「ち」
知識の神心より
知恵の神心を
もらおうよね
++++++++++
おばちゃんは、「知識人」という存在を嫌っておられました。
わたしは
「なんでも知ってて、凄いやん!おばちゃんは、なんで嫌いなん?」
と、聞いたことがあります。
その時の答えが
「知識を持つことは素晴らしいことや。知るということは素晴らしい。そやけどな、知識の持ち方が問題やねん。」
「ふむふむ」
「本を読む。知識を得る。これ10点」
「え?10点だけ?」
「そやな。まぁ、(知識は)ないよりかはマシってレベルやな。
好奇心を持つ。やってみる。失敗する。工夫する。ちょっとは良くなったけど、やっぱり失敗する。また工夫する。
またちょっとは良くなる。また工夫する…。この繰り返しで人は成長するんやで。だから、本読んだからと言うて、わかったつもりになってたらあきまへん。そやけど、
「なるほど!」
「そやなぁ…あんた。こんな人、どない思う?」
「どんな人?」
「エベレスト登頂に成功した人が出版した本読んで、エベレストに登った気分になって語る人。」
「え?そんなん、あほやん!」
「やろ?そう思うやろ?」
「ま、そういうこっちゃ!」
実は、わたしが知識と書いたら、おばちゃんはそれを、偽善者(ぎぜんしゃ)と読んだんです。
一瞬、耳を疑いました。
知識の詰め込みは、ただ「知ってる」というだけのことで、知恵と工夫が成長の鍵だと教わりました。
この時、学校の記憶詰め込み式の教育方法に、大きな代償を払わないとあかん時代がくるやろうと、本気で心配していたおばちゃんでした。
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