凶器な彼女

『ねえ、幸せって何?』

 目の前の女の子が真顔でそう聞いてきた時「ああ面倒臭い」僕は正直そう思った。

「君のくだらない話をこうして聞かされないだけで僕は幸せだよ」とこたえて、思い切り傷付けたくなるぐらいに「うざったい」という感情が僕を支配していた。

 そもそも、幸せが何かと真剣に考えられる環境ほど幸せなことはないということに気付けないその鈍い神経が、僕を余計に苛つかせる。

 幸せって何なのかを真剣に悩む不幸な自分を演じることに酔う、その様子はさほど幸せでない誰かが見たときに、酷く白けるものだ。


「さあ?」

 僕は曖昧にそう笑ってごまかす。早く時間が過ぎることを祈るのみだ。

 もっと優しくしてやることは簡単だけれど、それが女の子のためになるとは到底思えない。

 男がそういったくだらない質問にすら優しくこたえるのは、それなりに下心があるからだということすら、女の子は理解できていないのだ。

 仮に女の子をそうたしなめたところで『そんなことはない。あなたが優しくないだけ』の一点張りなのは目に見えている。

 幸せって何かというような自問自答は、思春期の有り余る時間の中で繰り返し消化し、忘れた頃に絶望の淵で再び繰り返す類のものだと僕は思うのだ。

 少なくとも、先程まで互いに名前すら知らなかった者同士が交わす会話に、相応しい内容だとは僕には思えない。


 最初から気がすすまなかったのだ。

 やはり何度頼まれても断るべきだった。

 僕がこうして不愉快なシチュエーションの中にいるのは、付き合っている彼女に頼まれたからだ。

『ねえ、少しだけでいいから会って相談にのってあげて』

 僕は全く気がすすまなかったので正直に断ったのだが、彼女がどうしてもと余りにしつこく、ついには怒り始めてしまったので渋々OKしたのだ。


 第一に、僕は相談事にのるのが好きではない。

 それなのに昔からやたらと相談される役まわりなのだ。

 相談を受けるのが好きか嫌いかで言えば嫌いなのだけれど、得意か苦手かで言えば恐らく得意なのだろう。

 だからと言って僕は、他人の相談にのれるほどもたいした人生を経験してきたわけでも、優れた人格を持っているわけでもない。

 どちらかと言えば相談を受けるよりも、側の冴えない人間だと思う。

 相談してくる相手というのは大体が既に「こたえ」を持っている。

 僕がやってるのはその「こたえ」を相手との会話から感じ取り、改めて僕の口から言葉にしてやるだけのことだ。

 本人が決めている道筋に添って、そっと背中を押してやるだけのことに過ぎない。


 殆どの場合、その「こたえ」はオーソドックスな正論であるが、たまに例外もある。

 だけどそれは、相手の話を注意深く聞けば簡単に判別がつくものだ。

 死にたくないのに『死にたい』と言う人に「やめときなよ」と言ってやり、別れるつもりがないのに『別れようかな』と言う人には「大丈夫だよ」と言ってやればいい、簡単なことだ。

 だからといって僕は、注意深く相手の悩みを聞くことはあっても、親身になって聞くことなんて殆どない。

 説教臭い例えも、自分に置き換えての諭しも、下手をすれば否定や無意味な意見の食い違いを生むだけで余計なのだ。

 そこには、僕の意見なんて一つもいらない。

 本当は、「そんなに死にたいなら一度死ねばいい」と思っていても、「そんな最悪な奴と一緒にいてもしょうがないだろさっさと別れちまえ」と思っていても、本音なんてものはそんな場面ではタブーなのだ。

 だから相談されるのは得意であったとしても、それは決して上手なわけではないし、相手のためにもなるべくならやめておくべきだと忠告したいぐらいだ。


 しかし、とにもかくにも僕は彼女の友達に会うことになった。

 大体が彼女の友達というのが僕にとっては、より気がすすまない。

 僕は男女に友情が成立するかという阿呆らしい問答には「するわけない。屁こいて寝とけ」と即答できるぐらいに有り得ないと考えている。

 どう考えても男子といる時間の方が楽しいのに、性的に興味がない女子と一緒に居るなんて苦痛でしかない。

 だからもはや、友情まで行き着く云々以前の問題であると言える。

 友情が芽生えるとしたら深く付き合った女子との間だけであり、それは愛情がより深く変化したものに過ぎない。

 どちらかと言うと、好きでもない異性というのは、僕にとっては不愉快なものなのだ。


 女子の殆どは、つまらない男の話を黙って聞いてあげているつもりになっているが、それは男だって同じなのである。

 女子のつまらない話なんてハナにつくばかりで、つまらない男のくだらない話よりさらにつまらない。

 それを微笑みながら相槌うっている男は、仕方なく我慢しているか、その相手と寝たいから我慢しているかのどちらかだと思う。

 そして彼女の友達というのは、最初っから性的な興味を失う設定の首位であり、同率首位に母親をあげておきたいぐらいに一言で表せば、「ない」相手だ。

 だから、彼女の友達に手を出すという行為は、僕には鬼畜の仕業としか思えない。

 そういう男は好みの女ならばきっと何だっていいのだろう。


「やっぱり行きたくないなあ」

 家を出る直前に僕が漏らすと、彼女が言う。

『あら、わたしの時は色々と真剣に話を聞いてくれたじゃない』

「それは君のことが好きだからだ」

『大丈夫よ。あの子、とても綺麗だからあなた気に入ると思うわ』

「そういう問題じゃない」

『いいじゃないの。あなたに話をしたら何故か胸がスッとするのよ。お願い、わたしのためだと思って会ってあげて』

 僕はもう、それ以上抵抗するのが面倒臭くなった。

 何を言っても無駄なのだ。


 指定された店に行くと、彼女の友達はまだ着ていなかった。

 僕がコーヒーを頼み、それを飲みながらタバコを一本吸い終わった頃にその女の子は到着した。

『はじめまして。あら、思っていたよりずっと普通の人ね』

 名前を告げるより先にそう言って女の子は鞄からタバコを取り出した。

 思っていたより普通って何なんだよ?と僕は思う。

 僕の彼女がこの女の子に、どういう風に僕という人間を伝えているかなんて知らないが、もし僕が奇抜に見えたら、『思っていた通りの変人ね』とでも言うつもりだったのだろうか?


 女の子のルックスは彼女に聞いていた以上、想像していた以上に端正で綺麗としか形容しがたい美しさだった。

 しかしながらほんの少し、一見してわからない程度の微量な配慮というものが、女の子には本質的に完全に欠けているように僕は感じた。

 そしてその一つ一つに大きな不快感はなくとも、一連の動きとしての女の子は僕を憂鬱にも似た不愉快な気分にさせる。

 哀しいかなきっと、外見の美しさがそれをより際立たせるのだ。

 僕はそんなことを考えながら、目の前の女の子をまじまじと眺める。

 確かに、美しい。動かなければ不愉快さのかけらもなく癒される。

 この子は写真やポスターの中にでも住めば、きっと誰もを幸せにできるだろう。だけど、女の子をこのような人格に育てた要因の多くは、この完璧なまでの美しさがもたらしたに違いない。


 身につけているものから、裕福さがうかがえる。

 女の子はきっと一生かかっても、自分が他人とは最初から立ち位置が違うことに気付けないし、誰もがそんなに余裕があるわけじゃないと理解できないだろう。

 むしろ『幸せが何か』なんて、こちらが教えてもらいたいくらいだ。

 僕はそのような事をぼんやり考えながら、女の子の話に歩調を合わせ相槌を繰り返していた。

 途中で『あたしは天然だから』とか『あたしは毒舌で思った事をハッキリ言うの』とかいう類の言葉が出て、それは尚更のこと、僕をげんなりとさせた。

 自分を天然と言うのも、毒舌だと言うのも、たいていは身勝手さでしかないからだ。

 自己分析の毒舌なんて、殆どが捻りのない「ただの悪口」で、我が儘な推測から繰り出す断定に過ぎない。

 僕はそういう女子が、申し訳ないけれども本当に苦手なのだ。


『ねえ、本当にちゃんと考えてる?』

 綺麗な顔をドキッとするくらいに近付けて女の子が言う。

「聞いてるよ」

 目の前に残った、微かな香水の匂いを感じながらこたえる。

『まあいいわ。すっきりしたから』

 そう言って立ち上がる女の子の後ろ姿を見て、僕は心底開放された気持ちになった。


『今日はありがとう。幸せなあなたにはわからないわよね。悩みなんてない、そう顔に書いてあるわ』

 別れ際にそう言うと、彼女は恐ろしく綺麗な笑顔を見せた。

「そうかな」

 その日、何度目になるかわからない曖昧な笑顔で、僕はそう返すのが精一杯だった。

 幸せが何なのか、世界中の不幸や恐怖や事件が何なのかを考える余裕もなく、僕は明日も目の前のモグラを叩いては焦って生きるだろう。

 少な過ぎる賃金や、安定しない仕事や、飽きてもやめられない競馬や、いつまで続くかわからない彼女との何もない日々を・・・。


 無神経な美女という存在は、時に凶器にも匹敵すると僕は思うのだ。

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