第18話 キリスト教の救世主ムハンマド (後)

 十八世紀に入ると、人間の理性を重視する啓蒙思想が普及していく。神などの教えや伝統的権威に盲目的に従うのではなく、合理的・批判的精神に基づき、自分の頭で論理的に考えるべきとした。啓蒙思想の影響により、科学の時代が訪れる。産業革命は生産能力を飛躍的に増大させ、ダーウィンの進化論は聖書の言葉と相反した。


 そんな科学の時代。二十世紀初頭に、ローマ教皇庁が公式に認めた奇跡が発生する。ガブリエルが活動を再開したのか。話を吟味するとそうではないことがわかる。


 1916年の春、ポルトガルの一寒村ファティマで三人の子どもが、平和の天使と名乗る少年に遭遇する。天使は子ども達に祈りを教え、その成果があって一年後の五月十三日、子どもたちの前にイエスの母マリアらしき存在が現れる。


 マリアは毎月十三日に同じ場所に来るように言い、子ども達に啓示を授けた。啓示は秘密にされていたが、一番年下の子どもが母親にばらしてしまい、大勢の群衆が押し掛けるようになった。群衆にはマリアは見えなかったが、様々な奇跡を体験する。


 1917年9月。三万人の群衆の目の前で、太陽は輝きを失い、周囲は黄金色に輝き、空に卵形の物体が出現した。さらに、白い綿のようなものが空から降ってきたが、手にとると消えてしまった。

 10月には、雨の中、七万人の群衆が奇跡を見ようとおしかけていた。太陽が回転や降下をし、群衆の服が乾いた。天文台では太陽の異常行動は観測されていない。


 肝心の預言内容は三つ。

①回心しない者は地獄に堕ちる。特に肉欲の罪は重い。

②第一次世界大戦は間もなく終わるが、人々が悔い改めないなら、ピウス十一世の時代にまた大きな戦争が起きる。それを避ける具体的な方法は、ロシアを回心させることで、ヨーロッパに不気味な光が現れたらそれは近い。

③ファティマ第三の秘密と呼ばれる、1960年になるまで公開を禁じた内容。60年に内容を知ったローマ教皇は、絶句して公開を禁じた。それで1981年に、ファティマ第三の秘密を公開せよと、要求するハイジャック事件が起きた。2005年、バチカン(ローマ教皇庁)は重い腰を上げて、その秘密を公開した。1981年に起きた、教皇暗殺未遂のことだという。


 バチカンが正式に認め、オカルティストがUFO説を説く、ファティマの奇跡とは何だったのだろうか。

 平和の天使と名乗っていることから、この天使はガブリエルではない。彼ならガブリエルと堂々と名乗る。では、誰なのだ? 

 天使はガブリエルだけでなかったということを、思い出してもらいたい。イエスに付き添い、ガブリエルとともにイスラム教を起こすことを拒絶した二人の天使は、ローマ教会を中心にヨーロッパに留まり、ガブリエルとの対決を恐れて十字軍への協力を避け、しばらくなりを潜めていた。彼、もしくは彼らが、十三世紀のモンゴル帝国の隆盛や十四世紀のペスト流行の背後に、ガブリエルがいたと思ったとしてもおかしくはない。


 長い年月が経ち、ガブリエルが活動をしていないことに気づいてきた彼らは、少しずつ行動を起こしていく。十二世紀には聖ヒルデガルトに、「生ける光の影」を示したが、キリスト教に関する抽象的ビジョンや聖職者の腐敗に対する糾弾にとどめ、彼女に政治的な役割を与えなかった。

 十三世紀には、遊び人だったアッシジのフランチェスコに、教会を立て直すように啓示を授ける。彼は人格が変わってしまい、自己暗示により、聖痕(イエスと同じ箇所の傷)が現れたという。


 十五世紀の初め、天使は本格的な行動を起こす。当時、百年戦争によりフランスの運命はイギリスにより滅亡寸前となった。十三歳の農夫の娘、ジャンヌ・ダルクは庭で光を目撃し、聖ミカエルからフランスを救うように告げられる。少女ジャンヌは天使を味方にし、オルレアンは解放され、フランスの逆襲は始まった。だが、ジャンヌの活躍で、王位に就いたシャルル七世は、人気者となった彼女を見捨てた。ジャンヌは敵にとらえられ、火あぶりになった。


 ジャンヌ・ダルク本人は悲惨な最期を研げたが、彼女の活躍でフランスは救われた。その頃、イタリアではルネサンス運動が始まっていた。以後、ヨーロッパは活気に満ちていく。なんでも天使に結びつけるのもおかしいが、もしかして、中世暗黒時代とは、ガブリエルと決裂し、ヨーロッパに残った天使が、ガブリエルに遠慮して、活動を控えた時期なのかもしれない。十六世紀のオスマントルコの隆盛には、背後にガブリエルがいると、二人の天使が警戒した可能性が高い。


 ジャンヌ・ダルクから五百年後、天使はファティマにおいて大規模な啓示に挑む。その六十年前にルルドの泉で練習はしておいた。

 ジャンヌと同じ年頃の少女の前に聖母マリアの姿で出現し、泉の水を飲むように告げた。プラシーボ効果により、大勢の病人が癒された。ルルドで採取した水を、飲むと地獄に堕ちるとサタンに告げられた水だと言って、病人に飲ませて病気が治れば、はじめてルルドの奇跡と呼べる。


 ルルドの他にも、十六世紀頃から、カトリック公認の聖母出現がときおり見られるが、どれも規模が小さい。1973年から84年まで、日本の秋田にあるカトリック教会にも聖母が出現したという。天使の少なくとも一人は日本語を覚え、日本に滞在していた。


 聖母像が涙を流したり、写真に写らなかったりするのは、幻影投影と信者への啓示で解ける。涙の幻を描き、それだけでは永続性がないので、信者に自分の血や涙を塗りつけるよう指示する。聖母の出現箇所は、カトリックの普及地域か、カトリック教会ばかり。長い間面倒を見てきたので、愛着があるのだろう。


 三つのファティマ預言の意味すること。

①肉欲の罪が強調されたのは、ポルノなど当時の世相による。


②当時は第一次大戦終了直前で、予知能力がなくても終了は予想できる。回心しないなら第二次大戦が起き、回心するなら起きないなら、どちらに転んでもいい。預言通り第二次世界大戦はおきたが、ピウス十一世の死後だった。開始時期ははずれたが、天使は教皇の人選にも関わっていたのかもしれない。教皇の選出はコンクラーベという選挙によるもので、投票用紙を読み上げるとき、名前の幻を描けば、好きな人物を選び出せる。


 ②で言いたかったことは、ロシアが共産主義を選ぶならもう一度戦争が起きるぞという警告だ。ファテイマの予言が始まった1916年は、史上初めて社会主義国家が成立したロシア革命の前年にあたり、ロシア社会民主労働党が急激に勢力を拡大していた。

 断っておくが、この天使はガブリエルのように、世界情勢を影から操っていたわけではなく、今戦争が起きているから、回心しないともう一度戦争が起きますよと、戦争を引き合いに出して信仰を深めようとしていたのだ。


③第一次大戦の終結と、第二次大戦の予告をしたことから、第三の秘密は第三次世界大戦だと冷戦時代のオカルティストは考えていたが、それなら②に含めるはずだ。終末思想に慣れたキリスト教のトップが、第三次世界大戦ごときで動揺するはずはない。


 人類滅亡の預言なら、バチカンは回心することを呼びかけることができるので、喜んで公開するに違いない。では、戦争でないとしたら何なのだろう。バチカンが公表を控えたということは、人類にとって都合が悪いことではなく、バチカンにとって都合が悪いことである。バチカンへの改善要求に決まっているだろう。

 バチカンがそのことを守らないときには、教皇が暗殺されたり、世界中で災いが頻発する。そんなことを公表すれば、バチカンに対する世間の目は厳しくなる。だから、一部しか公表できないのだ。


 一番重要なのは、共産主義に対する警告だ。といっても、富の配分に口を出すつもりはなく、共産主義が神を認めないので、警告したのだ。そんな大事なことを何故、年端もいかぬ子どもに告げたかというと、視覚情報の補正が大きい大人では幻を認識できないからだ。


 群衆は太陽の異変を目撃したが、子どもたちには幼いイエスを抱えたヨセフも見えていた。この天使は、ガブリエルのように、大勢の人間に本物の海だと錯角させるような幻影を投影する能力がなかった。


 しかし、天使がいくら奇跡を示そうと、科学の時代は覆せない。ジャンヌ・ダルクの見た幻視は精神病とされ、証人が多いファティマの奇跡も集団幻覚とされる。今や、コンピュータ関連技術の進歩はすさまじく、インターネットを通し情報は一瞬のうちに世界中に伝わる。それでもガブリエルの残した三つの宗教は信者を増やし続け、今や三十億人に達する。まさに、産めよ、増えよ、世に満ちよである。


 ここまで天使が幽霊だという前提で書き進めてきたが、では幽霊とは一体、どういった存在なのだろう。古今東西、数え切れないほど目撃されていることから、少なくとも特定の時代地域における一時的な流説ではない。


 では、人間の脳が作り出した幻覚にすぎないのだろうか。

 それなら、どうして幻覚は、いつも一定の様式で出現するのだろう。人間の性本能に基づき、裸の幽霊くらいいてもいいのに必ず服を着ている。人間が目にする対象は人間だけでない。郵便ポストや自動車などの無機物、カラフルなデザイン、スナック菓子の幽霊なんて聞いたことがない。

 勉強ばかりで、ほとんど人と接することのない数学者でも、数式や図形の幽霊を見たりはしない。脳が作り出すのなら、特撮ヒーローやアニメのキャラを目撃したっておかしくないはずだ。幻覚として無数の対象が考えられるのに、実際に幻覚として目撃されるのは、服を着た半透明の不気味な人間ばかりなのはおかしくないだろうか。脳が作り出す幻覚の様式が一パターンになる仕組みを説明してもらいたい。


 宇宙が仮想現実のシュミレーション映像なら、幽霊がいたっておかしくない。操作するキャラクターの肉体を失ったが、視覚聴覚などは仮想現実空間に固定されたまま。死をもってシュミレーションゲームはゲームオーバーにならず、次のキャラクターが準備できるまで、肉体なしに仮想現実の中を彷徨わなければいけない。

 生命は不滅で、繰り返し生まれ変わるが、死んだ瞬間に、即生まれ変わるわけではなく、しばらく肉体を持たない状況で、この世にとどまる期間が幽霊ということになる。 


 宇宙は神と呼ばれる超知性体が、作り出した仮想現実。3Dシュミレーション映像のようなもの。個々の生物もそのシュミレーションの計算に参加している。この現実は、肉体が存在しようとしまいと、宇宙空間に意識がある全ての生命が見ている夢のようなもの。生命は身体に宿っているわけではなく、宇宙空間内に存在しない。


 生命は自ら考え、計算し感じる人工知能に感覚を備えたようなもの。仮想現実である宇宙空間内での身体が体験していることになっている感覚を信号として受け取り、自ら信号に合った刺激を発生させている。


 幽霊は肉体が無い状況で、意識がまだ宇宙空間内に設定されている。肉体はないが肉体のイメージだけはある。それが姿や声として宇宙空間内に投影される。肉体のある生物も自分の肉体のイメージを持っているが、肉体による制限があるので、人に翼が生えたり、永遠の若さを手にすることはない。種単位のイメージ変化が進化である。


 イスラム教のムハンマドの言行録ハディースによると、天使は光から造られたとされる。立体映像ホログラムは光を重ね合わせることで、あたかもそれがそこに存在しているかのように錯覚させる。空間に描きだされた立体の絵である。天使も似たような原理によって、白い衣を着た人間のような姿を、自分の身体として描き出しているのだろう。一般の幽霊はその能力が天使より劣るため、ぼんやりとした姿にしか表現できない。


 天使達は今どこでどうしているだろうか?

 まだエルサレムにいて、神に祈っているのか。自分達のしてきたことを、恥じているのか、誇っているのか、その両方なのか。輪廻の輪に参加し、普通の人間として暮らしているのか。神が造るのは宇宙と法則であって、神は宗教を造らない。宗教を造るのは、人間、もしくは死後の人間で天使を名乗る幽霊だ。神が造った宇宙と法則を解明するのが科学であって、科学者は真理の司祭でなければならない。


 それでも、筆者は宗教を全面的に否定するつもりはない。いにしえのインテリたちが精魂こめて産みだした思想の集合体だ。きっとその一部には真理の影響が含まれているに違いない。


 この世の中が神の造りだしたプログラムの計算結果なら、テレパシーだって虫の知らせだって引き寄せの法則だってありえる。3D空間で離れた場所に存在しても、プログラム・データ領域で他者のデータを読みとる、書きかえるなどができれば成り立つ。


 異端とされたグノーシス主義によると、人間は本来神と同質であり、この世は仮の姿にすぎない。この世、すなわち物質世界を本物だと思っている限り、苦悩は尽きず、本当は自分が神であることに気づくことで、苦悩から逃れられる。その気づきは霊界からのグノーシスによってもたらされる。


 自我によって、全体である神から分離した魂は、全体と協調することで、苦悩から解放されていく。そのとき愛というエネルギーが発生する。人体が血液を作っているように、神は愛を生産する。その工程に、宇宙という幻想が必要とされ、神から一時的に分離した私たち個々の魂は、それを現実だと信じ込んでいる。

 本作は、リグ・ヴェーダ、仏典、聖書、クルアーンからのグノーシスである。

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