2つの壁(実は3つなんだけれど)
さて、筆者がスイスイとエッセイを書き始めたことは前述しました。あまりにもスイスイだったので、自分でも怖い位でした。
しかし、すぐに2つの壁にぶち当たりました。
1つ目は技術面のこと。
2つ目は精神面のこと。
1つめの技術面は、エッセイは客観性を保つのが非常に難しいということです。これは精神面のことも含んでいます。
実体験を元にするために、文章に感情が乗り移ってしまうのです。前で書いた表現を使えば、ついつい熱がこもってしまうという事です。冷静に書いているつもりなのに、一日置いて冷めた目で見ると、例外なく余分な熱がこもっています。
筆者がそれをどうしたかというと、推敲に時間を置くようにしました。推敲といっても文章を磨くというよりも、ひたすら熱を冷ます作業です。
まず書く段階で、冷静を心がけます。次に3日ほど時間を置いて見直します。ここでは例外なく文章に手を入れることになります。結構まだ熱いです。
更に3日置いてから公開するのですが、そこでもう一度見直して、更に熱を冷まします。この時点でもまだホカホカです。
もちろん、冷ましすぎないようにする配慮も必要です。
こんなことをやるので、エッセイは恐ろしく手間と時間がかかるのです。
ただし、これは筆者のやり方に置いては、という事です。
2つめの精神面というのは、エッセイというのは、何を書いても必ず誰かを傷つけるものなので、いちいちその配慮と決心が必要になります。
最初の内は、誰も傷つけないように、核心を避けて通ることができますが、連載が続くと、絶対にその核心を避けられなくなります。
また、誰かを傷つけるのと同時に、自分が非難の対象にもなります。
ある程度人気が出るとてきめんです。最新話を公開したとたんに、誰かが必ず叩いてきます。ネット上でもそうですし、リアルな人間関係の中でもそれが起きます。
全く想像もしていなかった人たちからの非難、しかも曲解されたとしか思えない非難には驚くばかりです。ネット上の非難ならば見なければ良いだけですが、リアルな世界で起きてしまうと、見ないでやりすごすことはできません。
これをどうするかというと、前々話でも書いたように、もう踏ん切りしかありません。エッセイは人を傷つけるものだと、自分を納得させるしかないのです。
これがまた、大変な精神的負担となってきます。
プロの作家ならそれが職業であり、使命感でもあるから、乗り越えることができますが、素人にはそれがとても高い壁です。
これはもう少し突っ込んだ方が良い内容なので、次話で改めて書きます。
さて、2つの壁について書きましたが、実はもう一つの壁があります。
それは『カクヨム』という壁です。
エッセイを書き始めて、ある程度の時期にくると、『カクヨム』のシステム特性が、作品の進展を阻んできます。これは筆者だけでなく、誰にでも起きうることです。
これは長くなるので、次々話に書きます。
流行の『カクヨム』運営批判のように見えるかもしれませんが、そうではありません。
警鐘を鳴らすという意味で、敢て書かせていただきます。
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