独善独悪のバルバロイ

軌跡

第一章 ペロネポス帝国

第1話 皇帝の遺言

 声が聞こえる。荒い、急かされるような男たちの声が。誰かを探しているようだった。

 なら付き合ってやる必要はあるまい。少年は焦る彼らと同じように、急ぎ足で進んでいく。


「ちょ、ちょっと」


 まだ納得してない――そう言いたげな後ろの彼女。少年は無理やり引っ張るように、腕の力を強くした。


 敵、と形容していい連中が探しているのは彼女だ。まだまだ追ってくるだろうし、森に逃げ込んだぐらいで安心するのは気が早い。せめて町の方に紛れこまないと。

 頭上から降り注ぐ月光の中。少年少女による逃避行は、刻一刻と進んでいく。


「……歩きながらでいいから、せめて理由を説明してくれない? 気になってしょうがないんだけど」


「――」


 逃げる方が先決だ、と言わんばかりに少年は無言。

 その態度に少女は苛立ちを露わにしたが、腕を振り払おうにも払えない。相手は男。反対に彼女は、身体を鍛えているわけでもない細腕だ。


「ねえ、ナギト」


 それでも口は自由なわけで、変わらず疑問を口にする。


「地位を失った皇女を連れ出して、どうするつもり? 貴方にメリットなんて無いと思うけど」


「そんなことはないよ。僕は君を助けたくて助けたんだ。メリットならそれで十分さ」


「……」


 呆れさせたらしく、少女の溜め息が足音に混じる。

 反論する暇もなく、ナギトはひたすら前に進んだ。いま考えないといけないのは、ここから生きて脱出すること。多勢に無勢だ、包囲されれば突破は難しい。

 なので敵にすれば、成立させるべき状況でもあって。


「いたぞ!」


 その一報。静まっていた木々の間から、一斉に足音が蘇る。

 二人が走り出すまで時間は必要なかった。彼女の方も身の危険には敏感らしく、反射的にナギトと動きを合わせている。


 目的地まではまだ遠い。生い茂った緑の向こうに見えるのは暗闇だけだ。町の光は欠片ほども見えず、行き先への不安感を膨らませる。

 と、正面。


「うお!?」


 何の脈絡もなく、炎の壁が立ち塞がった。

 それは物事の道理を無視した発火。――自分の感覚を疑いたくなるが、彼らがそういう手段を持っているのは知っている。文句を言う前に対処するしかない。


「こっち!」


 唖然あぜんとしている少女を引き、進行方向を変えながら走る。

 ただ驚くばかりでしかない彼女の反応には、少し心当たりがあった。炎の壁――魔術と呼ばれる神々の力は、自然が多い場所での発動を禁じられている。それも国家の法律として、だ。


 にも関わらず破られた。敵の気概についてはもちろん、国の形が変化したことも予感させる。

 確かにかの大国では、一年前に革命が起こった。

 結果として皇家の一員である彼女は処刑が決定し、ナギトに助けられて今に至る。


「どうして……」


 理解できない。力のない走りで、彼女は小さく呟いた。

 魔術のおきては絶対のモノとして認識されている。それは革命があっても変わるべき要素ではない。

 

 日ごろ口にしている言語が、たった一日で消えたりはしないように。

 だがさっきの魔術行使は、その有り得ない変化を代弁していた。


「……分かったろ、アルクノメ。君の知っている帝国はもう存在しない。あの革命に、どれだけの人が賛同したと思うのさ」


「――」


 アルクノメは返答しない。民を思って選んだ死が、無意味だったと知って気落ちしている。


 父が行った暴政を正し、国をあるべき姿に戻す――処刑が決定した直後、彼女はナギトにそう語った。

 だから私を助ける必要はない、生きていれば国に亀裂を生む、とも。

 

 最終的にナギトの身勝手が勝ったわけだが、それで良かったと痛感する。死後に民の変化を知れば、処刑が報われることは無いのだから。


「っ!」


 頭上には光。月光を一瞬だけ反射する、狂気の混じった光だった。

 言葉よりも先に、ナギトはアルクノメを抱き上げる。


「ちょ――!?」


 反論は直ぐに収まった。月光を反射していた何かが、連続して木々を吹き飛ばしたのだ。

 断頭台の刃に似た、巨大な刃物。

 

 それが途切れなく、二人の頭上から降り注ぐ。人間技じゃないのは疑うまでもない。――耳を澄ませば、鳥の鳴き声も聞こえてくる。


 ナギトは少しでも緑が深い方へと進路を取った。アルクノメがいたんじゃ反撃する暇もない。せめて彼女だけでも安全な場所に逃さなければ。

 轟音を立てる刃の雨。太い枝が、巨大なみきが、切断されれば割れもする。


「ひっ」


 紙一重で避ければ、アルクノメからは当然な悲鳴が漏れた。

 しかし徐々に、敵の攻撃は止んでいく。ナギトの細かな抵抗が功を奏したのだ。目的地への最短ルートからは外れてしまったが、命が拾えれば文句は言うまい。


「……アルクノメ、ここからは一人で行ってくれ」


「あ、貴方はどうするの? ……上の化け物と戦うとか、言わないわよね?」


「それ以外の返事は用意してないのに?」


 アルクノメはまたもや溜め息。でも、放置できない以上は仕方ない。

 二人の前には更に鬱蒼うっそうと生い茂った森がある。夜間であることもあって、視界の悪さは折り紙つきだ。闇の世界と言っても過言ではあるまい。


 まともに視界が効かない森の奥を、彼女は不安げに見つめている。

 もともと都会育ちのお嬢様だ。子供の頃はまだしも、最近は野山を駆け巡ることもなかったろう。


「――は、早く迎えに来てね?」


「もちろん」


 即席の決意で、彼女は森の奥へと入っていく。

 残るのは高らかな咆哮だけ。どうやらこちらの姿を見失い、頭上を旋回しているらしい。


 直後だった。

 微かに差し込んでいた月明かりが、途端に遮られてしまったのは。


「っ!」


 何が起こっているのか――直感的な悪寒に導かれて、ナギトはその場を飛び退く。

 間髪入れず降ってきたのは、巨大な鳥の足。

 獲物を捕えることはなかったが、常識はずれの一撃は容易く木の幹をもぎ取っていた。直撃していれば今ごろ、ナギトは血だるまにでもなっていただろう。


 今も折れている枝の向こうには、荒々しい獣の眼光が二つ。

 鳥だった。


 十メートル近くはある巨大な鳥。体毛の一部は鉄のように輝いている。二人を襲った刃の雨は、ソレを投擲とうてきしたものだろう。硬化する能力があった筈だ。

 加えて頭には、人間のような髪。普通の鳥とは何もかもが違う。


「ハルピュイア……!」


 名を呼ばれた怪鳥は、応えるように飛び上がった。

 ナギトは追えないし、止めようともしない。それが人間として普通の対応だ。帝国にいる多くの人だって、歯向かう前に逃げることを選択するだろう。


 だからその選択は、アルクノメにくれてやった。

 ナギトに託されたのは、この場で叩き落とすこと。


「っ……!」


 大空へ到達した直後、ハルピュイアは羽根の刃を叩きつけた。

 月明かりに染まる敵意を見て、ナギトは右手の魔術を発動させる。


 唐突に現れたのは、槍だった。

 何の装飾もない、シンプルな一本槍。柄は木で作られ、先端に短く魔術言語を記している。


「やるよ、雷帝真槍ケラウノス


 いつも通りの感触に呼び掛けるナギト。

 脅威は、すでに目前まで迫っていた。


「ふ――!」


 槍を振るい、迫りくる刃を落としていく、

 ナギトはアルクノメが逃げた森から反対方向に移動した。


 自分の仕事は、あくまでも彼女の囮だと。ハルピュイアを引きつけるために、来た道を戻っていく。

 敵の追撃は正確だった。ナギトの先を読み、道を塞ぐように羽根を撃ち込む。


「あれ!?」


 気付けば、逃げ場を塞がれていた。

 聞こえるのは空気が裂ける音。逃げ場を失った獲物へ、ハルピュイアが全速力で突っ込んできている。


 壁を登る時間はない、防ぐ手立てもありはしない。

 迎え撃つのが、唯一の手段。


「……」


 投擲の構えを取るナギト。

 緑を引き裂く爪は、一瞬の間で降ってきた。


 ハルピュイアの身体は至るところで光を放っている。恐らく防御を兼ねて、羽毛を硬化させているのだろう。普通の武器では貫けない。

 なら問題はなさそうだ。

 普通じゃ、ないんだから。


「ふ――!」


 槍が手を離れた直後、鳴り響くのは空が割れるような轟音。

 防御など許さない。かわすだけの時間もない。

 ただの一撃。攻防一体の状態にあったハルピュイアは、雷帝真槍ケラウノスの一撃によって吹き飛ばされた。


 本体が絶命したためか、ナギトを囲んでいた鉄の壁が変化する。サイズの大きすぎる、鳥の羽根に。

 無くなった障害、その向こうには。

 魔術の用意を整えた帝国兵が、ナギトを完全に包囲していた。


「よし、放――」


 て、と言葉は繋がらない。

 彼らの背後。帝国兵ではない何者かが、無防備な背中を一閃したのだ。

 予期せぬ反撃に抵抗しようとする帝国兵だが、相手の殺意に揺らぎはない。迷いなくトドメの一撃を下していく。


 彼らはあっと言う間に全滅した。……きっと最後まで、何故、という疑問が頭の中にはあったろう。ここは帝国の領内で、彼らに敵対する存在はいない筈だからだ。

 実際、


「余計なお世話だったかな?」


 笑みを零しながら現れた男は、帝国の重鎮である。

 背が高く、月夜に似合う銀髪を流した美丈夫だった。いま浮かべている笑みも、女性の好感を誘う気品で満ちている。

 周りで人が死んでいる場所では、そこまで絵にもならないが。


「クリティアスさん……」


「お疲れだ、ナギト君。姫は無事かね?」


「ええ、向こうの方にいますよ」


 そうか、とクリティアスは呟き、奇襲した部下たちを退かせる。帝国兵の遺体も一緒だ。


「これからも姫を守ってやってくれ。皇帝陛下の遺言のためにもね」


「……」


「くく、やはり複雑かな? 陛下の遺言――帝国を滅ぼしてくれというのは」


 心底楽しそうに笑うクリティアスへ、ナギトは曖昧な返事しか出来ない。

 私の国を滅ぼしてくれ――それは確かに、二人だけが聞いた皇帝の遺言だった。つまりはアルクノメの父親。娘の願いとは正反対の意思を、彼らナギトとクリティアスに託した。


「姫が生きていれば、まだ帝国は滅びることが出来る。革命の中で消化されなかった怒りを起こすことが出来る。くれぐれも、丁重に扱ってくれ」


「……本当にやるんですか? 帝国を滅ぼすなんて」


「ああ、もちろんだ」


 クリティアスは笑顔を消して答える。

 それは忠臣の一人として、鋼の意思で固まった顔付きだった。


「いつまでも一つの大国が存在するのは、人にとって有害でしかない。陛下もよく口にしていただろう? 国家が終わったところで、ようやく人間が始まると」


「でもアルクノメは、帝国に滅んで欲しいとは思ってませんよ。処刑を受け入れたのも、それが理由で――」


「だから?」


「……」


「彼女はまだ若く、あまりにも人間を知らない。君だってそれを知っているから、単身で救出を試みたのだろう?」


「それは――」


 返す言葉が見当らなかった、クリティアスの指摘は事実であり、彼女の危機を知ったナギトが抱いた感情でもある。


「姫にも良い勉強になるだろう。加えて私は、裏切られた人間の表情を見るのが好きでね」


「あくどいですね、言い訳なしに」


「性格でね、どうしようもないんだ。――ともかく、頼んだよ。君だって初恋の女性に死なれたくないだろう? 必然として受け入れたまえ」


「……」


 頷きもせず、ナギトは無言を選んでいた。

 もともと返答に興味はないのか、クリティアスは森の向こうへと消えていく。


 擦れ違いで聞こえる追跡者たちの声。状況はまだまだ、予断を許さないらしい。彼らが原因になった火の手も、着実に勢力を伸ばしている。

 アルクノメの元へ急ごう。

 先のことを考えるのは、安全を確保した後だ。

 

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