思い上がりも程々に

涙墨りぜ

思い上がりも程々に

 キャバの仕事から戻ったら、マンションの部屋の前に座り込んでる賢吾がいた。

「うっわ、最悪」

 空になったカップ酒を横に置いてうつらうつらしている様子を見るに、しばらく前から私を待っていたらしい。

 私はドアに歩み寄り、パンプスを履いた爪先でちょんちょんと賢吾をつついた。ゆっくりと目を開けた賢吾は、三角座りの体勢から私を見上げ、白い息を吐いた。

「……寒いからはやく入れろ」

「お引き取りください」

「そりゃねーだろ、おわり」

 おわり、というのは私の名だ。

「呼び捨てにしないで。ていうか下の名前で呼ばないで」

「何怒ってんのお前……。俺なんかしたか?」

 気だるげでぼそぼそとした喋り方は変わらないまま、賢吾は濁った三白眼で不服そうに私を睨んだ。

「お前って呼ぶな。……あんたとはもう別れたじゃん」

「……そうだっけ」

「そうだっけって……」

 あのとき酔ってたからなぁこいつ。そう、酔っ払って喧嘩して帰ってきて、傷の手当してやってる私に八つ当たりで嫌味なんか言うもんだから、口論になって別れたのだ。

 思い出しただけで腹が立って、どうせだからもう一言くらい言ってやろうと口を開きかけたそのとき、賢吾がのそりと立ち上がった。

「お前がそう言うんならそうなんだろ。俺らは別れた。……帰るわ」

 足元のカップ酒(空)を拾って、すたすたと歩いていく賢吾。

「え、ちょ、いいワケ? そんなあっさり……」

「しょうがねーじゃん。……邪魔して悪かったな、希望ヶ丘」

 去っていく背中はいつもと変わらない、ひどい猫背。ただでさえ低い背をさらに低くした賢吾は、最後に私を苗字で呼んで行ってしまった。




 その二週間後。

 私はボロいアパートの、『沢足さわたり』と表札のかかった部屋の前に座り込んでいた。

 十二月の明け方……うん、クソ寒い。座ったお尻も、爪先の感覚もなくなりかけて、私はため息をついた。

 スマホで仕事用のブログを更新して、ちょうど投稿ボタンを押したとき、私の目の前に人が立った。

「……何してんのお前」

 ぼそり、声が降ってくる。目のとこにでっかい青アザをつくった賢吾が、ポケットに手を突っ込んで私を見下ろしていた。

「別に」

「別に、じゃねーだろ。俺の部屋の前で凍死とかされると迷惑なんだけど」

「じゃあ入れてよ」

 いつも半開きみたいな賢吾の目が少しだけ大きくなって、また戻る。

「俺ら別れたんだろ、希望ヶ丘サン」

「うん」

「他人を部屋に入れる義理はねぇな」

「じゃあもっかい付き合お」

 賢吾の目がさっきより大きく開いた。そのままその目は戻らず、代わりに眉が寄った。

「ばっ……お前、お前何言ってんの」

「新しい彼女もうできたの」

「いや、いねーけど」

「じゃあいいじゃん」

 賢吾はがしがしと頭を掻きながら、何やら唇を結んだり緩めたりしている。まぶたは元に戻り、眉間のシワは濃くなった。

「そういう問題じゃ……ねーだろ……」

「何よどうせまんざらでもないんでしょ。ホラ、早く入れてよ寒い」

 凍死したらどうすんの、と私が口をとがらせると、賢吾はやっと部屋の鍵を取り出した。

「畜生、わーったよ。カギ開けるからどいてろ」



「こたつだ、こたつ」

「毎回はしゃぐなよ……ガキかお前」

「いいじゃんうちにないんだし」

 散らかった部屋の真ん中に鎮座するこたつに潜り込むと、勝手に電源を入れる私。賢吾は床に置かれていたコンビニの袋からカルパスを取り出すと、私に勧めた。

「いまビール出すわ」

「サンキュー」

 冷蔵庫から出した二本のビールを机に置くと、賢吾はあくび混じりに新聞を広げる。

「なんだ、もうすぐアレか」

「ん?」

「クリスマス」

「あー、明後日イブだね」

 まあ仕事なんですけど。今年は客、どれくらい来るかなあ……飲まされるんだろうな……。

「なあ」

「ん」

「お前今日休み?」

「休み」

 こたつのあたたかさにほっとしたからか、私はビールの缶も開けずに突っ伏していた。賢吾も特に酒が飲みたかったわけではないらしく、読み終わった新聞を置いても手を付けようとはしない。

「じゃあさ」

「うん」

 その先を、賢吾はなかなか言わなかった。顔を上げて賢吾の表情をうかがうと、じっとこちらを見るジト目とぶつかった。

「夜景、見に行かねーか」

「はい?」

 どうした急に。夜景? そんなキャラじゃないでしょあんた。

「……イブだクリスマスだなんてどうせ仕事だろ。だから」

「いや、そうじゃなくて……何、ロマンチックな一足早いクリスマスを演出する系彼氏?」

 真剣に戸惑うわ。喧嘩で頭ぶん殴られてなんか変なスイッチ入ったんじゃないの。

「ちげーよなんとなくだよ」

 私の顔から目をそらし、耳まで真っ赤になる賢吾。それでいて表情は苦虫を噛み潰したような、って感じ。

「勘違いすんな。……お前の方が綺麗だとかそんなセリフは言わねえし、おしゃれなレストラン奢ったり高級ホテル予約してあったりなんかしねえし給料三ヶ月分の指輪なんか絶対あるわけねえ」

 ぼそぼそとした喋り方。それでも、いつもよりは声を張っているあたり、相当ばつが悪いらしい。そして、若干早口で弁解のような文句を言い終えると、再び私に視線を戻した。

「あー……なんだ。それでもいいなら、ただ夜景を見に行こう……って……そんだけだよ」

「ふふ」

「何だよ」

「いいよ、行こ」

「ふん」

 くすくすと笑っている私をひと睨みすると、賢吾は床から漫画雑誌を拾い上げる。そして向かいに座る私に背を向ける形で寝そべり、パラパラとめくり始めた。私は視界から消えた賢吾に問いかけた。

「ね、やっぱヨリ戻せてまんざらでもなかったんだ?」

 実は、こういうことはこれで五回目だ。毎回私が振って、また戻ってくる。賢吾は最初こそ嫌な顔をするが、わりとあっさりやり直してくれる。

 相手の顔が見えない、沈黙の数秒。やがて、体勢は変えないまま賢吾がぼそりと言った。

「お前しかいねーんだよ、おわり」

 私の口の端が吊り上がる。きっといま、賢吾のそばかすの浮いた顔は真っ赤なんだろうな。

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思い上がりも程々に 涙墨りぜ @dokuraz

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