第1話 樹木の王

 もう、ここにこれ以上いられない。

 きっと生まれる場所と時間を間違えた。

 あるいは生まれる種族を間違えた。

 森の奥に、例えば木として生まれついたなら、

 こんな生きていけないような虚しさを味わうことはなかっただろう。



 少年は鬱蒼とした森の中を走っている。

 なぜこんなことになってしまったのかと、とりとめもなく考えている。

 自分が唇を噛んで、涙をこらえるようにしていることにも気づかずに。

 少年は事の始まりを思い返していた。


 少年の暮らす小さな町で小さな事件が起きた。

 始めはなんてことはないよくあることだった。

 一つの家族が町に引っ越してきた。

 その家族には小さい女の子がいた。

 その女の子はおとなしい子で、自分のことを上手く話せなかった。

 それを利用して町の悪ガキが根も葉もない噂を口にした。


「あいつはきたない」

「近づかない方がいいぞ」


 悪ガキ達がわざとらしくその子を避ける。

 ここまではよくある話。

 けれど、話はここで終わらなかった。

 悪ガキ達が町中の女の子と仲良くする子供を巻き込むようになった。


「あ~あ、あいつにもきたないのがうつったぞ」

「こっちにくんな」


 その子と話さなければ、そんなことは言われない。

 誰もそんなこと言われたくないから、誰もがその子を避けた。

 けれど、少年はそれを笑い飛ばした。


「そんなこと、あるわけがない」


 少年以外には誰もその子に近づかないから、少年はいつも彼女と一緒にいた。

 小さい女の子を一人にしないように。

 騎士にでもなったつもりで守っていた。

 たぶんそれが間違いだった。

 ある日、状況が反転した。

 いつものように女の子のところに行くと、例の悪ガキ達が女の子を取り巻いていた。

 助けようと思った、いつものように。

 悪ガキのリーダーは少年に気がつくと、女の子をかばうように少年の前に立った。

 ニヤニヤ笑いを浮かべ、勝ち誇るように宣言した。


「こいつはもうおまえといるのはいやだとさ」


 悪ガキのリーダーが女の子の手を引いていく。

 女の子はうつむいて引かれるまま去っていく。

 裏切られたとは思わなかった。

 仕方がない。

 女の子が一人で悪ガキ達に抗えるはずがないのだから。

 それより、悪ガキ達が女の子の手を取った。

 「きたない」と言っていた女の子の手を。

 彼らが自ら手を取ったのならば、他の子達が彼女に話しかけても問題はないだろう。

 仲間はずれが終わったのなら喜ばしいことだ。

 それが女の子を自分から引き離すためであったとしても。

 もし、また仲間はずれにされていたら助けに行けばいい。

 自分は彼女が来る前に戻るだけ。

 そう思っていた。

 けれど、そうではなかった。

 少年はその事態を上手く飲み込めなかった。

 少年は以前友達とよく遊んでいた、女の子が来てからずっと行っていなかった遊び場に行った。

 前と変わらずみんなはそこで遊んでいた。

 少年は仲間に入れてもらおうと近づいていく。

 一人が気付いて動きを止める。

 みんながそれに倣う。

 少年も彼らのずっと手前で立ち止まる。

 友達との間に何か隔たりを感じる。

 戸惑いつつも少年が口を開きかけた時、町の鐘が鳴った。


「あ、もうこんな時間か。用事があるから帰るな」


 一人がそんなことを言って小走りに去って行った。

 「あ、ぼくも」「わたしも」と次々声が上がり、その場から誰もいなくなった。

 少年を一人残して。

 十人近くいて、全員に用事があるなんてありえなかった。


 一方で女の子は人気者になっていった。

 何かを主張したり自分のことを話すのは苦手でも、女の子は物語を語るのがうまかった。

 女の子はみんなに自分が前いた町をおとぎ話のように語って聞かせた。

 大人も含めほとんどがこの町から出た事のない者たちだ。

 特に好奇心旺盛な子供たちは知らない町の話を聞きたがった。

 そのうち一緒に遊べる友達ができたようだった。

 少年は女の子が、お話が得意だなんて知らなかった。

 町の中で少年と目が合うと、女の子は気まずげに目を逸らした。

 少年は一人ぼっちになっていた。


 なぜ?

 何か間違った事をしただろうか?


 しばらく後に少年は友達の陰口を聞いてしまった。


「なんであいつ、今さら戻ってきたんだろう?」

「さんざんぱらオレたちの事、放っておいてさ」

「正義気取り」

「偽善者」


 少年は走り出していた。

 全速力で、風にならんとばかりに。

 そうせずにはいられなかった。

 時々すれ違った大人たちの不思議そうな顔も目に入らず、

 少年の名前が呼ばれたのにも気付かず。

 町を出て、野原を越えて。

 鬱蒼とした森へ入っても走るのをやめようと思わなかった。

 ただ、なぜこうなってしまったのかと繰り返し繰り返し考える。

 足がもつれて派手に転んで、ようやく止まった。

 起き上がる気力もなくて、転がったまま荒い息をつく。

 呼吸が整うにつれ、振り切ろうとしてついに振り切れなかった感情が膨れ上がった。

 少年はただ信じる事を自分で選んだだけだった。

 女の子が可哀想だからとかではなく、ただ当たり前に不慣れな者に手を差し伸べただけだった。

 今の状態はずっと続く訳ではないから、変化が訪れて女の子と仲良くしようという子が現れるまで自分が代わりに近くにいようと思っただけだった。

 いや、本当はそこまで考えていないなかった。

 ただ、そのように体が動いただけ。

 確かに、少しだけ姫を守る騎士になったような気分になっていたけれど、

 あの状態が早く終わればいいと願っていたのも本当で。

 本当は友達の手を離したくなかった。

 でも、友達は女の子を仲間に入れてくれなかったから。

 寂しいけれど事が済めば戻ってこられる、離れていても自分の味方でいてくれると信じて、味方のいない女の子についていることにしたのに。

 少年は嗚咽を漏らした。


 なんでこうなったのだろう?

 友達との関係はこの程度のものだったのか?


 涙が枯れるころ、少年の心は虚しさに支配されていた。


 もう、ここにこれ以上いられない。

 きっと生まれる場所と時間を間違えた。

 あるいは生まれる種族を間違えた。

 森の奥に、例えば木として生まれついたなら、

 こんな生きていけないような虚しさを味わうことはなかっただろう。


 少年は立ち上がり、ふらりと歩き出した。

 町とは反対方向の、森のさらに奥へと。

 ただ自分をこの世から消し去るために。


 少年は虚ろな瞳であてどなく、ただ前へと歩いていく。

 霧が発生し、数歩先も見えないほどになっても足を止めなかった。

 次に踏み出す一歩が空を切り、崖から落ちる事になろうとも構わないと思った。

 オオカミに襲われて、彼らの腹を満たす事になってもそれはそれで良いだろうと思っていた。

 幸か不幸かそんな事は起こらず、少年は壁にぶつかった。

 壁は苔や地衣類に覆われていて、触っても岩のような硬さは感じない。

 先に進むために壁に手をついて歩いてみると、壁は奇妙な感じに湾曲しているようだった。

 その湾曲のせいでそのうちに方向感覚が狂ってしまった。

 馬鹿馬鹿しくなって、壁にもたれて座り込む。

 ここで死ぬのも悪くないかと何とは無しに思う。


「こんな所まで来られる珍しい人間をそう簡単に死なせてたまるか」


 うとうとしかけていた少年は驚いて上を見ようとして、壁に思い切り頭をぶつけた。

 後頭部を抑えて涙目になる。


「おお、すまない。驚かせてしまったか」


 声はやはり上から降ってくる。

 壁から離れて上を見上げようと立ち上がる。

 さっきまで視界を真っ白に覆い尽くしていた霧が薄れつつあるのに気がつく。

 予感のようのものがした。

 振り返って壁を見上げる。

 壁は少し奥に傾斜していて、少年の身長の三倍ぐらいの高さで途切れる。

 少年には見えないが、水平に近い角度がしばらく続いてまた急にほぼ垂直に切り立つ。

 少年の目には高い位置からまだ上に続く壁と、途中に突き出す枝葉が見えた。


 壁から木の枝?

 じゃあ、これは……


「そう、樹木の王の御姿だ」


 声の方へと目を向けると、壁の途切れている所に真っ白なキツネがいた。


「あ、夢でも見ているんじゃないかと思っただろう?バッチリ現実だぜ。何なら頬でもつねってみな」


 後頭部がまだズキズキしている。

 頬をつねる必要性は感じられなかった。


 なんでキツネが人の言葉をしゃべれるんだ?


「キツネだって長生きすりゃ、人の言葉くらい話せるようになるさ」


 答えになっていない答えに眉をひそめつつ、少年はもっと重要な事を問う。


「おまえ、人の心が読めるのか?」


 キツネはきょとんとすると、からからと笑った。


「そんな大層なことしなくてもわかるさ」


 何がそんなにおかしかったのか、キツネは腹を抱えて笑って涙を拭うような仕草もしている。

 少年はムッとしながら、壁を観察する。

 あんな高い所から笑われるのは我慢ならない。

 キツネと同じ高さまで行こうと思った。

 蔦が垂れ下がっているのを見つけた。

 引っ張ってみると思ったより丈夫そうで、少年が壁を登る支えにするくらいは問題なさそうだった。

 苔に足を取られながらも丈夫な蔦のおかげでなんとか上に辿り着く。

 壁の上で立ち上がって、周りを見渡して息を呑んだ。

 樹だった。

 視界に収まりきらないくらい大きな樹だ。

 少年が立っているのは樹の太い根の一つだった。

 その先にある幹は一周するだけでも一日以上かかってしまうのではなかろうか。

 見上げれば、幹は霞んで見えないほど高くまで続いている。

 高い位置から横に張り出す大枝は世界の果てまで届いているのではないかと思うほど長く力強く伸びている。

 それほどの巨樹だった。

 しかも巨樹は一本で立っているのではない。

 太い幹に蔓性の植物が重なり合って貼り着き、枝にはヤドリギが絡み、枝や根の上に色とりどりの草花が咲き乱れている。

 その間をリスが駆け、小鳥が羽ばたき、蝶が舞う。

 巨樹が大きな家のようだ。

 ここは永遠の楽園で、悲しいことは起こらないと言われても信じられてしまいそうな美しい光景。


「すごいだろう?人間で拝める奴はなかなかいないんだぜ」


 いつの間にか笑い止んだらしいキツネが隣に来て誇らしげに言う。


「それ、さっきも言っていたけど、どういうこと?」


 キツネが意味ありげに少年を見る。


「澄んだ心の持ち主でないとここには辿り着けないのさ」

「澄んだ心の持ち主?」

「そう、あれだ。おまえたちがよく言う心根のまっすぐな人間。素直で、謙虚で相手の心を大切にしようとする人間、誰かに流されることなく正しく在ろうとする人間だよ」

「僕はそんないい子じゃないよ」


 少年は目を伏せる。


「そんなことはないさ。おまえ、人間の世界じゃ生きづらいだろう?」


 ハッとして顔を上げると、キツネのニヤニヤ笑いに行き当たった。


「どうしてそんなことがわかる?」


 キツネは優しい目つきになって囁く。


「わかるさ。透明な心の持ち主は、言わば人間の中でも善い性質の特に強い人間だ。人間の多くは簡単に悪い性質に傾く。だから、透明な心の持ち主は一人ぼっちになりやすいのさ」


 まるで少年の身に降りかかった不幸を知っているかのような口ぶりだ。


「それで逃げてきたのだろう?」


 キツネの労わるような声に少年はことりと頷く。


「もう、消えてしまいたい」


 キツネは少年の気持ち伝染したみたいに悲しそうに頷く。


「心が曇ってしまっている。おまえは大切なことを見失っているよ」


 キツネはついて来いと言うように顎をしゃくって、幹の方へと歩き出す。

 少年はキツネの後を苔や地衣類に足を取られないように注意深く追う。

 小鳥が二羽飛んできた。

 一羽がキツネの背に止まり、もう一羽が少年の肩に降りる。

 驚いた少年は危うく足を滑らせそうになった。

 二羽の小鳥が少年を見て、歌うようにさえずる。

 小鳥の歌に誘われるように、リスが少年の周りに集まってきて器用に飛び跳ねながらついてくる。

 どこからともなくネズミもやってきて、イタチも行列に加わる。

 大きな鳥が少年の頭上を飛び越して、近くの根の上に降り立つ。

 その近くにクマやオオカミも顔を出す。

 草花の上や下にカエルやヘビ、トンボやコガネムシなどの姿もある。

 今や森のあらゆる動物が少年を取り巻き見守っている。

 そうした周りの生き物たちから何か暖かいものが伝わってくるような気がした。

 みんなが少年のことを心配して、元気になってほしいと願っていてくれる。

 気のせいかもしれない。

 でも、キツネと出会う前の息苦しさはもうなかった。


 太い幹を前にして、その存在感に圧倒された。

 圧倒されるが決して威圧的ではなく、むしろ全てを受け入れるような懐の深さを感じる。

 吸い寄せられるように少年は両手を幹に着く。

 目を閉じて、樹に心を寄せる。

 大いなる世界の流れを感じた。

 世界の流れの中では自分の存在はとてもちっぽけで、

 けれどそのちっぽけなものが無数に集まって世界の流れはできている。

 ちっぽけなものはどれ一つ取っても無意味なものはなく、

 なんらかの役割を担っている。

 虫も人も木も岩も、

 生きているものも生きていないものも全部が世界には必要なもの。

 消えていいものなどないのだと樹木の王、世界樹は少年に語る。

 その証拠とばかりに、世界樹は少年に声を届けた。


「--!」


 少年の名前を呼ぶ声。

 父の声、母の声、祖父の声、祖母の声、弟の声、妹の声。

 声は少年を懸命に探していた。

 涙があふれた。

 忘れていた。

 外ばかり見ていて、内を振り返ることを怠っていた。

 家に帰れば、いつもそこにいたのに。

 無条件で味方でいてくれる、いつでも必要としてくれる大切な人たちが。

 涙が後から後からこぼれ落ちる。

 まだこんなにも残っていたのかといっそ感心するくらい涙は止めどなく流れた。


 疲れて泣き止んだ頃、辺りは暗くなっていた。

 キツネはずっと寄り添って背中をさすっていてくれたようだった。

 キツネは少年が泣き止んだのを確認すると、軽くポンポンと背中を叩いた。

 クマがゆっくりと二足歩行で近づいてきた。

 少年の前にそっと両手を差し出す。

 クマの手には竹を輪切りにしただけのコップが包まれていた。

 コップの中の水が揺らめき、キラキラと月明かりを反射した。

 少年は竹のコップを受け取った。


「ありがとう」


 クマが笑ったような気がした。

 クマは背を向けると、四足歩行でのそりのそりと離れていった。

 少年はとても喉が渇いていたので水の差し入れはありがたかった。

 けれど、どこで汲んできた水なのかわからないので飲んでも平気か判断しかねた。

 少年が飲むのをためらっていると、キツネが鼻を寄せ水の匂いを嗅いだ。


「ああ、さすが気が利いている。これはわしらが大切にしている泉の水だ。綺麗な湧き水だから、安心して飲むといい」


 少年はそろりと口をつけた。

 ひんやりとして柔らかい喉越しに、入れ物にしている青竹の爽やかな香りが鼻をくすぐる。

 町でもなかなか飲めない極上の飲み物のようだった。

 一気の飲み干したい衝動を抑えて、身体中に湧き水が染み渡るようにゆっくりと喉を潤す。

 竹のコップは思ったよりもたくさん水が入っていたようで、全部飲み干した時にはすっかり生き返った気分だった。

 人心地着くと、急に眠くなってきた。

 樹の幹にもたれてうとうとしていると、キツネがどこから持ってきたのか大きな葉っぱを少年の膝にかけた。

 ついで少年に寄り添うようにキツネも丸くなる。


「人間は毛が少なくてすぐ病気になりそうだからな。特別にわしがそばにいて温めてやる」


 少年はうっすらと微笑んで「ありがとう」と言った。

 間もなく少年は深く気持ちの良い眠りに落ちた。


 朝日が昇り、樹木の王のもとにも柔らかな日差しが届く。

 すっきりとして希望に満ちた目覚めだった。

 少年は身体が軽くなったように思った。

 まあ、お腹が空いているせいもあるかもしれないが。

 心は開放感に溢れ、希望に満たされていた。

 昨日、あんなにこの世から消えたいと思い詰めていたのが嘘のようだ。

 ゆっくりと立ち上がり、伸びをする。

 軽く身体を動かし、異常がないことを確認する。


「帰るのかい?」


 振り返るとキツネも起きて毛づくろいをしていた。


「うん、帰るよ。みんなが待っているから」


 心の底から早く帰りたいと思えた。


「そうか。では、途中まで送ろう」


 キツネが歩き出す。

 少年は樹木の王を見上げて、ぺこりとお辞儀をした。

 キツネの後ろを歩きながら、この楽園を忘れないようにと目に焼き付ける。

 もう二度とは来られないだろうとわかったから。

 世界樹の根を降りて、しばらく歩くと霧が視界を覆い始めた。

 キツネが立ち止まった。


「霧の中をまっすぐ前に歩いて行くんだ。大丈夫、崖や落とし穴はない。ずっと歩いて霧が晴れた頃、おまえはおまえの世界に帰り着いているだろう」

「うん」


 ひとつ頷いて少年はキツネを抱きしめた。


「ありがとう。おまえたちに会えてよかった。クマや他のみんなにも伝えて」

「わかった。必ず伝えよう」


 キツネが耳元で囁くように言った。

 少年はキツネを離すと、霧の中に踏み出した。

 もう一度だけ振り返ると、にっこりと笑った。


「それじゃあ、元気で。さようなら」

「さようなら。おまえの人生に幸多からんことを祈っておるよ」


 少年は手を振り、力強く一歩を踏み出した。

 霧が晴れると、キツネが言った通り見知った森の中だった。

 鬱蒼とした森を抜け、野原を突っ切り、町の入り口に立つ。

 離れていたのは一日にも満たない時間だったのにとても懐かしくて、帰ってこられたことが嬉しい。

 町の門をくぐり、家を目指していると後ろから軽い足音が近づいてきた。

 振り返る前に背中にドンっと何かがぶつかる。

 立ち止まってぶつかったものを見下ろす。

 あの女の子だった。

 泣いているのか肩が小刻みに震えている。

 この子にも心配をかけてしまったのだなと今さら思い至る。


「ごめんな、心配かけて」


 女の子に向き直り、そっと抱きしめ頭を撫でる。

 妹のように大切に思っていたんだなと実感する。


「ごめんなさい。あたしが弱いせいで……」


 女の子が震える声で懸命に話そうとする。


「君のせいじゃないよ。僕も弱かったんだ。でも、もう大丈夫だから」


 「泣かないで」と優しく笑いかける。

 泣きじゃくる女の子は息を止める。

 小さな声で、それでもはっきりと少年に告げる。


「あたしもつよくなる」


 そうかと、少年は笑みを深くする。

 目線を女の子に合わせた姿勢のまま、少年は女の子に手を差し出す。

 まるで騎士が姫に手を差し出すみたいに。

 女の子は少年の手を取る。

 さっきよりもまた少し頬を赤らめて。

 少年はそんなことに気づきもせずに、女の子の手を握り歩き出す。

 少年は女の子を家に送り届ける前に、家族に見つかってもみくちゃにされた。

 少年の友達も聞きつけてやって来て、「悪かった」と言った。

 友達の顔はどれも寝不足で目の下に隈を作っていて、少年は笑ってしまった。

 友達とのつながりは切れていなかったのだとわかったから。

 「人がせっかく謝っているのに」と一人が少年を捕まえて小突き回す。

 「いたい、やめろー」と言う少年の声もわざとらしく、みんなで笑い転げた。

 その時、少年のお腹が盛大に鳴った。


「ほらほら、遊ぶのはご飯を食べてからにしなさい」


 母親の声に「はあい」と応えて、一旦解散。

 友達の一人が思い出したように少年に言う。


「あとで、いつもの場所へ来いよ」


 少し考えてひと言付け足す。


「よかったら、そいつも連れてこい」


 照れ隠しのように走り去っていく友を見送って、くすりと少年は笑う。


「だって、どうする?」


 まだ隣にいる女の子に尋ねる。

 女の子はおずおずと答える。


「本当に、行ってもいいのなら」


 少年はにっこりと笑って言った。


「じゃあ、あとで迎えに行くよ」


 女の子を家の前まで送って、家族と共に家に帰る。

 町の空気を大きく吸って、思う。


 大丈夫。

 これからもここで生きていける。

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