或る夜のありがちな晩餐
その夜、僕は家族と食事に出かけた。その日は僕の誕生日だった。
その時間を過ぎてしまえば再び何の接点もなくなる人たちと何故わざわざ外で一緒に食事をする必要があるのだろうか?
人はそのこたえを決まって「家族だから」という言葉で簡潔にすませようとする。
先ほどまで一緒に居た彼女はささやかに誕生日を祝ってくれたが、僕が家族が待っているから帰ると告げると、引き止めてくれるかと思っていた僕に『そういうのって、羨ましいわ』とそう言った。
それが本心なのかどうなのか僕にはわからなかった。
僕と父と母。最小単位でも気が進まないが、そこに親戚などが加わると僕はもう逃げ出したいほどに気分が悪くなる。だから誕生日はまだましな方なのだ。盆や正月、最悪なのは結婚式や葬式だ。
こういう気持ちになったのはいつからだろうと僕は考えるが思い出せない。幼い頃には確かに両親とこうして外食したりするのを望んでいた気がする。親戚と会うのも式に出席するのもちょっとしたイベントとしてそれなりに楽しめていたような気もする。
僕は正直、そのように今では全然気が進まないくせに、いつでも両親に悪い印象は与えまいと取り繕って生きてきた。
食事中、何一つ面白さを感じない彼らの会話に、僕は積極的ではないにしろ相手が同意を求めているならば相槌を打ち、否定を求めているのなら首を振り、そのどちらでもなければ何か突拍子もないオチをつけたりして気の利いた風な笑いを誘ってみたりする。
彼らはそんな時、大袈裟に感じるぐらい楽しそうに笑うが、発言した僕はますます何が可笑しいのかわからずに困惑してしまう。
不愉快とはこういうことかとぼんやりと思う。
全てに無理が生じて歪んでいるように感じる。
そしてそのことに対して深く自己嫌悪を感じるのだ。
二人とも心から楽しいと思ってそうしているのだ。これが正しい在り方なんだ。きっとこの人たちを哀しませずに繋ぎとめるのが僕の役割で生まれてきた理由なんだと。
いつものことだ。いつものことだけれど、それにしてもその日は特別に不快な食事だった。
不思議な事に傍から見ればこの様子は「素敵な家族ね」ってことになるらしい。先ほどの彼女の台詞もそこに重なるものだ。
それは実は僕にとっては口から出任せを言ったようにしか聞こえない白々しい台詞だったが、僕も、彼らも、そして彼女を含む世間自体が、そこを拠り所にして成立しているようにも思わせる。
本当は口から出任せではなく、そう言わなくてはならなくて言っているだけの言葉なのかも知れない。
お互いに何も知らないくせに、知っているつもりで過ごしている関係。
実存していない現実。そんな言葉がピッタリ当て嵌まるように思う。
それは命につきまとう実存している故の喪失とは正反対の部分に位置している概念なのかも知れない。
他人との関係には喪失しかないのに、家族との関係には幻影という名の最初から失くしている喪失がある。
僕がそんな理屈っぽいことを考えてしまうのは決まってこんな趣旨の食事会をした後だ。
友達といるときにも、彼女といるときにも感じることのない鬱蒼とした空気がそこには在り、その空気の重量感だけが僕にそんなことを考えさせるのだ。
実存や現実や喪失や概念や、そんなものは学校や恋愛になに一つ必要なかった。もっといえば生活自体に必要がなく、邪魔にしかならないものだ。
例えばそんなことを素直に友人や恋人に口にすれば皆は僕を気味悪がり、僕から離れていくだろうと思った。当然だ。僕自身がその思考を気味悪く思うのだから。
だけど互いに得体の知れない存在でいながら、どこかで血は繋がっているというだけで親密に寄り集まる家族と呼ばれる集団の中では、僕はいつもそれを強く感じざるを得なかった。
よく考えてみると、僕と母、僕と父とは違い、母と父の関係は血すら繋がっていない。
僕は食事をしながらその日学校の授業で見た古い映画を思い出した。 チャップリンという喜劇俳優が出ているその無声の白黒映画は、ただ工場の中で同じ作業を繰り返すといった喜劇と呼ぶには面白くもなんともない話だった。きっと、あの比喩は繰り返しの中の現代人の哀しみといったありがちなアンチテーゼなどではなく、意味のない世界を意味ありげに繋げているのは、誰もが疑問を抱えながらも意識的に正しいと信じて疑わないことで成立する部品工場の強制的な作業の一つ一つなのだ。家族という工場で、僕らはそれぞれに与えられた役割を演じるといった作業をしているのではないか、そんな風にぼんやり考えていた。
あの工場の人々は、自分が生産しているものが例えば原子爆弾の部品で、それがいつか自分の身を滅ぼす運命なのだとしても、それには絶対に気付けないのだ。意識的に気付かないのだ。
僕はこれ以上思考すると触れる必要のない核心に触れてしまいそうで何だかゾっとした。そして思考をやめて目の前の美味いのか不味いのかすらわからない食事に集中した。
本当はそこにいる全員が気付いているのに知らないフリをしているだけなのか、本当に誰もそんな疑問を持たないのか僕にはわからなかった。
誰もそれには気付かないでいて、その代わりに実存しない団欒の幻が膜のように覆っているような気がしていた。
父が言う。
「よし、明日からはお前らの為にもっともっと働いて、これからもこんな日ぐらいはいいもん食べれるように稼ぐからな」
僕は思う。
お前らのためという言葉は自分を肯定するための逃げにしか聞こえないし、子供というのはむしろ親が辛いとき一緒に闘いたいのに闘えないことが歯痒いんだよ。子供を過ごして大人になったくせにそんなことも気付けないの?そんなに恵まれていたの?だから出世もできないんだよ。
母が言う。
『でも、頑張りすぎて過労死しないでね、パパ』
僕は思う。
とっくに愛情がさめているくせに。機嫌の悪いときにはパパと別れたいだとか、本当は好きじゃないだとか、ぼやいた自分は泣いてその場で終わりみたいだけれど、それを聞かされた子供が、永遠に傷つくということに気付けないの?そんなにヒロインでいたいの?だから浮気されるんだよ。
僕が言う。
「過労死した方が沢山の保険金とか入って稼ぎが多かったりして」
僕はただその場を取り繕うためだけに吐いた、フィルターを通さないままの自分の言葉にぎょっとする。言葉通り過労死した方が稼ぎが多いとすれば、父の頑張りって一体何なのだろう。
そしていつか僕は同じような家族を持ち、同じような輪廻にさらされるのだろうか。
そしてみんなで声をあげて笑う。
信頼とか愛とか呼ばれる名の、そこにあるはずの奇妙な絆のもとで家族が笑う。
しかし、僕が家庭と呼ばれるものを築き、新しい家族を持つことはなかった。僕はその後、直ぐに交通事故で植物人間となったからだ。
最初、僕は死んで幽霊になったのだと思った。幽霊になって現世を感じているのだと。
だけど次第に僕は僕の置かれた状況を把握した。僕は植物人間として今も生きている。
医者も把握していないようだが、植物人間といっても、僕の場合は心臓だけではなく耳と脳も規則正しく生きていたのだ。
今までと違うのは、自由に動くことや何かを見ることができないということで、本当なら人はこういう状態でこそ心から死にたいと思うものなのかも知れないけれど、僕はこの状況もそんなに悪くないもんだと本心で思っていた。
神様ってこういう姿なのかも知れないと思ったりした。
自由に生きているときみたいに、いちいち人の心を探らなくても、みんな動かない僕を前にして何かを懺悔して帰っていった。心の内のドス黒い何かを吐き出して帰っていった。
最初のうちこそ困惑したものの、次第に僕はそうやって人が何かを抱えて生きていることに安心した。
僕だけがアレコレ考えて何かを間違えているわけではないのだ。
この前、見舞いに来た僕の彼女だった筈の女は、泣きながら何度も「ごめんね」を繰り返し、本当は別の彼がいてあなたの分までその人と幸せになるわと言った。そうして告白することで、何故か罪は償えたかのようにすがすがしく帰っていった。
その後で来た両親は動かない僕の前で別れ話をした。いくら意識はないという仮定のもとでも、子供の前でそんな話をするのはちょっとどうかと複雑だったが、それでこそ僕の家族だとも思った。
『この子が自立するまではってずっと我慢してきたけど、もうその必要もないわね。全部壊れてしまったのよ』
そう切り出す母に「壊れてしまったのではなく、最初からそんなもの存在しなかったんだよ」と僕は言ってみたが、植物人間の心の声が聞こえるはずもなかった。もっとも、ちゃんと声にしたところで彼女には本当の意味でその言葉が伝わるはずもないのだが。
「そうだな。遅かれ早かれこうなるのはわかっていたことだ。俺もお前もこの子の前でいい親を演じるのに疲れ切っていたけど、もうそれも終わりだな」
僕はいい親を演じていたつもりの二人に思わず失笑してしまった。それなりに何かを考えてはいるのだけれどそれは的外れでとても滑稽な演劇だったと思う。
何せ、二人は結局「この子のために」という合言葉に酔っているだけで、それは結局のところ自分のことしか考えておらず、自分のためだと認めない手段に過ぎないことに気付いていないのだから。
『明日安楽死をさせたら養育費の問題も発生しないし、この子には悪いけれど、私たちにはこれが一番良かったのかも知れないわ』
信じ難いほどに自己中心的で醜い本音を最後に聞けて、僕は安心してあの世へ行けそうだと思った。
僕は二人がただの形式ではなく、心から結び合ってくれていればそれが何より僕のためだったのだと思う。僕が喜びそうな機嫌取りや、少しも楽しくない団欒など欲しくはなかった。貧乏だとか他の家族との比較なんて何の問題でもなかった。
そんな簡単なことですら、実存しない形式美が難しくさせる。
眠りに堕ちる頃、僕はまだ幼い頃に親子三人で笑いあいながら外食をしているシーンを思い出した。その切り取られた記憶の断片の中の家族は、決して形式美などではなく、一つの生命として終着点であるかのような完璧な形だった。
そこで終着してしまった完璧なものを僕らは守りきれなかったのだ。
すっかり忘れていたが、あの夜、父と母は夜中に大喧嘩をしていた。幼かったので何を言ってるのか言葉の意味はわからなくても子供心にお互いに心から相手を罵っているであろうことだけは理解できた。
そのことを二人とも僕には黙っていたが、本当は先に眠っていた僕はその声で目覚め、とても怖くて眠ったままのフリをしただけなのだ。
それから何年かに渡り父があまり家に帰らなくなり、母がそれを愚痴るようになり、僕は家族で外食に行くのを嫌うようになった。父が戻った後で、まるで何事もなかったかのように再構成されていった筈のそれはもう出発点にも戻れないような醜い形だった。
涙腺の辺りがムズムズするが、これは気のせいだろう。僕の涙はもう出るはずもないのだ。
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