第3話 雀百まで踊り忘れず
「ウチね、ルビ付きの造語を撒き散らすだけ撒き散らしといて伏線を張った気になって、世界観とか舞台設定とかの情報をいつまでたっても説明しない、ひとりよがりに風呂敷広げっぱなしの勘違い小説って大っ嫌いなの。そういうのを童貞小説って呼んでるわ」
「童貞? なんで?」
「自分がミステリアスで近付き難いんだって結局どっかで思ってて、どんなに気になる相手がいたって『いつか自分の魅力を理解できるもっとふさわしい人との出会いがあるさ』って信じ込んで何もしないところとかピッタリじゃない。一生あるかそんな出会い! 広げた風呂敷ねじって首くくって死ねばいいわ」
「人によると思うけど……で、だから何?」
「だから、色々きちんと説明してってこと。受けた依頼の顛末は仲介人にきちんと報告。例の商店街のこともニュースになってるわよ。どーせ関係してるんでしょ」
サギとカイトのそんな会話から、『報告会』は幕を開けた。
東京中部、23区に差し掛かる手前。もっと詳しく言うなら多摩区北多摩群の東端、三鷹市のとあるデパート、その屋上。
目を疑うような風景だった。綺麗に整えられた一面の芝生というサッカー場のような景色の中央に、レンガ造りの一軒家が立っている。ジョージアン様式と呼ばれる左右対称の造りをしたクラシカルなデザインで、天頂のど真ん中にはインテリアなのか風変わりな風見鶏が据え付けられていた。素材がくすんだ銅板ということと種そのものの知名度の低さから、遠目には分かりづらいが、それは五位鷺という鳥を模したものだった。
デパートモールという生活感とは切り離せない環境の屋上に広がるその牧歌的光景は、不自然な場所に広大すぎる庭園を有することで生活感が逆に損なわれた異次元のような空間となっている。一軒家以外には、本当に何も無い。店内の空調用室外機など、本来屋上に必要なものはすべてデパートの側壁に設えてあるようだった。見たところ、そのうえで外観を損ねないようデザインの工夫が施されている。屋上に至るためのペントハウスすら存在しないことが、様々な違和感をまとめあげ不気味さへと昇華させていた。
屋上中央の建築物は、『鷺の浮き巣』という名で通っている。カイトの仕事仲間、依頼仲介人であるサギが事業を構える不動産紹介所である。
現在時刻は深夜一時。入り口には『OPEN』の表札がかけられていた。絶賛営業中ということらしい。
「一一というわけなんだけど」
「『いちいちというわけ』って何? ……ああ、ダッシュっぽいわね確かに。説明した感じ出るかも」
「出るかもじゃねぇよ。チョロすぎだろ。横書きの文章に起こさないと分かりにくいうえに漢数字限定のボケを評価するな、鷺っ子。つうかカイトは説明する気ねぇから。俺が代わる」
店内は広々としたワンルームだった。玄関から入って正面、部屋の中心には二階へ続く螺旋階段。階段を境に左がホテルラウンジのようにくつろげる空間になっていて、右側は丸ごとバーカウンターという造りだった。カウンターの向こうには従業員なのか、黒エプロン姿の女性が何やら作業している。
床は店内全体の雰囲気を統合するような落ち着いた色合いのモザイク。天井は高く、カフェテリアのようなアンティークタイプのシャンデリアが長く垂れ下がり暖色の明かりを灯している。窓際にはウッドチェアやコンソールテーブルなど木製の調度品が飾られていた。
談話は玄関から向かって左のリビングで行われている。テーブルを挟んで対になった三人掛けレザーソファの片方にカイトが仰向けで寝そべっていて、奥側のソファにはサギ。一見して高校生くらいの少女で、人工的なアッシュグレーと白髪のメッシュというちぐはぐな髪色のセミロングが、今は一つ結びにされている。掛けてる眼鏡はなんだか伊達っぽい。服装はオフィスカジュアルの流行りのようなパンツルックだった。
トリノは相変わらず半透明だが、現在はテーブルの上にふわふわと塵が集まったような球体が漂っており、彼が声を発する際にはその集合体が音圧モニターのように立体的に形を変えた。目玉のようにも見えるそれを音源にしているらしく、商店街にいたときよりもトリノの声は明瞭に響いている。
「手順に乗っ取ろう。まず依頼内容を確認してくれ」
「『鴻鵠機構』傘下の『LPM生体応用研究センター』から、一週間前に行われた『検体Cに関する第三次コウノトリ誘導実験』の成功サンプルを速やかに奪取すること。あとパクチー」
サギはソファに深く腰掛けなおし、すらすらと淀みなく述べた。依頼に関しては完全に記憶しているらしい。が、
「あ? パクチーって何だ」
「え、ついでに買って来てって言ったじゃん! もー。そのためにあの商店街を逃走ルートに選んだんじゃないの?」
「いや、完全に忘れてたわ……つうか、逃亡を余儀なくされる仕事のついでにお遣いを頼むなよ」
「僕は覚えてたよ。流石にスーパーに寄るほどの余裕は無かったから買ってないけど。ごめんね」
「いいわ。で、手に入れたサンプルがこれ?」
テーブルの上には、カイトが逃走中抱えていた布地に包まれたラグビーボールほどの物体が鎮座している。カイトはサンプルへちらりと目を遣り、トリノが答える。
「ああ。カイトが研究職員に手荒な質問をして言質を得たし、雇われの警備スーツ野郎どもがずっと追ってきたから間違いない」
「グレイト。で、そいつらは撒いたわけ?」
「あー、そこなんだが……カイトの、悪い癖が出てな。こいつ、その、べらべら喋りやがって」
調子よく話していた声が急に歯切れ悪くなる。怪訝に思ったサギだが、彼女はトリノの悪びれる風な態度に心当たりがあった。
「……例の、《マテンロウ》か。アンタも大変だねトリノ。相方の頭ん中にしかない心象風景に振り回されて。表面的に見ればただのカイトの我が儘でしょうに。アンタが監督不行き届きみたいに思うのはお門違いよ」
「いや、まぁ、な」
デリケートな問題なのだろう。塵状の球体は気重そうに輪郭をぼやけさせた。当のカイトは聞いているのかいないのか、どこ吹く風という態度で無表情に天井を見つめている。
サギは鬱陶しそうに膝を打った。
「いいわ。カイトが話し込んで追手は撒けなかった――として、そのあとどうしたの」
「LPMだ」
今度は、トリノは端的に述べた。
「俺の比じゃない規模のな。商店街を丸呑みしてやがった。久々の天災級だ……俺らは、その混乱に乗じてあの場を離れた」
「失礼します。コーヒー、お入れしました」
清涼な空気が横から吹き抜けてきた。バーカウンターで作業をしていた女性である。茶髪のショートヘア、素朴な印象を与える美人だった。トレーにはティーカップが三つ。
首の凝りをほぐすようにしながらサギが応える。
「ありがと、カドマエ。二人とも、こちら新しいクルーのカドマエさん。現在大学一年生。よろしくしてあげてね」
「よろしくしまーす。コーヒーありがとう」カイトは反応良く起き上がりカップを受け取ってぐびぐびと飲み始めた。ちなみにホットである。猫舌ではないらしい。
「ほんとお前はころころと従業員を変えるよな。それは気に食わねぇが、とりあえずカドマエちゃんがこんな俺にもコーヒーを入れてくれる図抜けて良い子であることは分かった。トリノだ。よろしくな」
「あっ、いえ。すみません!」カドマエは慌てたように口を抑えた。「お飲みになられませんでしたか? 私LPMさんのこと、ほんとに何も知らなくて。お気を悪くさせてしまったら、えと、すみません」
塵の集合体を相手に頭を下げる。一貫して慇懃な対応を見せるいかにも世間ずれしていない雰囲気の彼女に、何かと厳しく当たられることの多い(主にカイトによって)トリノは胸を打たれたらしい。
「おい、鷺っ子。就労環境、労働条件、適宜見直せよ。この子の待遇が悪かったら俺は本気で暴れるぞ。クビにしても同様だ」
「LPMさん」カイトが口の端を歪めて呟く。災害として扱われることすら珍しくないLPMに対して生真面目な態度を見せるカドマエの語感がツボにハマったらしい。サギも苦笑を隠せなかった。
「あっはは……でも、しょうがないわよね。LPMに関しては、よっぽど踏み込んで調べない限りニュースなんかで伝えられる以上の情報は手に入れようがないもん。トリノ。せっかく入れてくれたんだから、気持ちで飲みなさいよ」
「気持ちでってか、まぁ、美味しくいただきました」
「わ! ……すごい」
カドマエが目を剥いた。トリノの分のコーヒーが、気づけば空になっていたからだ。
するとトリノは自己紹介も兼ねてか、自分の体構造を説明し始めるのだった。半透明でありながら、その声色から上機嫌であることは明白である。人間なら鼻の下を伸ばすという表現がぴったりくるかもしれない。カイトは、浮かれて自分語りとか、こいつはキャバクラに行ったらハマるタイプだよな、などと考えていた。サギも微妙な表情でコーヒーを口に運びながら聞いている。
「LPM……正式名称『Life of Particlate Matter』、《粒子生命体》ってとこか。俺たちは基本的に、真空を埋めているあらゆる素粒子が雑多な配分で集まって構成されている生き物だ。状況に応じて性質の異なる素粒子を使い分けて、集合させたり配置を組み替えたりすることで、物体への干渉が可能になる。詳しい説明は難しいだろうから省くけど、ま、ある程度までの質量だったら物質を微細な粒子に分解して体空間に紛れさせるなんてこともできる。当然元に戻して、物体を出し入れすることもな。さっきのコーヒーもそういう理屈さ――そんなわけで、ごちそうさん」
気取った言葉を添えて締められた得意げな説明。
それを、
「そんなわけないじゃないですか」
カドマエが正面から一刀両断した。
ぶばぁっ。
カイトとサギは同時にコーヒーを吹き出した。
「……ええー?」衝撃からか、テーブルの上の球体はさらさらと分解されほとんど原型を失っていた。消え入りそうな声が説明を求めるように弱弱しく空気を震わせる。「どゆこと?」
「えと、トリノさんのおっしゃった『真空を埋めているあらゆる素粒子』というのは」何を言ってるんだろう、という感じに眉根を寄せながら続けるカドマエ。その言説は異常に専門的だった。
「ボース粒子を含んでいますよね。真空期待値のみを限定的に無視できるはずありませんから、つまりそれはヒッグス場としての空間においてもエネルギー運動量テンソルを掌握してることになる。であれば、物質を特殊な『場』としての体構造に取り込む過程において、トリノさんはヒッグス粒子との相互作用を完全に消し去ることで質量をゼロにしているだけであって、物質を粒子状に分解しているわけではない。じゃなきゃ物体を組織構造そのままに再編して取り出すなんてことできるわけないじゃないですか」
「……LPMについては、知らないって……言ってません、でしたか」
「はい。でも、量子論の基礎とトリノさんの言葉から判断できる情報で、少なくとも先ほどのトリノさんの説明が要領も的も得ていないということは分かりました」
大事なのは、どうやらカドマエはぺダンチズムから揚げ足を取っているわけでも悪意を持って扱き下ろしているわけでもなく、性格上、物事をきっちりさせたいだけらしいということだ。彼女の中で先の慇懃さと今の実直な態度は、何の矛盾もなく連結しているようだった。
「げほっ、言ってることは、よく、分からないけど」飲みかけのコーヒーを咽頭から逆流させ盛大にぶちまけたカイトが、息も絶え絶えに口を挟む。
「幾つか、分かったこともあるね……カドマエさんがガチガチに理系ってことと、トリノが自分の身体について勉強不足だったってこと。それから」
「誰しも、意外な側面はあるってこと、かしらね。けほっ」コーヒーびたしになったテーブルを拭きながらサギも同調する。眼鏡のレンズにまで撥ね汚れが見られた。
初対面でないサギにさえ『意外な側面』を垣間見せた当の本人は、トレイを抱きしめたままきょとんとしている。一方カイトはテーブルの上、さっきまで塵の塊が浮いていた位置を確認した。何もない。影も形も。トリノの繊細さを考えれば、彼はショックで息絶えたということにした方が真実に近そうだった。
「でも」一通り掃除を終えたところで、サギは気になっていたことを口にする。
「それだけ量子論の分野に明るいあなたが、LPMについて全く知らなかったっていうのはそこはかとなく疑問ね」
「……?」 なんだかわざとらしい言い方がカイトには少し引っかかった。しかし、LPMの脅威と認知度を考えればもっともな疑問。粒子生命体の活動が量子力学的に説明できることは、少しネットを使うだけでも調べられるのだから。
カドマエの反応は、妙に鈍かった。
「……それは、父が」
彼女の睫毛が小さく震えた。見ようによっては絵にもなる切なげな翳り。自分には出せないものだ、とカイトは何故か思った。彼女は言う。
「父から、止められていたんです。父は、LPMの研究者です。LPMに様々な環境から刺激を与えて、《単純化》そのものについても解明することが科学の急務だと。けれど、LPMについて詳しくは教えてくれませんでした。私を、研究分野から遠ざけたがってるようにも感じました。何か危険なことをやってるんじゃないかと思ったこともあります」
彼女は言う。
「十年前の《単純化》から色々なことが変わりました。父はもともと、量子論を専門にしてたんです。基本相互作用、ゲージ粒子、特に重力子についての研究。私も父に思いっきり影響されて勉強しました。昔はよく大学の実験施設にも連れてって貰って。……けれど《単純化》が起きてから、研究者や学会の間である言葉が囁かれ始めました――」
彼女は言う。
「
彼女は、言う。
「サギさん、カイトさん。トリノさん。『検体Cにおける第三次コウノトリ誘導実験』……私には分からない言葉だらけです。父は一体、何をしたんですか? どうして掃討機関の《
彼女は、言った。
「すべて、教えてください」
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