第189話 誤報:ブログ主の祖先が推定される

ぼくのY染色体ハプログループは、O-F2868ですが、この二年間で研究が進み、それがOーL682に属していることはほぼ確実です。



検査結果がO-F2868だったのだから、O-F2868として扱ってくれといってますが、OーL682のつもりでいます。



O-L682というのは、日本人の男性の7%が所属し、それなりの大勢力なんですが、朝鮮で多いハプロだということがあり、あまり人気がありません。






しかし、今回、






有名人のハプログループ

http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/%E6%A6%82%E8%A6%81




で、O-L682の有名人が二人判明しました。






日本に橘(柑橘類/蜜柑)をもたらした忠臣・田道間守(Tajimamori)のY染色体は、

ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)であると推定される(注1)。

これは彼の子孫から得られたデータに基づく。

田道間守は、垂仁天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」、

すなわち現代で言うところの「橘(柑橘類)」を求める為に海外へ派遣された。

田道間守は、艱難辛苦の末にようやく「非時香菓」8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、

葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って帰国したが、垂仁天皇はその前年に崩御されてしまったこと知り、皇陵の御前に拝し、嘆き悲しんで殉死した。

田道間守の遠祖は、新羅の王子・天日槍命(Amenohiboko-no-mikoto)といわれる。






この日本にミカンをもってきたお菓子の神さまがO-L682であることがわかりました。これにより、垂仁天皇の頃からO-L682は日本にいた弥生系渡来人であることが判明しています。



そして、もう一人、有名人が判明しました。






南朝の忠臣で『太平記』の作者と言われる児島高徳(Takanori Kojima, 1312-1382)のY染色体は、

ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)である(注1)。これは彼の子孫ら複数名から得られたデータに基づく。




です。児島高徳の子孫とされる者は多く、三宅氏や宇喜多直家などが候補にあがっています。これは確定ではありませんが、可能性が高いということです。



ちゃんと戦国大名宇喜多直家がO-L682の武士として存在しているわけです。



そして、徳川譜代家臣の三河田原城主三宅氏、これがおそらく伝承通り、児島高徳の子孫で、O-L682なのでしょう。



ということは、三河にいる我が一族は、徳川譜代大名三宅氏の殿様の一族の子孫である可能性が高いということになります。






祖先がわかったのです!!!






ぼくは三河譜代家臣三宅氏の子孫だったのです。



それがY染色体ハプログループの研究から推測されます。





追記。


遠い親戚らしき人のブログ。


天日槍・田道間守・児島高徳・三宅太郎左衛門尉藤原芳高・私。

http://blogs.yahoo.co.jp/korealobby/14640642.html





追追記。






宇喜多直家は児島高徳の女系子孫らしく、O-L682ではないようです。残念です。




追追追記。



「有名人のハプログループ」からぼくの家系のデータが消失したため、うろ覚えな記録を書いておきます。


ぼくは、安兵衛の子、勘左衛門を初代として江戸時代にできた家系の一族で、二代目勘右エ門、三代目勘右エ門、四代目勘次郎の時に明治維新を迎えました。さらに、五代目勘士郎は株取引で成功して、六代目犬塚稔は、本田氏から入った婿養子であるため、ぼくはこの犬塚稔のY染色体ハプログループを継承しています。犬塚稔は、第二次大戦で招集され前線には行かなかったものの出兵しています。七代目当主がぼくの父、八代目当主がぼくの兄になります。


追追追追記。


まちがってました。「有名人のハプログループ」の人の善意だったのでしょうが、犬塚家というのは一筋縄ではいかないようです。犬塚家というのは、平良文の子孫とされていて、平氏の血筋だと一般的にはいわれています。しかし、これはどうでにも疑わしい。ぼくのY染色体ハプログループから、ぼくは田道間守の男系子孫であることはほぼ確定しています。

そして、田道間守の一族には、「太平記」の作者児島高徳がいます。そして、勝海舟の口述筆記の随筆「氷川清話」を読んだのですが、「南総里見八犬伝」の作者曲亭馬琴は、児島偆庵という医者の息子で、児島一族なのだそうです。そこから推測するに、犬塚家が主人公となる「南総里見八犬伝」は、平良文流の皇室系男児の物語ではなく、田道間守の子孫である別の犬塚家の一族なのだと思います。犬塚家には、平氏の子孫である犬塚家と、児島家の子孫である犬塚家と二つあるというのがぼくの推測です。ぼくは児島系の犬塚家であって、皇室系の犬塚家ではありません。



追追追追追記。


ブログ主の祖先については、いろいろ推測がありますが、研究機関と連絡がとれないので、確信がもてる情報ではなく、この記事も誤報とさせていただきます。


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