放置村より愛をこめて

ダチヒロ

クラクラをやめた日々

 クラクラをやめてようやく私の日常は平穏を取り戻した。


 もう対戦のプレッシャーに悩まされない。

 戦況が気になって何度もトイレにこもり、同僚にはお腹が痛くてうんこが止まらないふりをしつつ、その実クラチャとLobiを行ったり来たりしたのは過去のこと。

 クラン運営? それこそくそくらえだ。


 今の私はクラクラのない生活を謳歌おうかしている。

 仕事に勤しみ、家族とふれあい、友と酒を酌み交わす。

 よく食べよく笑いよく眠る。

 ときどきセックスもする。

 これこそが人生! クラクラなんかなくたって人は生きていける。


 だがしかし、ならばなにゆえ私はまだクラクラを消せずにいるのか。

 私のiPhone 6s Plus(クラクラのために買い換えた大画面なスマホだ)の中にクラクラはまだひっそりと存在する。ホーム画面のいちばん後ろのページ、「Game」と名付けたフォルダの中に残っている。

 やめたのなら消してしまえばよかろうものを、私にはそれができない。


 あまつさえ、私はたまにクラクラを起動しさえするのだ。

 もうずっとクラチャが止まったままの放置クランで、私はちまちまとファーミングを続けている。一日一回インできれば御の字くらい、レゴ壁コンプはまだ遠く、遅々として進捗ダメですながらも我が村は成長している。


 そう、正直に言えば、私はクラクラをやめていない。

 対戦には出ない。練習なんかしない。クラン運営にも金輪際こんりんざいかかわらない。

 でもクラクラはやめられない。


 かつての私にとって、クラクラとはクラン対戦のことだった。

 対戦にしか興味がなくて、ファーミングはただの面倒事だった。

 トロ上げ?なにそれ?おいしいの?

 いかにしてクラメンたちと対戦を楽しむか、それだけが私のクラクラだった。

 そんな私が360度の宗旨変しゅうしがえして、ひとりさみしくご隠居ファーマーやってるんだから、わけがわからないよ。


 きっとこれは未練なんだろう。

 クラクラは、私の心のすみっこに小さなやけどを残したのだ。

 クラメンたちと熱狂したあの日々が、熾火おきびのようにくすぶっている。

 私はそれが消えてしまうのがこわくて、またクラクラを起動する。

 かさぶたをはがす子どもみたく、それが傷口を開く行為だと知っていてもなお。


 私はもう対戦漬けの日々には戻らない。それだけは間違いない。

 けれど、フレチャレならあるいは……と考えている自分がいるのもまた事実。

 もしフレチャレをやったなら、私はそれを楽しむはずだ。対戦っぽいプレイをお手軽にできるなんてとってもワンダフル。こんなのずっと待ってた!

 でもそれは私の傷をまたえぐるだろう。

 だって、フレチャレはしょせんフレチャレで、本当の対戦の代わりにはならないはずだから。


 こうして私は踏み出せずにいる。

 あの日々に戻れないことを悲しみたくなくて、私は放置クランに引きこもる。

 過去を過去として、美しい思い出として置いておくために、私はひとり壁を塗る。


 ところがだ。

 こんな私に差し伸べられた手があった。

 またもう一度と誘う声に、自分の気持ちが揺れるのを感じた。

 私はその手を取りたいと思っている。

 放置クランを抜け出して、彼らの元へ駆けつけたい。

 フレチャレでいいから、パチモンの対戦もどきでいいから、もう一度やりたい。


 あのころのようには楽しめないだろう。

 がっかりするのかもしれないな。

 そんですぐに放置クランへ戻ってたりね。

 でも、それでもいいや。


 私は一歩だけ踏み出してみようと思う。

 そうすることでなにかが変わるのか、結局なにも変わらないのか、どうなるかはわからないけど、とりあえず一歩だけ。差し伸べられた手を握って。


 やっぱりクラクラはやめられないよ。

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