序章1 おばちゃんとの出会い
(1)
平成3年5月14日 火曜日
今から25年前のことです。
当時、義母は、
「現代の医学では治る見込みがありません。個人差はありますが、時間と共にどんどん視野が狭くなり、高い確率でいずれ全盲になります。」
と、医師から宣告を受けていました。
そう言われていた眼の病気でしたが、わたしは「なんとか治らないものか」あるいは「治らなくても全盲にならない手立てはないものか。それが無理なら、少しでもその進行を遅らせることはできないのだろうか。」と、懸命に情報収集をしていました。
インターネットのない時代でしたので、電話帳(タウンページ)や健康雑誌から電話番号を調べては「良さそうだ…」と思う所に、片っ端から電話をかけていたのです。
当時はまだ少なかった、セカンドオピニオンで違う病院に行くことを検討したり、鍼灸や中国鍼、漢方薬、健康食品、日本では認可されていない海外の薬などあらゆるものの情報を集めていました。
しかし、セカンドオピニオンで違う病院へ行くことは、先に診てもらった医師への遠慮から義母が嫌がったため叶いませんでした。
他の手段は、すべて民間療法なので健康保険が効きません。
その為、かかる費用は全額自己負担になり相当な負担額になります。
その上、即効性と信憑性のない「賭け」のようなものばかりで、諸事情いろいろ無理があり諦めざるを得なかったのです。
義母は当時55歳。
「まだ若いのに…途中失明は辛すぎる…」
そう慮っても、どうすることもできなかったのです。
(2)
その日夕刻、友人から電話がありました。
ひと通り、話が終わった後、わたしは、友人に義母の眼の病気のことを話しました。
すると、その友人は、恐る恐るこう言ったんです。
「恵ちゃん・・・。神様って信じる?」
「は?いきなりなに?」
「いや…あたしな、神様と話しが出来る人知ってんねん。その人に会ってみぃひん?会わせてあげるよ?その人、癌も治しはるって聞いてるから。お義母さんの眼も治るかもしれんよ。会ってみる?」
普段のわたしなら、絶対に、一億パーセント断わる話です。
神だの宗教だのというその手の怪しい話は、一番距離を置きたい、はっきり言えば嫌悪感しかない世界の話だったからです。
しかし、次の瞬間
「いつ会える?」
と、自分でも信じ難い言葉を発していたのでした。
「明日朝5時、阿倍野で。」
と、友人。
「わかった。行くわ!」
場所の詳細を聞き、時間を確認して、あっと言う間に話が決まりました。
翌早朝、寝ている息子を車に乗せて、約束の場所へと向かったのです。
今思い返しても、どうしてそんな決断ができたのか不思議で仕方がありません。
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