最低条件
@143
第1話 事故
西原優衣(25)は慌しく家の玄関を出て仕事場に向かう。
昔どこかで聞いた、感情は形にして表現できないのなら思っていないのと同じだと。でも、一体どれ位の人が自分の感じている事を正確に言葉に、形として表せているのだろう。そして私にとってそれは、自分への解放になるのだろうか。
途中、人気の無い、信号の無い横断歩道を渡ろうとした時スピード違反の車に撥ねられる。
怪我を負い動かない優衣を見て、加害者はそのまま車で逃げた。
その後すぐに中年女性が通りかかり、倒れた優衣を発見する。
「えっ、ちょっとあなた大丈夫!?
今救急車呼ぶからね!」
大学病院のベッドの上で優衣はゆっくり目を覚ます。
看護士「目が覚めましたね、此処は病院です。覚えていますか?お名前は?」
優衣は答えず体を動かそうとするが重くて出来ない。
そして直ぐに右手の確認をする、左手には包帯が巻かれているが、右手は無事だ。
看「お名前は?話せますか?」
優衣はゆっくり右手を自分の喉にあてる。
看「今先生呼んできますね。」
少しして医者の田中敦子(32)と研修医の竹下誠(27)が現れる。
「担当の田中です。話せますか?」
優衣はゆっくり首を振り少し右手を上げると、竹下が直ぐに気付きメモとペンを渡した。優衣は名前と失声症と記し、耳は問題ない事をジェスチャーで示した。敦子は持病である事を優衣に確認して傷の具合を説明した。
「頭や手等は軽症です、ただ腸骨を少し強く強く打っているのでしばらく入院が必要になります。詳しい事は検査次第ですが。」
説明の間中、竹下は優衣をじっと見つめる。説明の後、彼らは立去り優衣は麻酔
の残りで布団を被って眠りにつく。すると竹下が一人で現れた。
「西原さん。」
優衣は布団から顔を覗かせる。
竹下は一瞬見て斜め下を見ながら続ける。
「あの、年、一個違いです。」
優衣は一瞬ポカンとして、指で二十六と
尋ねると、彼もうなずいた。
「それで、僕も八月生まれです。」
優衣はもうどうしていいか分からないま
まうなずく。
「…それだけです。」
竹下が去った後、優衣は不思議そうにし
てまた眠りに戻った。
まだ早朝に病院のベッドで寝ている優衣に竹下が声をかける。
「西原さん、おはようございます。ちょっっと腸骨の傷を見せてください。」
急に目を覚ます優衣。が、すぐに平静を
装いゆっくりうなずく。竹下は手当ての
準備をしている。出来るだけ見せる部分を少なくして下のパジャマをずらす。気まずい空気が流れる中、無言で治療が終わると優衣が帯 用のホワイトボードを見せる。
(外に出てもいいですか?)
竹下は考え込んむ。
「ちょっと、まだそんなに歩かない方がいいので…お昼の検査が終わったら車椅子で敷地を案内できます。」
優衣はうなずく。竹下は優衣をじっと見
た後、うつむいて言う。
「じゃあ、また後で呼びに来ます。」
外の病院敷地内
優衣は竹下に車椅子で押されて、膝には
ホワイトボードを置いている。ベンチで
止まりファイルを取りだす。
「えー、いくつか質問しないといけないんですけど、まず以前入院したことはありますか?宗教は入られてますか?ご家族に癌になられた方はいますか?」
優衣は最後の質問にだけうなずき、書く。
(父が肝臓癌で亡くなりました。)
「いくつで亡くなられました?」
(たぶん75位)
竹下は真剣な顔で尋ねる。
「父が?」
優衣はうなずく。
「父の、父が?」
祖父ではなくて?と遠回しに確認しているのがおかしくなって一瞬優衣は噴出しそうになるのを必死でこらえて平静を装おうとする。震 える手でボードに書く。
優衣(父親です。でも、そうですよね)
竹下は少し恥かしそうに笑う。
その時救急ヘリが病院の屋上から飛び立
つのが見えた。
(先生はヘリには乗らないんですか?)
「いえ、僕は。乗りたいんですけどね。」
優衣は少し首を傾げる。
「だって、かっこいいじゃないですか。」
優衣は今度こそ噴出してしまう。
優衣がくすくす笑うのを見て竹下も笑い、
穏やかな時間が流れる。
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