マーブルな日

歌鳥

(全編)

   マーブルな日


「どの指?」

「どれでもいーよ」

 由佳里は笑顔でそう答えて、両手の指を全部、舞に差し出した。舞はすこし迷ってから、左手の小指を選んだ。

「こうして見ると、由佳里の指、細いよね」

「そうかなー? 藍音のが指細くない?」

「二人とも指、綺麗だよ。私は短いからかわいくない」

「舞はそこがいいんだよ。舞の指はちっちゃくて、みじかわいいっ!」

「や~めれ~。くっつかれたら塗れない~」

 舞は悲鳴をあげて、由佳里の抱擁を避けた。

 ――休み時間。体育祭が終わって、教室にはどことなくのんびりした雰囲気が漂っている。

 体育祭の応援で、ポスターカラーを使った。舞がお絵かき好きなのはクラスのみんなが知っていたから、みんなは余ったポスターカラーを舞のところに持ってきた。

 舞は喜んだけど、同時に困っていた。

「私、ポスカ使わない」

「使ってみれば? 普通に、絵の具といっしょに使えばいいんじゃん?」

「水彩とポスカ、ちょっと違うんだよ」

「どこが違うわけ?」

「んー」

 舞はしばらく考えてから、答えた。

「ポスカは、プラスチックっぽい。水彩は水っぽい」

 身振り手振りつきでそう説明されても、私にも由佳里にもよくわからない。

「よくわからないけど、水彩絵の具と一緒には使えないってわけね」

「そそ。ポスカどうしよう。せっかくもらったのに」

「なんかに使えばいいじゃん」

「なんかって?」

「んー、例えばえっと……ボディ・ペインティングとか」

「由佳里、言い出したんだから自分でモデルやってね」

 さすがにボディペイントは無理なので、ネイルで妥協することになった。

 いっぱい余っていた赤のポスターカラーを、舞は水で溶かずに直接筆にとった。眼鏡の奥で寄り目になって、小指の爪にそっと色を乗せる。

「……うまく乗らない」

 舞はちょっと手間取っていたけど、すぐにコツをつかんで、由佳里の爪を赤く色づけた。

 それは爪に色を“塗った”というより、絵の具を爪に“盛りつけた”みたいな感じだった。横から見ると、爪がぷっくりと盛り上がっているのがわかる。

「あははっ、これかわいーっ!」

 けど、由佳里はその“盛りつけ”が気に入ったらしい。

「やっぱ舞はこーいうの上手だよねー。さっすが舞! ネイリストかわいいっ!」

「やめれー。顔につくー」

 由佳里に抱きつかれた舞が、乾ききってないポスターカラーを避けながら抵抗する。

「えへへ~、なんか不思議だねー」

 舞の首にしがみついたまま、由佳里は自分の指に見とれている。

「自分の指じゃないみたいだよ。なんか、指だけ大人になった感じ?」

「そんな感じするね。爪長くないから、ちょっと変だけど」

「面白いなー。ね、藍音もやってもらいなよ」

「私はいいよ」

 確かに大人っぽいし綺麗だけど、ネイルとかメイクにはちょっと抵抗がある。

「そぉ? んじゃ、あたしもう一個やってもらお」

「ん」

 舞はこくんとうなずいて、隣の薬指に取りかかった。

「あ~なになに? 面白いことやってんじゃん!」

 教室の反対側から、亜久里さんが小走りにやってきた。

「ネイルじゃん! すっげー! 鶴城っちネイリストなん?」

「えへへへへ~、いいでしょー」

 由佳里が自慢げに胸を張る。べつに由佳里が自慢することじゃないんだけど。

「いいないいなー。鶴城っち、次あたしにもやってよ!」

「いいよ」

 舞があっさり安請け合いするから、私が口を出した。

「いいけど、時間ないんじゃない?」

 次の授業まで、もう二、三分しかない。由佳里の薬指は、ようやく半分まで塗られたところ。舞は別の色を準備していて、今度は二色にチャレンジするつもりらしい。

「ん~、あたし別に急いでねーし。次の休み時間とかでいーよ」

「じゃお昼休み、ご飯食べてからでいい?」

「オッケー! んじゃ昼休み、鶴城っち予約な!」

 嬉しそうにうなずいて、亜久里さんは舞の頭を手でぽんと叩いた。

 それから、

「……」

 変なニヤニヤ笑いで、私たち三人の顔を順番に見つめた。

「え、なに?」

「んふふふっ、べっつにぃ~」

 私の問いを含み笑いでかわすと、亜久里さんは自分の席に戻っていった。

「……変なの」

 亜久里さんの背中を見送りながら、由佳里がぽつんとつぶやいた。と、

「失敗」

「え、マジっ?」

 舞の意外なひとことで、由佳里はパニックを起こしかけた。

 見ると、由佳里の爪の上でも混乱が起きていた。緑と赤で塗り分けたはずが、境界線が崩れて、一部が混ざり合ってしまっている。

「ああ、乾かす時間なかったからね」

「なーんだ、失敗ってこれかぁ」

 由佳里はほっとした。

「いきなり失敗とか言うから、もっととんでもないことになってるかと思ったよ。爪が爆発するとか、腐って抜け落ちるとかしたのかと思った」

「どんな失敗なわけ? って言うか、怖いからやめて」

「ごめんね、由佳里ちゃん」

「へっ? なんで?」

 しゅんとして下を向いた舞を、由佳里がとぼけた顔でフォローした。

「こんなの、ぜんぜん失敗じゃないじゃん。ほら、こーいう模様だと思えばいいんだよ。なんだっけ、マー、マー……マーボー模様?」

「マーボーはお豆腐。模様はマーブル」

 舞が訂正する。由佳里のフォローで、すこし元気が出たみたいだった。

 ――その日、クラスでは空前のネイルブームが起こった。

 お昼休みの亜久里さんをきっかけに「私もやって」「私も」と、女子が舞のところに殺到した。舞一人では限界がきて、舞は筆とポスターカラーを開放した。

 帰りのホームルームの頃には、クラスの女子のほとんどが、爪に色をつけていた。

 先生に軽く叱られて、ネイルブームは一日で終わった。

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