アラサーになった野口さん。

 私の苗字は「野口」ではないのだが、小学生の頃、クラスの男子から「野口さん」と呼ばれていた。なぜそう呼ばれていたのかというと、「ちびまる子ちゃん」に出てくる登場キャラクター「野口さん」と、性格や仕草が似ていたからだ。

 陰が薄くて無口。グループに所属できず、群れをなして行動しない。誰かをこっそり観察しては、影でコソコソ独りで笑っている。その姿が、野口さんにそっくりだったのだ。

 小学3年生の頃についたあだ名ではあるが、中学に上がっても高校に上がっても、基本的な人格は「野口さん」のまま、アレヨアレヨ、あっという間にアラサーに突入してしまった。

 小学生の頃と比べたら、少しは性格が明るくなったと自覚しているのだが、群れることが苦手、人間観察が楽しい、人を笑っては「あーあ。しーらない。しーらない。」と言ってクックックックッと笑っている人となりが20年もの間、てんで変わっていないというのは我ながらショッキングに思う。


「ヘアケア、ネイル、ヘルスィー!……だってさ。クックックッ。」

「ウエンツ瑛士に似ている彼氏?ブーッ!似てない!クックックッ。」

「完璧主義のあの人、組織から煙たがられているな。クックックッ。」


「熟(こな)れた美人が初々しいブスに負けた!クックックッ。」

「この人東京にいるからモテないだけであって、地方に行ったらモテそう。クックック。」

「あーあ。良きかな良きかな。おもしろい、おもしろい。」


−−。


 10代、20代と「野口さん」のように生きてきたわけだが、30代も変わらずこのままの性格で過ごし続けていいのかと考えると、それはいけないような気がしている。人の輪から一歩ひいて誰かを観察するというのは、そこから吸収できるものがある(ような気がする)から楽しいのだが、同時に孤独だ。孤独がすべて悪いとは思っていない。実際その孤独さが気持ちよくて、豊かささえ感じていたのがこの20年間だった。ただ、孤独を快適に維持するためにはそれなりの気力体力が必要で、もう無理ッス、アラサーにはキツいッスというのが現時点での見解なのである。

 

 観察しているだけならラクなのだが、他者観察だけにとどまらないのが人間観察の厄介なところだ。「他人は自分を映す鏡」とはよく言ったもので、結局人間観察をした後はその鏡に写された自分が見えて、内省モードに突入して憂鬱な気分になるのである。ヘアケアもネイルもできていない自分、ウエンツ瑛士に似ていない夫(これは自分じゃないか)、何も完璧にできない自堕落な生活、美人でもなければ初々しさもない魅力のない顔面と肉体、東京でも地方でもモテたことのない非モテな人生、苦ッ苦ッ苦ッ……。あーあ、しーらない、しーらない。


 なんだかんだと書いたが、結局言いたいのは「このまま生きてたらずっと寂しいんだろうな」ということだ。友人がいないわけではないのだが、こんな性格のせいで常々孤独を感じて生きてきてしまった。他人を観察しないためにはどうしたらいいのだろうか。他人を観察してしまうのを辞めたら、私は孤独から解放されるのだろうか。そんなこと、誰も、しーらない、しーらない。クックック……。

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