第4話 鳥籠に鶴 -explanation-

 

 《単純化》。


 《理論の終着点バードケイジ》。


 《コウノトリ》。


 話を進めるにあたって、これらについてはどうしても説明しておかなければならない。




 十年前、どうやらそれは始まって、そして完了したらしい。

 『すべての元凶』なんて揶揄もされる、《単純化》という現象。


 例えば宇宙誕生のプロセスが一瞬にも満たない時間の中でクリアされたように、――準備期間はあったのかもしれないが――少なくとも観測できる限りにおいて、その変化は徐々にではなく、爆発的に起きた。

 

 人類がどうして《単純化》という結論に至ったのかを順に語ろう。

 まず最初にあったのは、『Life of Particlate Matter』。LPMと呼ばれる粒子生命体の発見だった。


 粒子生命体とは、『命を持った空間』とも言える。サイズはまちまちだが一定の空間の広がりを『身体』として保有し、その空間内に存在するあらゆる粒子を操作できた。


 これは人類が観測し得る最もミクロな観念である素粒子や、いまだ人類が発見していない粒子まで掌握していることを指す。つまり彼らの性質や、『何をどこまでできるか』の上限は見当もつかない領域まで伸びていたというわけだ。

 

 その生命体は十年前に突如現れ、世界各国の主要な都市部で猛威を振るった。彼らは、時に由緒と歴史ある街並みを地盤からひっくり返したり、交通の要となる大通りや幹線道路を捻じ曲げ、しっちゃかめっちゃかに繋げ変えたりと、入り組んだ都市構造全体を自在に弄んだ。


 物質は例外なく粒子からつくられている。街中のどんな構造物もLPMの魔の手から逃れることはできなかった。すべてがレゴブロックでできてるかのように、彼らは部品と部品、道と道、建物と建物、それらをランダムに、あるいは意図を感じさせるやりかたで、組み、外し、ずらし、すげ替え、乗せ、捻り、繋げ、寄せ、開き、閉じ、集合させては分散させた。


 LPMが現れてからの一年間は、人類史上まれにみる暗黒期と言っても過言ではない。大勢の人間が轢き潰されて死に絶え、生き残った者は安全な山間部や海辺、未開拓の土地へと移り住んだ。都市人口は激減し、弄ばれた都市の残骸は侵略のモニュメントとして不気味に蠢き続けた。


 そんな中で日本という島国は、都市部の絶望的な衰退を逃れることに成功した。多くの犠牲はあったが、都市機能が完全に停止する前に、出現したLPMを排除する仕組みを取り入れたのだ。一方的な関係は打開され、拮抗状態を生み出すことができた。


 『LPMを排除する仕組み』――つまりLPMを排除できる者たちの出現。これもまた、突然だった。


 東京は、LPMが現れてから火の海となった。都市構造を容易に切り刻み蹂躙する粒子生命体の運動に火災はつきものだったので、燃え盛る大都市という光景は世界的に珍しいことではなかったが、東京は特に酷かった。日の丸を象徴にしてるという皮肉が今でも笑い話にならないほどの、それは絶焼だったと言える。そこかしこで起きた爆発は区別もつかないほど連なり、東京という鉄骨で組まれた薪は23区を余すことなく業火に包まれた。


 その首都丸焼き事件は、現在はただ端的に『大火』と呼ばれるが、そうしてちょうど都市部を丸呑みにするほどの規模まで成長した瞬間、突然吹き散らされた。


 荒唐無稽とも思われる話だが、23区を完全に包んでいた『大火』はものの一瞬で姿を消したのだという。すべてを吹き飛ばす勢いの猛烈な突風が吹いたとして、そんな現象が巻き起こるのかは謎である。しかし当時郊外に設立されていた対策チームが、確かに映像でその光景を捉えていた。煌々と照り輝く火の海が、焼け焦げた残骸をむき出しにして姿を消す映像。


 そして同時に対策チームは、目撃していた。世界的規模で大都市に巣食う悪夢の侵略者であり災害であるLPMを、掃討するという異常と偉業を。


 『大火』が消え去った直後の退廃的風景、その完全燃焼物と不完全燃焼物が形作るジャングルに、いくつかの人影を発見したのだ。


 彼らの存在は、まさに脅威が去ったことへの傍証だった。『大火』の消滅ともに、東京に巣食っていたLPMはその勢力を急激に弱め、人類は対抗手段を獲得することも汎用化することも無しに領地奪還の第一歩を踏み出す次第となった。


 すべては、突然だったのだ。


 

 

 「『大火』の消滅とLPMの勢力が弱まったことに直接の関係があるのかは分かってないわ。けれどとにかくそのタイミングと証言から、突如火の海だったはずの東京に現れた彼らは英雄となった。当然よね。ワケも分からないまま首都をめちゃくちゃに荒らされ、炙りだされた人々には、どんなに不自然なものだろうと縋りつくための希望が必要だった」


 「英雄として祭り上げられた彼らはそのあと《とび》と呼ばれ、都市の修繕、機能回復までの全面的な指揮をとったわ。彼らは驚いたことに、とても近しい距離でLPMと共存していた。あるいは友のように、あるいは手足のようにと、関わり方は違えど、LPMとともにあった。その力でもって入り組んだ街中を自由に飛び回る様子は、彼らが特別であることの根拠としては十分だった」

 

 「都市機能が回復し、より強固になった現在では、主に脅威となるLPMを排除する組織として《ラプトル》が設立され、《鳶》はその部署のひとつになっているわね。実行部隊ってところかしら」




 東京が都市機能を取り戻してからは、LPMについての研究が各地で繰り返し行われた。


 彼らは人間が脳を持ち、細胞も原子もそうであるように、体構造の中に『核』となる部分を持っているらしい。《鳶》がLPMと共存できるのは、その核となる粒子が《鳶》である人物の身体に関係していたり紛れ込んでいたりしてるからではないか――と憶測が飛び交ってはいるが、はっきりとは分からないし、《軍》はそもそも《鳶》がLPMを操ることを公にしていない。


 だからこそ一般にはLPMは畏怖すべき災害としての扱いが強いし、『敵の情報を探るため』のLPM研究施設や『敵を駆除するため』の《軍》が世間に与えている安心感と権力は強い。


 では、どうしてLPMが存在するようになったのか?――この問題を考える段階になってようやく、話は本筋に帰ってくる。


 その疑問を解消するために演繹的に導き出された仮説が、いまや常識となっている《単純化》なのだ。


 つまり、『LPMが現れたことを説明するには、《単純化》という現象が起きたのだと仮定する他ない』という理屈だった。




 「質問だけど、人間とLPMの違いは何かしら」


 「何もかもが違う、と言いたいところだけど、ウチらの身体も粒子からできているわ。DNAによって組織構造が定められているということに差はあっても、人間だって粒子生命体と言えなくはないでしょ。……うん、屁理屈だけどね」


 「ウチが言いたいのは、どうして生命として当然の意識――クオリアが、人間にはあって空間にはなかったのか。そして、この隔てはどうして破られたのか。LPMが存在し得る理由を突き詰めるなら、そういう話になるわよね。……哲学的ゾンビ? ああ、そういう話は置いときましょ。LPMにはトリノのように、人間の言葉で会話するものだっているわけだし」


 「『宇宙は意思をもったひとつの生命体なんです~』とかさ。《単純化》前なら鼻で笑えたお伽噺も、そうはいかなくなってきた。現在の研究では、動物の脳にどうやって意識が発生するかは明らかになっていない。電気信号の流れに私たちの思念が形作られているという実感は、あらゆる意味で持てない」


 「だったら、何らかの条件がクリアされたと考えるべきよね。ランダムに選ばれた無数の粒子が、生命と呼べるだけの意識を持つための、これまでクリアできなかった何らかの条件が、クリアされた。それが、《単純化》。きっと素粒子よりもずっとずっとミクロな話だったのよ。クォークや、あるいは電子の更に先。そんな人類が辿り着けるかも分からないほどに微に微を重ねて足りないほどの遠方であり身近。そこに僅かに生まれた誤差が、私たちの意識を生んでいるとすれば? その条件を満たせばどんな粒子でも生命を持てるとして、今LPMが現れたことが何を指すのか――」




 それは、世界のルールが一つ単純になったことを指すのではないか?


 クォークや電子の更に先、素粒子よりもずっとミクロな場所で起きた出来事がスイッチになるとすれば。


 ――すべての粒子は、ランダムに生命を持ってしまうのでは?


 この場合の例えはやはり、シュレディンガーの猫が分かりやすい。ボックスの中の猫が生きているかどうかは、ボックスを開けない限り五分五分である。素粒子の更に内部、よりミクロな世界に研究が及ぶことがボックスの中身を確認することだとすれば、本来そこに生命のきっかけがあるかどうかはいつか明らかになるはずであっただろう。

 

 しかしすべての粒子は《単純化》以降、永久に閉じられ封印されてしまった。開けられなければ生命が存在しているかは確定できないが――ボックスは動き出した。LPMである。

 じゃあ、中身の確認はできないけれど、何が生命のきっかけなのかは結局分からずじまいになってしまうけど、動き出したのであれば、生命として認定する他ない。……《単純化》とLPMを取り巻く科学的見解は、おおむねそんなところであった。


 この例えの中でいう『ボックス』は、『科学の辿り着く限界点』だといえる。《単純化》を真実とするなら、量子論を深めていくにつれてよりミクロへと向かっていく科学は、いつかどこかで永久に閉じられ封印されたボックスへと――へと、辿り着くことになる。

 LPMの出現によって生命の起こりがランダムになったことが証明され、そしてランダムとは、ということでもある。おおむね法則性や規則性にどのような意味があるのかを追及していくのが学問の在り方だが、本当の意味でのランダムを持ち出された瞬間、あらゆる学問体系は総じて無力になってしまう。

 例えば数学を応用すれば、「適当に数字を10000個並べました」という数列であっても規則性を見出せるという。その人間のこれまでの生き方や心理状況、生活習慣などから数列に対して理論付け、意味付けが可能で、米国などでは実際に数学を利用した行動パターンの分析を捜査に役立てたケースもあるほど、その信憑性は高い。

 ゆえにこそ――それら学問から完全に意味を蒸発させてしまう現象が、真の意味でのランダムであり。

 単純化によって顕在化した「ランダムに現れる生命」、LPMとは、科学の前に立ちはだかった絶望的な壁なのだった。




 「研究はそこで終わりという、合図。ありったけの皮肉と揶揄を込めて、研究者たちはその極地を《理論の終着点バードケイジ》と呼ぶ。開かないその鳥かごは外の世界という夢を見せず、人間を限られた理屈の中で飼い殺すためのハコモノ。きっと神様は、人間が学びすぎたと思ったのね。綻びに気付かれる前に、閉じ込めた。外の世界が籠の中より快適とは、限らないもの」


 「……ああ、それで、最後のワードね。『コウノトリ』。それにしても、ここまでよくかったるい説明に耐えてくれたわ。ゴールはすぐそこよ。『ランダムに現れる生命』これが、LPM。その出現によって予測される科学の終末が《理論の終着点バードケイジ》。で、それらを成立させるための仮説が《単純化》」


 「えーと、ところで、人間の出生率って今どれくらいか知ってる?」


 「ううん。脱線も飛躍もしてないわ。ルート通り進行中よ。計器オールグリーン。いや、つまりさ。《単純化》によって生命はランダムに発生するようになった。花瓶に一輪挿ししておいた花が水をくれって要求してきても、電柱がタップダンス踊り始めても、財布の諭吉が勝手に逃げ出しても、LPMが出たぞ~で片づけられる時代じゃない? ま、今のは例えがファンシー過ぎるし、最後のはただの散財癖かもだけど」


 「宿。最近の研究で分かったことなんだけど、これってどうやら、有性生殖で生まれる動物なんかにも当てはまってる数字らしいの」


 「これ、当然人間もよ。だから、セックスをして、子供ができる確率が、実は《単純化》以降は半分になってるってこと。ん? なんで今トリノは露骨に咳払いしたのかしら。まぁいいけど。正確には、半分が死産になっちゃうってことなんだけどね。どうやら着床してから、胚は分化するんだけど、意識が芽生えないらしいの。ある程度まで成長すると、動きとか生体電気とかで、いわゆる脳死状態の子かどうか分かる。余談だけど……酷よね。見込みの無い子をお腹の中で育てる親が、産声の聞こえない出産をする親が、今の世界じゃ半数。って、これくらいは今は学校でも習うのかしら。まぁ、早期の段階でそういう子は成長が止まるような投薬環境を整えた方が良いとか、医療分野の研究が急ピッチで進んでるらしいわ。意思確認とか、制度化するならまた色々クリアすべき問題は山積みだろうけどね」


 「そんなわけで人間の出生率は《単純化》前の約半分。……ってなりそうなもんだけど、おかしなこともあるものよね。これは世間にどれくらい認知されてるのかしら。多分、都市伝説みたいになってるのかな。少なくとも《ラプトル》は徹底して否定してるし、公表も一切しないつもりだろうけど」


 「実は、ごく稀、ごくごく稀に、――LPMと同じように突然現れる『人間の形をした生き物』がいる」


 「理屈としては、LPMのように粒子がまとまって体構造を形成した『ランダムに現れた生命』で間違いないはずなんだけど、姿かたちは紛れもなく人間そのもの。そんな異物を人間と考えて良いのかとか、ランダムで人間の要素を全て備えた生命体に組みあがる可能性は零に等しいだろうとか、意思伝達はきちんと可能なのかとか、突然現れたという証言は信用できるのかとか、色んなことが言われただろうし、今も言われているんだけど」

 

 「――あなたの疑問に答えるなら、《コウノトリ》とは、LPM同様突然現れていながら、ヒトの姿をした生き物。あるいはそんな存在を生み出すいまだ未解明のシステム、その総称」


 「あまりに検体例が希少だから本来なら詳しい話なんかめったに訊けるもんじゃないけど……興味があるんなら、運が良かったわね。詳しい実体験を教えてあげなさいな、《コウノトリ》が運んできた





 

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