魔王の話

メルティ

1話 退屈な魔王様

フワリ、大きな口を開けて欠伸あくびをしたらじわりと涙が滲んだ。

ここは退屈で、それでいて平和な……


……ものとは程遠い空間だ。

全体的に黒くて広い、良く言えば綺麗で悪く言えば殺風景な部屋の中。

鎖で縛られた勇者はす術なく床に転がり、それでもなお勢いよく叫んだ。


「絶対にお前を殺してやる……!」

「…………」


明確でまっすぐな殺意を向けられる。

仕方ない、ぼくは魔王だからね。

玉座に深く座り、ぼくをにらむ幼い少年をジッと見下ろして観察しながらぼんやりと思う。

他に何をするでもない。


そんな彼の立派だったであろう防具は土や血で汚れて本来あった輝きはくすみ、武器は全て取り上げたから丸腰。

魔法は満足に使えない。

それでもぼくを殺そうとする彼の執念に呆れ、鼻で軽く笑い飛ばす。


「君は随分ずいぶんな自信家なんだね。

そんな状態で勝てると思ったんだ?

仲間はみんな死んだのに?

君一人でぼくを殺すの?」


ビクリ、小さく身体を震わせる。


__今、何て言った?


はっきりと彼の顔にそう書かれていたのを見て、わざとらしく言葉を続ける。


「あぁ、知らなかった?

……うん、でも当たり前か。

側近の人に任せて君はぼくと二人きりにしたんだったね」


__違うところに連れていかれた事までしか知らなかったのかぁ。


さっきまでの勢いと殺意はどこへやら。

目はこぼれ落ちそうな程に見開き、顔は蒼白そうはく

唇は小刻みに震えていた。

言葉では表し難いその表情は、ぼくがよく知っている感情もの


__絶望ぜつぼう


自分の道標みちしるべや生き甲斐がいが唐突に消え、自分の手には届かなくなってしまった時。

あるいは死に直面し、救いようがないのだと、それでも救いを求める時。

枯渇こかつする事無く溢れ出る不安に揉まれ、恐怖に飲み込まれ、そしてやがては無になっていく。


__何度も見た感情だ。

彼もまた、他の絶望に飲み込まれた人と同じように虚無感に耐えられず無になるのだろう。

ぼんやりと彼を眺めながら思った。


「なんで……そんな……こと……」


彼の口から、嗚咽おえつ混じりの絞り出してやっと出てきた言葉に呆れて鼻で笑ってしまう。


__『なんで』って……何を今さら。


玉座から立ち上がり、友達の揚げ足を取るような口調で言ってみせる。


「そんなの、決まってんじゃん」


玉座の前にある真っ赤な絨毯じゅうたんが彩る階段を下り、真っ黒い綺麗なタイルを歩き、すっかり顔をうつむかせてしまった彼の前で立ち止まる。

その場にしゃがみ、微笑み、口を開く。

小さい子にさとすように優しく、ゆっくりと、言い聞かせるように。


「世界を壊す為だよ。

それを邪魔者君らが妨害するからこうやって排除してるんでしょ。

それに君らもやってる事変わらないよ?

ぼくの大事な仲間魔物達殺してるじゃん。

両手両足の指じゃ数え切れないぐらいは余裕でね。

……それとも、自分達は特別なの?」


返事はない。

仲間の中に心底大事にしてる人でもいたのかな。


__でも、ぼくには一切関係ない。


「お別れの時間ってところかな。

このまま城の外に放っといてもいいんだけど、どのみち生きられないと思うんだよね。

それに、ちょっとの間でも孤独ひとりぼっちになるのは辛いと思うし。

だから魔王ぼくが特別に君の仲間のところあの世へ送ってあげるよ」


それなら寂しくはないでしょう?

答えは聞かない。

聞く気も最初からない。


剣をさやからスラリと抜く。

まるで外気に触れられた喜びに打ち震えているかのような涼しい音が辺りに響き渡り、少しずつ小さくなって溶けていく。

その音と、手首にかかる心地よい重み。

久々の感覚をゆっくりと楽しみたい気もするけど、そういう訳にはいかない。

息を一つ吐き出し、右腕を持ち上げて、まっすぐに振り下ろした。


ごとり。


首から上のいびつな球体が転がり落ち、彼の中を流れていた液体が断面から静かに外へと流れ出す。

支えるものが何も無い身体は重力に従って倒れた。

付着した液体を振り払う為に剣を左右に軽く振り、さやに収める。

手入れは後でするとしよう。

そんなすぐには錆びないはずだ、多分。


__疲れたなぁ。


ため息を一つ漏らす。

魔王とは言え、人殺しは苦手だ。

散った命に背を向け、玉座にぐったりと座った。


「お疲れさん、魔王様」

「そっちこそお疲れ様。

もう終わるなんて早いね、リリー?」


背後からの声に体制を変える事なく返事を返せば、全然驚いてくれないのな、と心底残念そうな声。

あの勇者の仲間を殺した、ぼくの側近のリリー・グラーノ、魔術師。

仲が良く、ぼくはリリーと呼んでいる。


「……すごく今さらだけど、随分ずいぶん勇者御一行あいつらに対してひどかったんじゃねーの?」


少しの沈黙の後、リリーがおもむろに口を開き、かわいそーだと気持ちの篭ってない同情の言葉を言う。

きっと視線は勇者に向けられているのだろう。

ぼくもそれを見ながら無感情に呟く。


「自分の名誉しか考えてない下心丸見えな勇者ヤツの為に死んでやる義理は無いよ。

こっちにも【理由】があるんだ、簡単に殺されたくないね」


彼は言った。

『殺してやる』と。

でも『世界を救う』とはたったの一言も言わなかった。

所詮は自己満足の為だったのだろう。

そんなものに殺されるのはごめんだ。


そこまでを要点を摘まみながらリリーに説明してやれば、呆れたと言わんばかりに玉座にもたれかかる。

そして自分の考えを呟いた。


「【名誉ではなく世界の為に】ってか。

理屈は分かったが、そんなヤツなかなかいないと思うぞ?」

「いないんなら仕方ない。

簡単な話、このまま世界を壊すよ。

魔王ぼくを殺せる勇者様は現れなかったんだから、仕方ないね」


淡々たんたんと返してみせれば、こだわる魔王様だとまた呆れられる。

それもわりと慣れたけれど。


「それにリリーだってあいつらは気に食わなかったみたいじゃん。

お互い様だよ」

「それを言ったらおしまいだっての。

つぅか、お前の理屈についていけなきゃ今頃ここにはいねーだろが」

「たしかにそうだね」


フッと微笑む。

彼は文句を言いながら、なんだかんだでいつも一緒にいてくれる。

心強い事この上ない優秀な側近話し相手だ。


「まぁそんな話はどうでもいい」

「ぼくらがしていた話はどうでもいい話だったんだね」


数秒の沈黙。

どうやらふざけてするような話ではないみたいだ。

リリーが深呼吸をする音が聞こえる。

彼が話すのを躊躇ためらうような話題はとても少ない。

でもって想像もしやすい。


「……お前は、このままで良いのか」


やっぱり。

ため息をつきながら振り向けば、リリーが普段の性格には不似合いな真面目な顔を隠さずに立っている。

彼にとっては重要な話だけど、ぼくからしてみればとてもめんどくさい。

無視してみても分かってんだろ、と拒否を認めてくれない。


世界を壊したとして、お前は後悔しねぇのかって話だよ」


何より目が怖い。

さっきの勇者の殺気より怖い。

が、怖気づくのもなんだかしゃくさわるのであえて軽く返す。


「……ま〜たその話?

一体何度目になるのさ、それ」


間が空いてしまったのは許していただきたいところ。

せめて視線からは逃げたくてさりげなく目を逸らしてみても効果がない。


__絶対何か刺さってるって痛い!

後頭部に刺さる何かを受け流しながら、言葉を続ける。


「前も言ったじゃん。

引き返しようが無いんだって。

……それに、ぼくが望んだ世界はこんな世界じゃない。

きっと夢を見過ぎたんだよ、ぼくは。

この世界には愛着のかけらも無い。

ケジメをつける為にやるんだ」


__こんな、薄汚れた世界なんて。


「……『後悔はしねぇのか』って聞いてんだけど?」

「無いってば。

それに、ぼくらはもう救う側じゃない」


あくまで世界を壊す側。

そうやって即答してみせれば、鋭い視線が和らぐ。

密かについた安堵あんどの息に重なるリリーの呆れたようなため息。

そうだったな、と納得の声を上げながらも、ちゃっかり玉座の肘掛け部分に腰を下ろす。

そこは座る場所じゃないと注意しようとしたけれど、そういえばコイツは昔からそういうやつだ。

めんどくさいし早々に諦めるが吉。

と思っていた時だった。


「……もし魔王お前を殺せる勇者様が現れた時は、俺もお供しますかね」


しみじみと古い思い出を語るような爆弾発言に、思わず眉間みけんにしわを寄せながらリリーを見る。


「そんな顔すんなって!

お前が自分で言ったんじゃん。

孤独ひとりぼっちは辛い』んだろ?」


正直驚いた。

居たんなら言えよどこから聞いてた。

と思ったけど、それよりも彼のお人好し具合に。

ニヤリと悪戯いたずらっぽく笑っているが、目は真剣そのもの。


「……リリーってさ、バカがつくぐらいにはお人好しだよね。

すっごく損してそう」


思わず笑れば、うるせぇ!なんて怒鳴り声が即座に飛んでくるあたり、リリーは短気なんだと思う。

少しねたような顔が余計に笑いを誘うが、これ以上笑うのは危険だ。

意地と根性で込み上げてくる笑いを抑えたところで、リリーが小さく呟いた。


「損とかしてねーし。

したとしてもただの自業自得だし。

俺がやりたいようにやってるだけだし。

……っていうか俺からしたらお前の方が絶対お人好しだからな!」


どうだか、とのんびり返せば腹立たしげに足をバタバタされる。

それに合わせて玉座がガタガタ揺れる。

やめろ酔う。

止めようとするが聞く耳持たず。


数分経ってようやく揺れが止まる。

落ち着いたのかな。

ふい、と見上げると目が合い、寂しげに彼の目の光が揺れ、何を言おうとしているのかを悟る。


「……なぁ、ク「名前で呼ぶのはやめてよ?

今のぼくに名前は無いし、必要ない。

名も無き魔王なんだから」


そして、あの日ぶりにつむがれようとしていた音を自ら遮った。

遮られたリリーは小さく目を見開き、唇をわずかに噛む。


「……悪い」

「分かればいいよ」


謝ってほしかった訳でも、怒った訳でも無いし。

ただのぼくの都合だから。

勝手に過去から逃げただけ。

思い出したくないだけ。


「それにしても、こうも平和じゃ退屈になるねぇ」

「現在進行形で平和を脅かしてる存在が言う台詞セリフかよそれ」

「ま〜たリリーはそんな事言って……

『それを言ったらおしまいだっての』」

「あ、おま、パクんじゃねぇ!」

「……暇だし、勇者様御一行の埋葬でもしてあげようか。

いつまでも床にあっちゃ汚れるし邪魔だしたたられそうだし。

リリー、手伝ってね?」

「無視すんじゃねーよ!」

「怒るとハゲるよ」

「マジか!?」


馬鹿正直に頭を押さえて頭髪を気にし出したリリーはやっぱりバカだ。

間違いない。

玉座から立ち、放置していた勇者を回収しながら玉座の肘掛けに座ったままの彼に振り向く。


「……根拠はない」

「お前……いい加減にしろ!

そろそろ怒んぞゴラ!」

「あはは、もう怒ってんじゃん!」


すぐ近くを通った魔物に声をかけ、床の汚れを掃除するよう頼んでから、勇者の仲間も回収しに部屋を出た。

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