいなまったく」

「この近くにイタリア人がやってるフランス風ニカラグア料理の店が開いたのよ」

どんな料理だそれは。

 ハルヒにつれて行かれた開店したばかりという瀟洒しょうしゃな料理店は意外に混んでいた。ニカラグアがどんな国かは知らないが、まあ昼時だからそれなりに客も入っているようだ。そのへんのOLが着る地味なフォーマルスーツに身を包んだハルヒはズカズカと店の中に入り込み、ウェイターが案内しようとするのも構わずいちばん見晴らしのよさそうな窓際の丸テーブルにどんと腰をおろした。

「あーあ。ほんと、退屈」

ハルヒがこれを言い出すのは危険信号だ。俺はパブロフの条件反射的に身構えた。何も言わない、何も言うまいぞ。

「あんたさぁ、」

腕を組んでテーブルに伏したままハルヒがつぶやいた。

「なんだ」

「仕事、楽しい?」

キター!!これはまずい展開だぞ。話の行方を考えて返事をしなくては。ハルヒがこういう話の振り方をするとき、不用意な俺の発言でとんでもない事件に巻き込まれることが歴史を通じて証明されている。

「半年だし、まあやっとペースに乗ったところって感じかな」

「あたしは退屈。こんな生活が退職するまで続くかと思うと憂鬱ゆううつになるわ」

「定年までいることはないさ。結婚するとか、転職するとか、資格を取ってキャリアを重ねるとか、いろいろあるだろ」

「あんた、有希と結婚したとして、こんな生活が延々続くことに耐えられるの?」

「生活は安定するさ」

いや、今なんか問題発言がなかったかハルヒ。

「あたしは耐えられないわ。人に使われて歯車を演じるだけの人生なんて」

人、それを“歯車にさえなれない”と表現するんだが。そんなことをハルヒに向かって言ったらきばをむいて頭ごと食われそうなのでやめとこう。

「貯金して海外旅行でも行ったらどうだ」

「毎年それでリフレッシュするわけ?帰ってきて自分が飼われてるのを実感するだけよ」

「うーん……。お前を満足させられる会社ってのが、そもそもあるのかどうか分からん」

それ以上会話が続かず、俺たちはしばらく黙っていた。ハルヒは眠そうにニカラグア産コーヒーをすすった。もしかしたら俺たちはこのまま、一生社会のしがらみの流れに身を任せて生きていくしかないんじゃないか。そう思わせるような雰囲気が、俺とハルヒの半径二メートルくらいを充たした。だがまあ、それも悪くはないと思う。今までハルヒに付き合っていろいろやってきたが、もうお遊びは終わりだ。

 俺は倦怠けんたい感に身をゆだね、持ってきた新聞を広げて壁を作った。ゆっくりしよう、どうせ戻りは三時だし。

「気がついた!」

ハルヒの声が店内に響き渡わたり、俺は新聞を落とした。突然俺のネクタイを締め上げた。ずいぶん前に似たようなシーンに遭遇そうぐうした覚えがあるぞ。

「く、苦しい離せ」

「どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかしら」

「何に気づいたんだ」

「自分で作ればいいのよ!」

「なにをだ」

「会社よ会社」

うわ、まじ、やめて。ハルヒは携帯電話に向かって怒鳴った。

「全員集合!」


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